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1998年公開。ライン・ダグラス・ピアソンの小説『Simple Simon』をユニバーサルとイマジン・エンターテインメントが映画化し、同じ題名で準備された企画は『Mercury Falling』を経て現題へ変更された。当初監督予定だったバリー・ソネンフェルドは『メン・イン・ブラック』との日程のため離れ、ハロルド・ベッカーが引き継ぎ、ブルース・ウィリスと子役ミコ・ヒューズを中心に撮影した。シカゴを主な舞台に、ワシントンD.C.のイースタン・マーケットなどでもロケを行い、暗号を扱う室内劇へ都市型アクションとブルースクリーン撮影を加えた。約6,000万ドルの製作費に対し北米興収は約3,300万ドルにとどまり、題名を上昇形へ変えても興行まで上向きにはならなかったのである。 ---
サイモン役のミコ・ヒューズは、撮影の約6週間前に家族とシカゴへ入り、児童精神科医ベネット・レベンサルと準備を始めた。学校を訪ね、映像も見ながら、歩き方や発話のリズムを一人の役として組み合わせたという。危機の最中でもぶれない小さな動作は、撮影前から仕込まれていた。
教室の場面では、制作側が子役を訓練してそろえる代わりに、ケシェット・デイ・スクールの生徒たちに出演を頼んだ。最初の編集版では、制作側がその中からミコ・ヒューズを見分けられなかったという。教室になじむための逆転のキャスティングが、なかなか大胆だ。
張りつめた追跡劇の撮影中も、ミコ・ヒューズとブルース・ウィリスは昼休みにスプレー缶で遊んでいたという。ヒューズにとってウィリスは、画面の中の保護者役である前に気さくな現場の相手だったらしい。緊迫した映画の合間にあったスプレー合戦が、ちょっと和む。
ワシントンD.C.のイースタン・マーケットで撮られた場面には、日曜フリーマーケットの出店者も参加した。ロケハンは夏の早い段階で進み、小道具担当が実際の出店者を選んだという。市場そのものを巻き込んだロケ撮影が、暗号の発見を現実の街角へ引き寄せた。
原作はライン・ダグラス・ピアソンの『Simple Simon』で、映画化の過程では『Mercury Falling』という仮題も使われた。最終的に選ばれた『マーキュリー・ライジング』は、少年の名より国家暗号を先に掲げる。人物名から危険な暗号へ寄った題名が、映画の入口を変えてしまった。
完成版の脚本クレジットには入っていないが、ウィリアム・ウィッシャーを改稿参加者とする映画データベースが複数ある。どの場面をどれだけ直したかは分からず、改稿参加の範囲はまだ見えない。名前だけで大幅改稿と決めるには資料不足だ。
企画初期にはバリー・ソネンフェルドが監督候補だった、という記録が複数の二次資料に残る。けれど、正式決定だったのか、なぜハロルド・ベッカーに交代したのかを示す原記事は確認できていない。完成版の前にあった別の監督案は、まだ輪郭だけの話だ。
アート役にはニコラス・ケイジやジョージ・クルーニーの名も候補として挙がった、とする資料がある。けれど、正式なオファーだったのか、企画会議の候補名だったのかは分からない。ブルース・ウィリス以前の候補リストは、まだ推測の域だ。