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1999年公開。いしいひさいちの4コマ漫画を高畑勲が長編化し、スタジオジブリ作品では珍しく松竹とスタジオジブリが配給した作品である。水彩画のような淡彩を長編で動かすため、17万枚を超える動画をセル画なしのデジタルペイントで処理し、ジブリの彩色工程を全面的にデジタルへ移した。セル材料の供給不安からは解放された一方、スキャンが薄い鉛筆線や色鉛筆まで拾い、異例の工程は進捗の把握も難しく、コンピューターは魔法ではなく新しい種類の面倒を持ち込んだ。当時の配給収入は7億9000万円とされ、前作『もののけ姫』の記録的成功後の作品としては厳しい成績だった。家族の日常を軽やかに描くため、制作側は17万枚と複雑なデジタル工程を抱えた――省略の美ほど、裏では手間を省かせてくれないのである。
素朴な鉛筆画と水彩に見えるが、制作史では大きな技術転換点である。スタジオジブリは本作で初めて、彩色と撮影を全面的にデジタル化した。機械的な光沢を見せるためではなく、紙の余白と淡いにじみを長編全体で保つために新技術が使われたのである。
デジタル化の目的は「淡彩」だった。高畑勲が求めたのは、色鉛筆や水彩のように紙の白を残す「淡彩」だった。人物の輪郭が途中で消え、背景が余白へ溶ける画面は、均一に塗るセル方式から離れるための技術選択だったのである。
いしいひさいちの簡潔な線を使えば、作画枚数も少なく済むように見える。実際には本作の動画は17万枚を超え、制作責任者によれば『もののけ姫』(1997)より多かった。線が少ないぶん一枚ごとの差がそのまま動きの印象へ出るため、山田一家の何気ない仕草に膨大な手仕事が投入されたのである。
セルと塗料の供給危機が背中を押した。『もののけ姫』(1997)の頃には、高品質なセルや専用塗料の安定供給が難しくなり、代替材料も要求水準に届かなかった。『山田くん』の淡い画面は、表現の挑戦であると同時に、アナログ制作を支えた産業の縮小への回答でもあった。
上流工程は紙と鉛筆のままだった。絵コンテ、原画、動画、背景は従来どおり紙と鉛筆や絵具で作り、取り込んだ後の彩色と撮影をコンピューターへ移した。画面の手描き感はデジタルで偽装したのではなく、実際の手描き素材を別の方法で仕上げた結果である。
セルへ色を塗る工程では、絵具が乾くまで待つ時間が必要だった。デジタル彩色はその待ち時間を消した一方で、サーバーとネットワークの管理という新しい仕事を現場へ持ち込んだ。技術が進めば制作が一方的に楽になるのではなく、手作業の負担が別の専門作業へ置き換わったのである。
セル彩色では一度塗った色を変えるほど、物理的なやり直しが増える。デジタルでは何度でも試せるが、制作側はその自由さが決断を先延ばしにする面もあったと振り返る。家族の服や淡い背景色を最後まで調整できることが、同時に「どこで止めるか」という新しい難題を生んだのである。
アナログ撮影のスタッフ全員がデジタルへ移った。奥井敦によれば、従来の撮影スタッフが新しい工程を学び、誰も辞めずに部署全体で移行した。画面の変化の裏には、長年培った光と合成の感覚をコンピューター上へ持ち越す、人の側の技術継承があった。
光だけは一度フィルムで撮って戻した。初期のデジタルでは望む光が出ず、従来の撮影台で作ったアナログの光素材を一度撮影し、それをデジタルへ戻して合成した。新旧の技術は交代したのではなく、一つのカットの中で重ね合わされたのである。
本編の多くは手描き素材をデジタル彩色しているが、家族がボブスレーのように疾走する場面は別の作り方である。百瀬義行のチームが3DCGを中心に構築し、平面的な山田一家を激しく動く空間へ乗せた。日常の比喩が急に大アクションへ膨らむ瞬間だからこそ、工程まで切り替えたのである。
高畑勲が求めた淡い線は、目には見えても機械には十分な情報として映らなかった。制作日誌には、色鉛筆で描いた線をスキャンすると薄い部分が消える問題と、その検証が記録されている。柔らかな画面を作るには線を弱くするだけでなく、弱さを失わずデータへ変える技術が必要だった。
セル画なら、机の上に塗られた絵が積まれ、作業の進み具合を目で追いやすい。デジタル工程では処理が画面やサーバーの中へ移ったため、高畑勲は作業現場の見学を求め、仕上げと撮影の流れを確認した。新技術はスタッフだけでなく、監督にも制作の見え方を学び直させたのである。
デジタル彩色でモニター上の色を決めても、そのまま映画館で同じ色になるとは限らない。現場は画像を35mmフィルムへ出力して映写し、淡い水彩色がスクリーンで濁らないかを繰り返し確かめた。白に近い色ほど差が目立つ作品だから、完成の基準は机上の画面ではなく上映光の中に置かれた。
新しい工程では、絵がどの部署を通り、どの処理を終えたかを見失わない管理が必要だった。制作進行は一カットにつき64の確認項目を設け、18冊のノートで状況を追ったという。余白の多い軽やかな画面の裏側に、細分化された工程を一つずつつなぐ重い管理作業があった。
戻ってきた1GBディスクが空だった。外部工程から戻った1GBのJAZディスクが空だったという事故が、公式制作日誌に残されている。絵をセル箱で運ぶ代わりにデータを物理メディアで往復させた初期デジタルの危うさが、一件の空ディスクから見えてくる。