主な参考資料
- AFI
- TIME
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本作は、カール・スティーブンソンの短編「Leiningen Versus the Ants」(1938)を出発点に、原作にはいない代理結婚の妻ジョアナを加え、アリとの攻防を夫婦の葛藤と接近へ結び付けて映画化した。主撮影の約1か月前にはジョセフ・H・ルイスからバイロン・ハスキンへ監督が交代し、製作者ジョージ・パルは直前の『宇宙戦争』(1953)で共同作業を経験した監督に撮影を託した。制作班はパナマのバロ・コロラド島で軍隊アリを撮る計画を立てたが、アリが休眠中だったため旅行を中止し、スタジオではオオアリを撮影したうえで、Smithsonianの科学者に軍隊アリと誤表示しないと約束した。洪水と爆発はフロリダの実景、ミニチュア、俳優やセットと別映像を重ねるプロセス撮影を組み合わせ、1953年6月のフロリダ撮影では地域住民約200人が雇われたと地元資料に残る。ブラックリスト下のベン・マドウはフィリップ・ヨーダンを介して執筆し、公開時の画面上ではヨーダンとラナルド・マクドゥーガルが脚本家として記されたが、Paramount Picturesの現在の公式ページはマドウもWriterとして掲載している。本作は1954年3月17日にロサンゼルスで公開され、TIMEが転載したVariety集計では同年4月の全米興行上位作品で第7位に入った。
本作の原作は、カール・スティーブンソンがEsquire誌1938年12月号へ発表した短編「Leiningen Versus the Ants」である。AFIによれば、映画も製作中は同じ題名を仮題にしていた。完成版はアリとの戦いだけでなく夫婦関係を前面へ出し、より広い意味を持つ『黒い絨氈』へ改題された。
原作短編「Leiningen Versus the Ants」(1938)は、農園主ライニンゲンがアリの大群へ立ち向かう話で、映画のジョアナに当たる妻は登場しない。本作はエリノア・パーカー演じる代理結婚の妻を加え、アリが姿を見せる前に夫婦の反発と接近を長く描いた。怪物パニックへ恋愛劇を足したのではなく、夫婦劇の危機としてアリ襲来を置き直した脚色である。
ベン・マドウは政治的ブラックリストのため、自分の名ではスタジオの仕事を得られず、フィリップ・ヨーダンを通して「地下で」執筆していた。映画史家パトリック・マクギリガンの取材では、マドウが本作を書いたと証言する一方、公開時の画面上の脚本クレジットはフィリップ・ヨーダンとラナルド・マクドゥーガルだった。Paramount Picturesの現在の公式ページは、マドウをWriterとして併記している。
AFIの製作記録によれば、本作は主撮影が始まる約1か月前に監督を交代し、ジョセフ・H・ルイスに代わってバイロン・ハスキンが就いた。製作者ジョージ・パルは直前に『宇宙戦争』(1953)をハスキンと完成させていたため、準備期間の短い交代を、すでに共同作業を経験した監督で引き継いだことになる。
制作班は当初、パナマのバロ・コロラド島で軍隊アリを撮る計画だった。だがAFIが参照する1953年の記事では、撮影時期にアリが休眠していたため、Paramountが現地行きを中止したと記録されている。映画の舞台に近い実景へ向かう案は、天候ではなく生き物の季節に止められた。
Smithsonian Institution Archivesが紹介した1953年の書簡によれば、制作班がスタジオで撮った実物は、物語の軍隊アリではなくオオアリだった。Smithsonianの科学者は種を取り違えて説明しないよう制作側へ求め、制作側はバロ・コロラド島の軍隊アリとして見せないと約束した。実物を使うことと、その実物を物語上の生物として表示することは別問題だったのである。
洪水と爆発は、実景だけでなくミニチュアで組み立てた。AFIは現代資料に基づいてミニチュア撮影を記録し、画面の特殊効果をジョン・P・フルトン、俳優やセットと別映像を重ねるプロセス撮影をファーシオット・エドゥアートが担当したと整理している。実景、縮尺模型、合成を役割ごとに分けて大災害へつないだ。
本作の大規模な屋外素材は、1953年6月にフロリダ州のセントジョンズ川とフローラホーム周辺でも撮られた。Putnam Countyの地域史記事によれば、この撮影では約200人の地元住民が雇われた。ハリウッドのスタジオだけでなく、川、橋、地域の人手を使う第2班撮影が災害場面の土台になった。
夫婦が激しく衝突する場面で、チャールトン・ヘストンは用意された香水をエリノア・パーカーへ浴びせる動作を即興で加えた。RTVEが紹介するヘストンの後年回想では、パーカーは演技を止めず、そのまま台詞と反応を続けた。相手が予期しない動作を受け止めたことで、二人の対立が台詞だけではない緊張になった。
ライニンゲンがアリよけの油を体へ塗る場面では、衣装を汚しにくい代用品としてシロップが使われた。ところがRTVEの制作逸話によれば、甘い液体が撮影場所の虫を呼び寄せ、チャールトン・ヘストンには本物の虫がまとわりついた。衣装を守る判断が、俳優にとっては逆効果になった。
アリが食べ進む音は、砕いた氷とストローで作った。RTVEが伝える制作記録では、砕いた氷を入れたグラスの中でストローを回し、そのざらついた音を増幅した。目に見える群れの密度を、身近な素材から作った音で補っている。
本作のロサンゼルス公開から約3か月後、チャールトン・ヘストンは1954年6月7日のLux Radio Theatre版でライニンゲン役を再演した。映画でジョアナを演じたエリノア・パーカーではなく、ラジオ版ではドナ・リードが相手役を務めた。映画から音だけのドラマへ移る際、主演だけを残して配役を組み直している。
本作のアリ襲来映像は、31年後のテレビドラマ『冒険野郎マクガイバー』第1シーズン「Trumbo's World」(1985)へ再利用された。新しいジャングル災害を一から撮る代わりに、1954年の実景、ミニチュア、合成で作った映像が別の物語へ組み込まれたのである。
Paramountは2004年、『パニッシャー』(2004)のジョナサン・ヘンズリーを脚本・監督に迎え、本作のリメイクを準備した。同時期の報道では2005年の撮影開始まで予定されていたが、映画は完成しなかった。企画中止の具体的な理由は制作側資料で確認できないため、スタジオ人事が原因だったというIMDb説までは採用できない。
本作は1954年3月17日にロサンゼルスで公開された。TIMEが掲載したVarietyの月間集計では、翌4月の全米興行上位作品で第7位に入っている。後年流通する総興収の数字は集計基準を一本化できないが、公開直後に観客を集めたことは同時代資料で確認できる。
IMDbとRTVEの記事には、ウィリアム・コンラッドがライニンゲンを4回演じ、3回が1948年だったとある。しかし番組記録を照合すると、コンラッド主演は1948年1月14日、同年5月23日、1957年8月25日の3回である。1949年8月4日の『Escape』版でライニンゲンを演じたのはチューダー・オーウェンであり、4回説はこの別配役をコンラッドへ足した可能性が高い。