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1988年公開。宮﨑駿監督の本作は、高畑勲監督の『火垂るの墓』と同時に作られ、2本立てで封切られた。鈴木敏夫によれば、冒険活劇ではない両作は徳間書店の役員から「これじゃ客が入らない」と反対され、企画を通すだけでも難航したが、同時上映という形を含めて成功し、ジブリが扱える作品の幅を広げた。若いスタジオが長編2本を並行制作するため、1987年には第2スタジオまで設けられ、公開月には役目を終えて撤収している。後に会社の顔となるトトロも、最初は単独で売る自信を持たれなかった地味な企画の片割れであり、企業の先見性はたいてい観客が正解を出した後から生えてくるのである。
この映画は、完成した脚本から一直線に生まれたのではない。宮崎駿の中には、バス停に立つ少女と小さな少女、姿の定まらない生き物を描く二枚のイメージが十年以上眠っていた。あの雨のバス停が作品の象徴に見えるのは、物語よりも長く監督の中に残った出発点だからである。
初期構想の主人公は、サツキとメイを一人に合わせたような少女だった。しかし後半の行方不明劇を成立させ、同時上映に必要な尺を整える過程で、人物は姉と妹へ分けられた。二人になったことで、森を発見する幼さと、家族を背負って探し回る責任感を別々の視点から描けるようになった。
雨のバス停を描いた有名な劇場ポスターには、完成した映画にはそのまま登場しない少女がいる。髪形や年齢感はサツキとメイの特徴を合わせたもので、初期の一人主人公の名残である。ポスターと本編を並べると、宣伝画の中に企画変更前の映画が保存されている。
『となりのトトロ』と『火垂るの墓』は、完成後に組み合わされた二本立てではない。スタジオジブリは制作班を分け、さらに第2スタジオを設けて二作を同時に進めた。穏やかな田園の映画と戦時下の映画が、同じ時期に別々の現場で形になっていたことを知ると、背景美術や色の違いも制作体制から見えてくる。
現在はジブリの顔であるトトロも、企画段階から成功を約束された作品ではなかった。明確な悪役も大事件もなく、子どもと不思議な生き物の日常を描く映画は売り方を説明しにくく、配給決定が難航した。徳間康快の働きかけで公開へ進んだ経緯は、後年の知名度との落差が大きい。
丸い姿を見ると商品化を前提に作られたように思えるが、トトロのぬいぐるみは公開時の販売計画になかった。約2年後、メーカー側の粘り強い提案で発売され、利益が制作費の回収を助け、やがて会社のマークにもなった。映画から商品が生まれたのであり、商品から映画が設計された順序ではない。
本作の知名度は、1988年の劇場だけで完成したものではない。翌1989年の『金曜ロードショー』初放送とビデオ普及によって、家族が繰り返し見る作品になった。公開後に家庭の中で観客を増やした経緯を知ると、何度も放送されること自体が作品史の続きだと分かる。
草壁家の周囲を特定の一か所へ固定することはできない。公式説明は舞台を「所沢付近」とし、松郷や七国山など現実の響きを持つ地名を組み合わせている。土地の記憶を集めて昭和の田園を作ったため、どこか懐かしいのに地図とは完全には一致しない風景になった。
田園の美しさで知られる本作だが、背景班は『火垂るの墓』との並行制作で人手が薄かった。そこへ招かれた男鹿和雄が美術監督となり、田畑、木、花の配置を具体的に整えた。スタッフ不足という制約が、結果として一人の美術家の記憶と感覚を作品全体へ強く通すことになった。
男鹿和雄が描いた自然は、ロケ地を写真のように複写したものではない。故郷の秋田で体に入った田畑や風の感覚を呼び戻し、すべてを細密に塗るのではなく、歩いた時に感じる空気が残るよう描き込みを整理した。所沢付近の舞台へ別の土地の記憶が溶けたことで、特定地を越える懐かしさが生まれた。
草壁タツオの声が、子どもの気持ちをすべて理解する理想の父親らしく聞こえないのは意図的である。宮崎駿はプロ声優の整った温かさより、少し不器用で自分の世界も持つ三十代の父を求め、糸井重里を起用した。だから一家の親密さにも、作られすぎない生活感が残っている。
日髙のり子がサツキ役へ呼ばれた時、作品名も詳しい内容もほとんど知らされていなかった。渡されたのは絵コンテで、本人には子ども役の経験もほぼない。未知の作品にその場で向き合った声が、妹を支えながら自分も不安を抱えるサツキの張りつめた明るさへつながった。
アニメの音声は場面順を崩して録ることも多いが、本作の主要収録は約3日間、物語の流れに近い順で進んだ。サツキ、メイ、父親を演じる人々が同じ時間を積み重ねたため、後半へ行くほど本当の家族のような呼吸が育つ。声の変化を冒頭から追うと、その過程も映画に残っている。
引っ越した家の風呂で三人が大笑いする場面は、最初に録った声をそのまま使っていない。収録を重ね、演者同士に家族の感覚ができた後で録り直しが行われた。恐怖を笑い飛ばす場面の温かさは、台詞の内容だけでなく、現場で育った関係を音へ戻す工程から生まれている。
草壁家へ着いた直後、子どもたちが家を「お化け屋敷」のように面白がる会話には、収録現場のアドリブが含まれている。整った一人ずつの台詞ではなく、発見したことを競うように声が重なるため、姉妹とカンタが本当に初めて家へ入った瞬間の騒がしさが残った。
トトロは笑い、驚き、眠るが、人間のように何を見ているかは簡単に読めない。宮崎駿はその目を対象へぴたりと合わせず、どこか遠くを見るように設計した。サツキやメイに反応しながらも完全には人間化しないため、親しい隣人と理解不能な森の存在を同時に保っている。
ネコバスの表示板は目的地に合わせて変わるが、物語を終えた最後の行先は「す」である。サツキとメイを送り届けた後、自分の巣へ帰っていくことを一文字で示す小さな演出だ。終幕の画面を止めて見ると、働きを終えた不思議な生き物にも帰る日常があると分かる。
ネコバスは、猫とバスを見た目だけで合成したキャラクターではない。猫が体を柔らかく変形させ、狭い場所をすり抜ける性質を、森や電線の上まで走れる乗り物の機能へ置き換えている。十二本の脚や伸び縮みする車体を見ると、生き物の身体能力から交通手段を逆算したデザインだと分かる。
サツキは日本語の「皐月」、メイは英語のMayに通じ、二人の名前はいずれも五月を表す。初期には一人だった主人公が姉妹へ分かれた制作史を合わせると、同じ月を二つの言葉で名づけたことにもまとまりが見える。名前だけで、二人が一組の主人公であることが示されている。
本作の穏やかな色合いは、背景の緑や空の青だけで作られていない。人物や物の輪郭を写すトレス線にも茶系の色を使い、黒い線が画面を切り分ける強さを抑えた。サツキやメイが自然の中へなじんで見えるのは、輪郭そのものまで色彩設計の一部だからである。
『となりのトトロ』の音楽は、完成した映像へ最後に付け足したものではない。久石譲は先にイメージアルバムを作り、宮崎駿との対話から森、風、子どもの感覚を音の主題へ整理した。画面より早く存在した旋律があると知ると、「風のとおり道」などは場面の説明ではなく世界の土台に聞こえる。
86分の映画を支える設計図は、短いラフ集ではない。スタジオジブリの絵コンテ全集版は434ページあり、構図、人物の動き、台詞、時間の流れを本編に沿って追える。ポスターの一人少女や完成版との違いを調べる時も、噂ではなく制作途中の判断へ近づける基礎資料になる。
「宮崎駿の母の闘病が直接モデル」という話がある。母が長期療養した事実と作品との関連は広く語られるが、「男子なら辛くて描けなかった」を含む一次発言の掲載元を確認するまで断定しない。 一次資料で裏づけられるまでは、断定せず情報不足・要確認として扱いたい。
「「トトロ」は所沢の言い間違い」という話がある。舞台が所沢付近であることは公式確認済み。しかし名称がTokorozawaの幼児語から来たという因果は、troll説と競合し一次根拠がない。 一次資料で裏づけられるまでは、断定せず情報不足・要確認として扱いたい。
「地蔵がメイの無事を保証する」という話がある。地蔵のそばに座る画面は確認可能。子どもの守護という一般的意味はあるが、演出意図の断定は避ける。 一次資料で裏づけられるまでは、断定せず情報不足・要確認として扱いたい。
「トトロの正式な三種名」という話がある。大トトロ・中トトロ・小トトロは一般化しているが、Oh/Chuu/Chibi表記の一次設定資料を直接確認していない。 一次資料で裏づけられるまでは、断定せず情報不足・要確認として扱いたい。