1996年公開。子どもたちに勧められてロアルド・ダールの原作を読んだダニー・デヴィートが、監督・製作を務め、父親役と語りまで引き受けた映画化である。権利を求める映画人は多かったが、原作への愛着と粘りを買われて企画を託され、妻のリー・パールマンも出演し、夫妻はダール特有の笑いと怖さを子ども向けに丸めすぎない作品を目指した。撮影中、主演のマーラ・ウィルソンの母スージーは乳がんと闘っており、デヴィート夫妻は母の入院中にマーラを映画や芝居へ連れ出して支えたが、母は公開の4か月前に亡くなり、作品はその思い出に捧げられた。製作費は約3600万ドル、初公開時の北米興収は約3346万ドルで予算額に届かなかった一方、ウィルソンら出演者が予想しなかったほど後年まで支持が続いた。家族が原作を持ち込んで始まり、現場では別の家族を支えた映画の価値を、ハリウッドの帳簿だけは公開週末の数字で片づけたかったらしい。
この映画をダニー・デヴィートへ紹介したのは、スタジオの企画担当ではなく彼の娘だった。家へ持ち帰った原作を一家で毎晩一章ずつ読み、その時間から映画化への関心が育った。子どもが大人へ本の面白さを教えるという始まりは、読書を通じて自分の世界を広げる映画の主題そのものに重なる。
脚本家ロビン・スウィコードとニコラス・カザンは、すでに亡くなっていたロアルド・ダール本人へ質問できなかった。そこで未亡人リシーと交流し、家に残された書類やメモまで調べ、原作の出来事より作者が何を守ろうとしたかを探った。映画の変更点は、単なる米国化ではなく意図を移し替える作業だった。
色も形も極端な美術には長い設計期間があったように見えるが、美術監督ビル・ブルゼスキの準備は約3週間だった。詳細な完成画を大量に作るより、ワームウッド家は騒がしい消費、ハニー先生の家は安らぎという人物の価値観から空間を決めた。家を見るだけで善悪の温度が伝わる理由である。
Crunchem Hallは、子どもを迎える学校というより人を規格へ押し込む工場のように設計された。重い門、長い廊下、巨大な校長室が児童を小さく見せ、ハニー先生の柔らかな教室と対照を作る。トランチブル校長の恐怖は演技だけでなく、建物全体が彼女の思想を代わりに語っている。
ブルースが巨大なケーキを食べる場面は、長回し一回で終えたのではない。完成までに約144ショットを重ね、撮影は数週間に及んだ。皿に残る量、顔や服につくチョコレート、子どもたちの反応をつなぎ続けたため、単純な罰の場面が観客全員を巻き込む勝利のドラマへ膨らんだ。
画面のケーキは食べ物に見せた小道具ではなく、工房が常時3〜4台を用意した本物だった。ところがブルース役のジミー・カーズはチョコレートが好きではなく、カット後に吐き出す容器を使った。観客には夢のようなケーキが、演者には数週間続く過酷な反復だったのである。
ケーキの大きさはセットの寸法だけでなく、撮影の距離からも作られた。近接用のレンズで表面と口元へ迫り、顔や皿につくチョコレートの位置を細かくつないだため、甘さは次第に圧力へ変わる。食べ物を魅力的にも不快にも見せる撮影が、校長の罰の異常さを支えている。
マチルダの超能力は、物体をすべてCGへ置き換えて作ったのではない。ワイヤー、磁石、逆再生、火薬などの実物仕掛けを先に使い、デジタル処理は必要な部分を補った。物が机を滑り、テレビが破裂する瞬間に本物の重量と破片が残るため、魔法が同じ部屋で起きている感覚が強い。
黒板へ文字を書くチョークは、画面上の小ささを保ったまま動かす必要があった。そこでチョークへ磁石を仕込み、黒板の裏側から逆向きの文字を書く装置で引っ張った。表では幽霊の筆跡、裏では左右を反転させて動く操作者という二重構造が、魔法を一続きの実写に見せている。
トランチブル校長の声は、怪物らしい声をゼロから作ったものではない。パム・フェリスは知人の庭師が持つ低く威圧的な話し方を手掛かりにした。大声で怒鳴る時だけでなく、静かに脅す時にも現実の人物から借りたリズムがあるため、漫画的な外見の奥に身近な怖さが残る。
パム・フェリスは子どもたちの本当の恐怖を保つため、撮影外では距離を置こうとした。しかし現場の子役たちは彼女を慕い、怖い校長のままでいる計画は完全には成功しなかった。画面の恐怖は子どもを現実に脅し続けた結果ではなく、信頼のある現場で作られた演技である。
トランチブルの水へ落ちるイモリは、すべて同じ小道具ではない。安全に扱える場面では本物を使い、口元へ近づいて飲み込む危険が出るカットではプラスチック模型へ替えた。動きの自然さと俳優の安全をショットごとに切り替えたため、一続きの騒動に見える。
トランチブルの顔は、パム・フェリスの表情を隠す一枚のマスクではない。鼻先や目袋を足し、顎や唇にも毛を置き、さらに上歯の片側だけを覆う義歯でエルヴィスのような歪みを作った。笑っても口元が左右対称にならないため、静止していても人物の乱暴さがにじむ。
子どもを閉じ込めるチョーキーの扉には、鋭い釘が内側へ突き出しているように見える。しかし撮影用の釘は触れても曲がるゴム製だった。照明と音で硬い金属に見せながら、俳優が狭い箱の中で動ける安全性を確保しており、恐怖の見た目と現場の構造は正反対である。
トランチブルの豪快な動きは、完全に無傷で撮れたわけではない。黒板消しの粉が目へ入り、パム・フェリスは病院で二度洗浄を受けた。さらにアマンダを三つ編みで回す装置のワイヤーが指へ力を集中させ、7〜8針を縫う負傷もした。軽い小道具でも反復と遠心力が危険へ変わった。
ハニー先生の家で、トランチブルが窓へ顔を押しつけ、息でガラスを曇らせる瞬間は偶然似たのではない。『ジュラシック・パーク』で子どもを追うラプトルへの目配せである。校長を単なる怖い大人ではなく、獲物を探す巨大な捕食者として見せる短い引用になっている。
撮影中、マーラ・ウィルソンの母スージーはがん治療を受けていた。ダニー・デヴィートとリア・パールマンは彼女を自宅へ迎え、映画や舞台へ連れ出して支えた。画面では冷たい両親を演じる二人が、現場ではもう一つの家族となり、完成作は亡くなった母へ捧げられた。
ハニー先生の家に残る父マグナスの肖像は、架空の俳優を撮ったものではない。そこに描かれている顔は原作者ロアルド・ダールである。物語の中では奪われた家族の記憶を示し、映画の外では作品世界を生んだ作者を見守る父の位置へ置く、静かな画面内カメオになっている。
現在は世代を代表する児童映画として親しまれるが、1996年の劇場公開時は期待した興行へ届かなかった。作品を長く生かしたのは、子どもたちが家庭で何度も見たVHSだった。繰り返し視聴によって台詞や場面が共有され、公開時の数字とは別の時間軸で観客を増やしたのである。
4K UHD版は古いマスターを拡大しただけではなく、オリジナルカメラネガを新たに4Kスキャンしている。Atmos音声に加え、2023年収録のダニー・デヴィートによる解説も入り、実物仕掛けや美術の細部を高精細で見直せる。修復版そのものが制作調査の新しい一次資料になった。
「フェリスは常に役のまま子役を本気で怖がらせた」という話がある。距離を置く意図はあったが、子役とは良好で通説は誇張。 一次資料で裏づけられるまでは、断定せず情報不足・要確認として扱いたい。
「母は完成映像を一度も見られなかった」という話がある。デヴィートが粗編集を見せたという回顧があり、完全否定はできない。 一次資料で裏づけられるまでは、断定せず情報不足・要確認として扱いたい。
「トランチブルはリシー・ダールの校長が直接モデル」という話がある。似た罰の逸話はあるが、人物造形の直接因果を示す一次資料待ち。 一次資料で裏づけられるまでは、断定せず情報不足・要確認として扱いたい。
「低圧ナトリウム灯がテレビの光を作る」という話がある。画面の色からの技術推定で、撮影照明記録がない。 一次資料で裏づけられるまでは、断定せず情報不足・要確認として扱いたい。