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1962年公開、ウラジーミル・ナボコフ自身が脚本に参加した小説の映画化で、キューブリックが英国へ製作拠点を移す契機となった作品である。ナボコフは長大な脚本を提出したが、映画はキューブリックと製作のジェームズ・B・ハリスによって大幅に再構成され、ピーター・セラーズの役も膨らませられた。企画の核心は当時のプロダクション・コードとカトリック系審査団体の監視にさらされ、性的関係を直接描かず、暗示とブラックコメディへ置き換える必要があった。キューブリックは後年、検閲上の困難を事前に理解していれば映画化しなかったかもしれないと述べている。製作費は同時代資料で約150万〜170万ドル、公開初週のニューヨーク興収は6万5,000ドルと報じられ、最終興収は資料により約370万〜925万ドルと幅があるため断定できない。危険な原作を映画化するために最も削られたのが、その危険性を正面から示す部分だったのだから、審査制度の仕事は実に器用である。
映画化権を取得した後も、当時のハリウッドではプロダクション・コードの認定を得られなければ主要配給網へ乗せにくく、出資者は企画を恐れた。ワーナーは資金提供と引き換えに音楽、配役、編集までの承認権を求めたため、スタンリー・キューブリックと製作者ジェームズ・B・ハリスは契約を断った。二人は別の出資を組み直し、最終編集権を確保したうえで製作へ進んだ。
参考情報:公開資料
最初にカルダー・ウィリンガムが脚色を試みたが、キューブリックはその稿に満足しなかった。続いて原作者ウラジーミル・ナボコフが渡米して長大な脚本を書いたものの、そのまま撮影できる分量ではなかった。最終的にキューブリックとジェームズ・B・ハリスが英国の屋根裏部屋で、原作、二人の脚本、自分たちの案から使える部分を選び、撮影稿へ組み直した。
参考情報:公式資料
撮影稿を大幅に書き直したスタンリー・キューブリックとジェームズ・B・ハリスは、自分たちの名前を脚本へ出さなかった。原作から大きく離れた映画に原作者ナボコフの名だけがあれば、改変への批判をかわしやすいと考えたためである。皮肉にも、その単独名義によってナボコフは1963年のアカデミー脚色賞候補になった。
参考情報:公式資料
映画はクイルティ殺害を冒頭へ移し、そこから四年前へ戻る構成を採った。原作通り殺人を終盤に置くと、ピーター・セラーズの喜劇的な場面が最後の印象になってしまう。製作者ジェームズ・B・ハリスは、成長したドロレスとの再会とハンバートの失意で物語を閉じ、観客の同情を主人公へ残すための再構成だったと明かしている。
参考情報:公開資料
当時のプロダクション・コード担当者は、成人男性と12歳の少女の関係を描く映画には認定を出せないという姿勢だった。そこで映画はドロレスを十代半ばに見せ、原作で使われる「ニンフェット」という語を外し、性的関係を直接示す要素を減らした。さらにクイルティを拡張して喜劇性を強め、危険な題材をブラックコメディーとして通す設計へ変えた。
参考情報:AFI(米)
製作者ジェームズ・B・ハリスは各州の婚姻法を調べ、若年婚が合法な州でハンバートとドロレスを結婚させる結末を検閲担当者へ提示した。「合法なことを不道徳として退けられるのか」という交渉材料にし、露骨な描写がなければ認定可能という反応を引き出した。しかし映画はこの結末を使わず、関係の破綻と再会を残した。
参考情報:資料・アーカイブ
ドロレス役には多数の少女が検討され、有名な若手俳優やその家族から辞退も相次いだ。スー・リオンも最初の面談では決定に至らなかったが、キューブリックがテレビドラマ『ロレッタ・ヤング・ショー』の出演回を見て評価を変えた。演技と作品のユーモアを理解する感覚を確かめ、再テストへ呼び戻した14歳の新人が主役になった。
参考情報:資料・アーカイブ
ハンバート役はジェームズ・メイソンが舞台予定のため一度断り、ローレンス・オリヴィエも出演に同意した後、代理人の助言で撤退した。デヴィッド・ニーヴンはテレビ番組のスポンサーへの影響を恐れて降板した。メイソンの舞台が中止になり、本人から役が空いているか問い合わせが来たことで、難航した主演選びがようやく決着した。
参考情報:資料・アーカイブ
スー・リオンは撮影時14歳で、映画公開時も未成年だった。米国では宗教団体との調整を受け、18歳未満を入場させないことが宣伝条件となったため、主演でありながら1962年6月のニューヨーク初公開へ参加できなかった。一方、同年9月のロンドン初公開には出席しており、国ごとの審査と宣伝条件の違いが本人の扱いにも表れた。
参考情報:AFI(米)
ハート形サングラスを掛け、赤いキャンディーを口元へ置く姿は映画史上もっとも有名な宣伝写真の一つだが、本編には登場しない。写真家バート・スターンは映画を見ないまま原作へ印を付け、スー・リオンと母親を連れて雑貨店へ行き、サングラスなどの小道具を選んだ。本編でドロレスが掛けるのはキャッツアイ型であり、後世の人物像は映画外の広告写真によって固定された。
参考情報:資料・アーカイブ
宣伝では、未成年だったスー・リオンが物語の被害者ではなく、年上の男性を誘惑する象徴のように前面へ出された。ハート形サングラスの写真は本編以上に流通し、俳優本人の公的イメージを長く拘束した。リオンは後年、14歳で性的な役のスターへ押し上げられたことが、同年代の少女には扱えない誘惑と負担を人生へ持ち込んだと振り返っている。
参考情報:資料・アーカイブ
キューブリックはピーター・セラーズに即興を促し、原作では出番の限られるクイルティを映画全体へ広げた。ホテルのバルコニーで話しかける男、学校へ現れるジームフ博士など、異なる声と身振りを持つ変装が追加され、ハンバートは気づかないまま同じ人物に追跡される。検閲で直接的な描写を減らした映画に、ブラックコメディーと監視される不安を同時に与えた。
参考情報:公開資料
即興の最初の勢いを複数カメラで押さえた。キューブリックは一部の場面を二、三台のカメラで同時に回し、その瞬間の演技を複数方向から記録した。即興の鮮度を守りながら、後の編集で角度を選べるようにした撮影方法である。
参考情報:公開資料(米)
撮影中の画像が新聞へ流出した際、キューブリックは日々のラッシュ管理に関わる撮影監督オズワルド・モリスを疑った。調査で現像所の若い助手が写真を売っていたと判明したが、モリスによれば監督から謝罪はなかった。撮影方針でも衝突していたモリスは、この出来事を決定的な理由として二度とキューブリックと仕事をしなかった。
参考情報:公開資料(英)
英国の撮影現場では、監督がショット、レンズ、フレーミングを決め、撮影監督が照明設計を実行する分業が認められていた。キューブリックはカメラ位置と画角を自分で選び、オズワルド・モリスに低照度の室内など難しい照明を求めた。『スパルタカス』で持てなかった画面の統制権を取り戻せる環境となり、以後の英国定住と制作体制にもつながった。
参考情報:映画専門誌(米)
ハンバートとドロレスは米国各地を旅するが、映画の撮影はすべて英国で行われた。住宅街、ホテル、病院、道路をスタジオと英国ロケで置き換え、左ハンドル車、看板、室内装飾を組み合わせてアメリカの風景を作った。製作は88日間、約180万ドルで予算内に収まり、この経験によってキューブリックは英国でも米国映画を作れると確信した。
参考情報:AFI(米)
キューブリックは当初バーナード・ハーマンへ音楽を依頼したが、製作者ジェームズ・B・ハリスの弟ボブが書いた主題曲を使うことが先に決まっていた。ハーマンは他人の曲を自分のスコアへ組み込む条件を受け入れず、企画から離れた。最終的にネルソン・リドルが劇伴を担当し、ボブ・ハリスの旋律を映画全体へ展開した。
参考情報:公開資料(米)
ハンバート、シャーロット、ドロレスがドライブインで見ているのは、ピーター・カッシングとクリストファー・リー出演の『フランケンシュタインの逆襲』である。映画本来の音をそのまま流すのではなく、三人の車内へ画面が切り替わる部分には別に録音した恐怖音を重ねた。怪物の出現へ怯える反応と、車内に潜む三角関係の不穏さを同じ音で結んでいる。
参考情報:公開資料(米)
クイルティの協力者として学校劇などに現れるヴィヴィアン・ダークブルームは、英字を並べ替えるとウラジーミル・ナボコフになる。原作でも使われたアナグラムで、作者の名を物語の周縁へ潜ませる仕掛けである。映画ではマリアン・ストーンが実際の人物として演じるため、原作者の分身が画面内からクイルティとドロレスを見守るような配置になった。
参考情報:資料・アーカイブ
原作の架空の序文は、ドロレスが出産時に死亡したことを物語の前に明かしている。映画ではこの枠組みを外し、終幕字幕で示すのはハンバートが裁判前に死亡したことだけである。終盤で妊娠したドロレスと別れた後、その未来を確定しないため、同じ再会場面でも原作よりわずかな生存の余地が残る。
参考情報:資料・アーカイブ(伊)
シャーロットの死後、ドロレスがハンバートの簡易寝台へ近づく場面は、米国のプロダクション・コード認定時に音声の一部と終わり方が短くされた。英国・豪州向けプリントには約十秒長い素材が残り、暗転する時点が異なる。直接的な映像を足した版ではないが、二人の関係をどこまで示すかが国別編集に刻まれている。
参考情報:AFI(米)
撮影中、主演のスー・リオンが扁桃炎で入院し、製作は四日間中断した。1961年3月の業界紙は、この短い停止だけで約2万2000ドルの損失が出たと報じている。主要場面を未成年の主演俳優へ集中させた日程だったため代替撮影が難しく、製作者はロイズの保険から補償を受けた。
参考情報:AFI(米)
ソフィア・コッポラは、若い頃に見た映画の影響を語る中で、ハンバートがドロレスを見つめる部分の編集を特に好きだと挙げた。本作の題材や人物像全体ではなく、視線を持つ人物と見られる人物を切り返しで結び、欲望を画面の順序へ変える方法に反応している。後世の女性監督が指摘した具体的な編集上の影響である。
参考情報:公開資料
アリ・アスターは『ロリータ』を最も繰り返し見た映画に挙げ、キューブリック版の重要な要素としてユーモアを指摘した。後年の別映画化がそのユーモアを外して悲劇へ寄せたことと比較し、キューブリックの笑いはコーエン兄弟へ続く系譜にも影響したと捉えている。クイルティの即興や不穏な言葉遊びが、後世の映画作家に残した一面である。
参考情報:公開資料
クイルティが変装時に使う一部の声を、ピーター・セラーズがスタンリー・キューブリック本人の話し方に似せたという説がある。後年に残された監督の音声と聞き比べると、語尾や間の取り方に似た部分はある。しかしセラーズまたはキューブリックが意図を説明した制作記録は確認できず、物まねだったとは断定できない。
参考情報:映画データベース(米)
ピーター・セラーズがクイルティの話し方を決められずにいた際、キューブリックがジャズ興行主ノーマン・グランツへ台詞を録音させ、その声が役作りの手掛かりになったという逸話がある。人物、役、工程が具体的なため追加検索したが、録音物や当事者証言、制作記録は確認できなかった。現段階では興味深い伝聞として扱う。
参考情報:映画データベース(米)
スー・リオンが年齢より身体的に成熟して見えたため、ドロレスを年上に見せられるとキューブリックが判断したという説明は広く転載されている。しかし追加検索で確認できたジェームズ・B・ハリスの証言は、テレビ出演で見せた演技とユーモアの理解を起用理由に挙げている。身体的特徴を決定理由とした当事者原文は確認できない。
参考情報:映画データベース
キューブリックの慎重な演出を示す数字として、一日に完成尺一分しか撮らなかったという説が流通している。しかし撮影日報や当事者の原文は確認できず、製作者ジェームズ・B・ハリスが明言しているのは、撮影が88日間で予算内に収まったことまでである。具体的な速度の伝説として保留する。
参考情報:映画データベース
冒頭で酔ったクイルティがハンバートを卓球へ誘い、殺人直前の緊張を不条理な遊びへ変える場面は、ピーター・セラーズが提案したという説がある。完成版で卓球そのものは確認できるが、セラーズの発案だと示す脚本稿、本人証言、制作記録は見つからない。場面固有の興味深い逸話として保留する。
参考情報:映画データベース(米)