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1988年公開。宮﨑駿監督の本作は、高畑勲監督の『火垂るの墓』と同時に作られ、2本立てで封切られた。鈴木敏夫によれば、冒険活劇ではない両作は徳間書店の役員から「これじゃ客が入らない」と反対され、企画を通すだけでも難航したが、同時上映という形を含めて成功し、ジブリが扱える作品の幅を広げた。若いスタジオが長編2本を並行制作するため、1987年には第2スタジオまで設けられ、公開月には役目を終えて撤収している。公開時の興行成績は『火垂るの墓』との2本立て全体で配給収入5億8800万円であり、『トトロ』単独の興行収入を示す数字ではない。後に会社の顔となるトトロも、最初は単独で売る自信を持たれなかった地味な企画の片割れであり、企業の先見性はたいてい観客が正解を出した後から生えてくるのである。
宮崎駿の手元には、雨のバス停に立つ少女と、小さな少女が輪郭の定まらない生き物に出会う二枚のイメージがあった。すぐには映画にならず、十年以上にわたってスケッチの中で温められた後、企画の核になった。完成作を象徴するバス停と森の出会いは、物語の筋よりも早く生まれていたのである。
初期構想では、主人公はサツキとメイの特徴を合わせた一人の少女だった。企画を長編へ広げる際、幼い子が迷子になり、年長の子が捜し回る後半を成立させるため、人物を姉妹に分けた。森の秘密を最初に発見する幼さと、母や妹を案じて行動する責任感が別々の人物に託され、物語の感情の幅が広がった。
雨のバス停を描いた劇場ポスターには、完成した映画にそのまま登場しない少女が立っている。髪形や年齢感はサツキとメイの特徴を併せ持ち、主人公が一人だった初期構想を反映した姿である。映画では姉妹に分かれた人物が、宣伝画の中では企画変更前の一人の少女として保存されている。
企画の原型は1970年代末から存在し、1983年にはイメージボードも公表されていた。しかし、子どもが田舎で不思議な生き物に会うだけでは、当時主流の冒険活劇やSFアニメと違い、劇場映画として売り方を説明しにくかった。ビデオ作品にする案も示されたが、鈴木敏夫は映画館で公開する企画として成立させる道を探し続けた。
二本の中編として組み合わせた。当初はそれぞれ約60分の中編として二本立てにし、徳間書店と新潮社が一つの上映企画に関わる異例の形で進められた。穏やかな田園の物語と戦時下の兄妹の物語は、互いにまったく違うからこそ、一つの企画として劇場公開への道を開いた。
『火垂るの墓』(1988)との二本立て企画は、東映の番組編成に合わないとして配給に至らなかった。そこで徳間側は東宝と直接交渉し、1988年4月16日の公開を成立させた。後年の知名度からは想像しにくいが、企画の内容だけでなく、二本をどの会社の上映枠へ載せるかが公開の大きな障壁になっていた。
スタジオジブリは『火垂るの墓』(1988)との並行制作のため、既存スタジオから約50メートル離れた場所に第2スタジオを設けた。二つの制作班が別々の拠点で同時に作業し、1988年4月の公開後には第2スタジオを閉じている。二本立ては上映上の組み合わせだけでなく、会社の作業空間そのものを一時的に増設する大規模な制作計画だった。
二作を同時に作る体制では、熟練したスタッフの配分が難題になった。作画の中心人物だった近藤喜文は宮崎駿と高畑勲の双方から参加を望まれ、最終的に『火垂るの墓』(1988)へ入った。本作側は同じ会社の別作品と人材を分け合いながら、独自の作画体制を組み直す必要があった。
色彩設計の保田道世は、主に『火垂るの墓』(1988)の現場へ入りながら、本作でもキャラクターなどの主要色を定めた。二本を同時に一人で担当することはできないため、本作側には別の色指定スタッフを置き、基準となる色と日々の作業を分担した。田園の明るさと戦時下の暗さは、完全に切り離された二組ではなく、限られた人材を調整する体制の中で設計された。
二作の並行制作が始まると、美術スタッフの多くが『火垂るの墓』(1988)側へ集まり、本作側の美術体制が薄くなった。その状況で美術監督候補として声をかけられたのが男鹿和雄である。男鹿は提示された絵コンテに惹かれて参加を決め、後に作品を象徴する田畑、古い家、鎮守の森の空間をまとめ上げた。
宮崎駿は男鹿和雄に、畑、木、花の種類まで注意して背景を描くよう求めた。男鹿は武蔵野の現地観察だけでなく、秋田で育った子ども時代の記憶を重ね、草の密度や光の変化を組み立てた。作中の田園は特定の一地点を複写した景色ではなく、関東の地形と美術監督の原風景を合わせて作られた空間である。
男鹿和雄は田園を緑一色で埋めず、セピアやクロームグリーンを使って枯れ草や土の色を混ぜた。くすんだ色を隣へ置くことで、若い草の緑がかえって鮮やかに見える。さらに建物にも同じ系統の色を入れ、屋外の自然と室内が切れずにつながる生活空間を作った。
サツキやメイの輪郭には、一般的な黒ではなく茶色系のカーボン線が多く使われた。明るい草地や古い木造家屋の中で、黒い線だけが硬く浮き上がるのを避けるためである。柔らかな画面の印象は水彩調の背景だけでなく、人物を囲む一本の線の色から設計されていた。
茶色のカーボン線は、外部業者の機械では安定してセルへ転写できなかったため、多くの作業をジブリ内部で行った。転写した線がはがれる問題も起こり、スタッフは息を吹きかけて冷やす方法や、紙をはがす速度を変える方法を試した。画面を柔らかくする色の選択は、機械の癖を一枚ずつ手作業で補う工程まで増やしたのである。
宮崎駿は草壁タツオを、娘の心を何でも先回りして理解する「理想の父親」にはしたくなかった。職業声優の整った温かさでは、30代の若い父親が持つ頼りなさや気の抜けた部分まで消えてしまうと考えたのである。そこで糸井重里の少し不器用で力の抜けた声を選び、子どもの話を否定しないが、すべてを知っているわけでもない父親を作った。
日高のり子はサツキ役のオーディションで、作品名もスタジオジブリの新作であることも知らされていなかった。渡された絵コンテの場面を読み、当時ほとんど経験のなかった子ども役に挑んだ。作品の知名度や宮崎駿の名前を意識して作った声ではなく、その場で出したサツキの声が採用されたのである。
主要なアフレコは約三日間で行われ、場面は物語の進行に近い順序で収録された。日高のり子は、引っ越し直後にはしゃぐサツキから、母の帰宅延期とメイの失踪で余裕を失うサツキまで、感情の変化を順に経験できた。短期間の録音でありながら、姉妹の一日一日の積み重ねを声の流れとして作る方式だった。
強風の夜、父と姉妹が風呂で大声を出して笑う場面は、通常のアフレコを終えた後に録り直された。三人の声を別々に整えるのではなく、同じ場で互いの息と笑いを重ね、浴室へ反響する家族の勢いを作った。古い家の不気味さを追い払う場面の安心感は、録音方法そのものから生まれている。
草壁家へ着いたサツキとメイが、部屋や階段を次々に見つける場面では、台本どおりの台詞に即興の声や言葉が加えられた。子どもが新しい家で発見したものへ、その場で反射的に反応する調子を優先したためである。姉妹が順番を待たずに声を重ねる騒がしさが、新居へ入った瞬間の高揚を作っている。
病院の場面を録る際、宮崎駿は母親役の北林谷栄に、もう少し緊張感のある声を求めた。北林は、母親なら自分の不安を子どもへそのまま見せる話し方はしないと考え、穏やかな調子を守った。宮崎もその判断の方が正しいと認め、監督の当初案より俳優が考えた母親像を完成版へ残した。
宮崎駿はトトロを、賢いのか愚かなのか、実在するのか幻なのかを簡単に決められない存在として設計した。人間と同じ理屈で周囲を理解しているように見せないため、物を見ても目の焦点を合わせすぎないよう作画スタッフへ指示した。愛嬌のある大きな体に、視線だけでは気持ちを読み切れない異質さが残されている。
ネコバスは猫の柔らかい体から生まれた。狭い場所へ入ると体の輪郭まで変わって見える猫の柔らかさを出発点に、森や田畑へ合わせて伸び縮みする乗り物へ発展させた。座席、窓、行先表示まで生きた体の一部として動くため、機械のバスにはない速度と不気味さを同時に持っている。
メイを見つけて姉妹を家へ送り届けた後、ネコバスの行先表示は一文字の「す」に変わる。これはネコバスが自分の「巣」へ帰ることを示す表示である。病院やメイの居場所を次々に示してきた方向幕が、仕事を終えた最後だけネコバス自身の帰宅先を告げている。
病院へ向かうネコバスの行先表示では、「七国山病院」の一字がよく似た別の字に変わっている。一見すると誤字に見えるが、表示が切り替わった直後、横にいるネズミが振り返る動きまで描かれている。制作側の説明は確認できないものの、表示を扱う小さな乗務員が間違いに気づいたような文字遊びとして読む余地がある。
「サツキ」は旧暦五月を表す皐月、「メイ」は英語のMayで、姉妹の名前はどちらも五月を意味する。主人公が一人だった初期構想を姉妹へ分けた際、同じ季節を日本語と英語の二つの名前へ振り分けた。人物が二人になっても、もとは一人だったことが名前の組み合わせに残っている。
引っ越しの道中、父親は新居へ来る途中で道を間違えたと何気なく話している。後半ではメイが一人で病院へ向かおうとして道を失う。迷子を物語後半だけの都合として起こすのではなく、草壁家には道を間違えるところがあると、冒頭の会話でさりげなく準備していた。
病室で母親はサツキの髪をとかしながら、自分の子どもの頃に似ていると話す。一方、メイは父親と同じように、目的地へ向かう途中で道を間違える。明言される母とサツキの類似、行動で示される父とメイの類似を並べ、姉妹が両親の異なる部分を受け継いでいる構成として読むことができる。
トトロを直接見られるのは子どもだけ、という原則が作品の人物関係に置かれている。父親はその姿を一度も確認しないが、メイやサツキの話を否定せず、塚森へ一緒に挨拶する。大人が不思議の正体を説明するのではなく、自分には見えない体験をした子どもを受け入れることが、父親の役割になっている。
久石譲は完成映像へ直接音楽を付ける前に、宮崎駿らとの打ち合わせから十曲のイメージソングを作った。アルバムは映画公開より約五か月早い1987年11月25日に発売されている。映像が固まってから雰囲気を補うのではなく、制作途中の森、風、姉妹、トトロの気配を先に音へし、映画全体の音楽的な土台を作った。
明確な悪役や通常の起承転結が少ない本作では、出来事ごとに喜怒哀楽を説明する音楽はなじまないと久石譲は考えた。そこで物語の筋を追うより、風、土、森の気配を観客が直接受け取れる旋律と音色を目指した。音楽は場面の意味を言葉のように指示せず、姉妹が触れる世界の感覚を支えている。
映画用音楽の録音は、1988年2月25日から3月26日まで続いた。作業場所はワンダーステーション・スタジオと日活スタジオセンターの二拠点で、公開の三週間ほど前まで音が組み立てられていた。約一か月を使い、電子音、打楽器、管弦楽器を重ねて、森の不思議さと姉妹の日常を同じ音楽世界へまとめた。
サウンドトラック盤には、映画の編集で途中を切って使われた曲や、本編では採用されなかった部分を含む完全な形の楽曲が収録された。映像では場面の長さへ合わせて音楽を組み替え、アルバムでは作曲時の構成を保ったのである。本編と音盤を比べると、映像編集が音楽のどこを選び、どこを外したかを確かめられる。
宮崎駿が描いた本作の絵コンテは434ページに及ぶ。各ページには画面構成、人物の動き、台詞、秒数が連続して記され、86分の映画をカット単位で追える。姉妹が家や野原を自由に走り回る場面も、偶然の動きを集めたのではなく、長大な設計図を作画と編集へ移して完成させた。
草壁家の洋間には、結核患者が日当たりのよい場所で療養できるよう増築されたという構想がある。和風の母屋へ洋風の部屋だけが継ぎ足された外観は、単なる変わったデザインではない。母親の退院を待つ父と姉妹が、病人を迎えられる古い家へ先に移り住んだという生活上の背景につながっている。
公式設定では、物語の舞台は埼玉県所沢市の「付近」とされ、特定の町や集落一か所には固定されていない。武蔵野の地形や所沢周辺の自然を基礎に、男鹿和雄が秋田で育った記憶なども重ねている。複数の場所と時間の感覚を合わせたため、実在しそうで地図にはそのまま存在しない田園になった。
劇場公開後、テレビとビデオで人気が定着した。翌1989年のテレビ放送と家庭用ビデオによって、子どもが同じ場面を繰り返し見て、親子で共有できる作品になった。映画館で一度見る作品から、家庭で何度も再生される作品へ変わったことが、長期的な人気の土台になった。
トトロの丸い姿は商品化を前提に設計されたように見えるが、ぬいぐるみは映画公開時の販売計画にはなかった。約二年後、メーカー側の熱心な提案で発売され、その利益が制作費の一部を補った。さらにトトロはスタジオジブリの会社マークへ採用され、映画から生まれたキャラクターが会社全体の象徴になった。
2012年発売のBlu-rayには、宮崎駿の絵コンテを本編と同じ時間軸で表示する機能が収録された。台本、ノンテロップのオープニングとエンディング、予告編集、8言語の音声も含まれている。完成映像だけを保存する商品ではなく、カットの設計、台詞、宣伝、海外版まで一つの版で比較できる資料集になっている。
「サツキとメイの家」は撮影用セットではなく本物の家として建てた。昭和初期の工法を用い、かまどや風呂が実際に機能する構造とし、建具や家具には長年使われたような経年加工を施した。来場者が戸棚や引き出しを開け、家族の生活の痕跡へ触れられる「本物の家」として建築された。
愛・地球博の「サツキとメイの家」は、一日800人の完全予約制で公開された。2005年3月1日に予約受付が始まると、約5時間で約24万件のアクセスが集中している。映画公開から17年を経ても、画面に描かれた家へ入り、戸棚や縁側へ触れる体験を求める人が、受入人数を大幅に上回った。
宮崎駿の母が長期療養していたことから、サツキとメイの母の入院をそのまま重ねたという話がある。しかし、「男子ならつらくて描けなかった」という言葉を含め、監督本人が直接モデルだと説明した一次資料は確認できない。家族の記憶が作品に響いているのかもしれないが、一対一のモデルとまでは決めつけない方がよさそうだ。
「「トトロ」は所沢の言い間違い」という話がある。舞台が所沢付近であることは公式確認済み。しかし名称がTokorozawaの幼児語から来たという因果は、troll説と競合し一次根拠がない。 この説を支える一次資料は、まだ見つかっていない。
地蔵がメイの無事を保証するという話がある。ただし、この話を支える当事者の発言や制作記録はまだ見つかっていない。そう考えると筋は通るが、今のところは決めつけない方がよさそうだ。
トトロには正式な三種類の名前があるという話がある。名称を確認できる公式設定資料は見つかっていない。本当なら面白いが、今のところは噂として聞くのがよさそうだ。