主な参考資料
- 007公式サイト
- American Cinematographer
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1989年公開。イオン・プロ製作の007シリーズ第16作で、ティモシー・ダルトン版としては第2作にして最終作である。予算を抑えるためシリーズで初めて全編を英国外で撮影し、パインウッドの代わりにメキシコのチュルブスコ撮影所を使い、フロリダ・キーズとメキシコ各地で実景とスタントを組み立てた。原作短編の題名を使わない初のシリーズ作品でもあり、米国では当初の題名が運転免許証を連想させるとして変更された。北米興行はシリーズ最低水準に沈み、権利をめぐる訴訟も重なって次作まで6年空いた。ボンドのライセンスを消す映画を作ったら、シリーズの撮影許可までしばらく止まった格好である。
ダルトンはフレミングの荒さへ戻ろうとした。ティモシー・ダルトンは、装置より肉体と判断で動く原作のボンドを意識し、前作以上に暗く危うい人物像を押し出した。後年の硬質なボンド像を先取りしただけでなく、原作回帰という明確な演技方針があった。スーツ姿のヒーローを、少し危ない現場の人間へ戻す演技だ。
世界救済ではなく友人への復讐を軸にした。物語はフェリックス・ライターへの襲撃を起点に、ボンドが命令を外れて麻薬王へ近づく個人的な復讐劇として設計された。国家任務の枠を外すことで、ボンドの忠誠と危うさを同時に見せた。任務を外れた時にこそ、このボンドの顔がいちばんむき出しになる。
撮影後に題名を変更した。企画と撮影時の題名は『ライセンス・リヴォークト』だったが、公開前に『ライセンス・トゥ・キル』へ変更された。題名変更がポスターや宣伝物の作り直しまで生んだ、完成間際の大きな判断である。完成してから看板を掛け替えるような、ぎりぎりの改題だった。
フレミング作品名を使わない最初の本編だった。最終題はイアン・フレミングの小説や短編の題名から採られていない。シリーズ本編では初めての完全な映画独自題となった。原作の断片を使いながら、題名ではシリーズが自立した転換点である。
本編撮影を英国外だけで行った。本作はボンド本編で初めて、英国のスタジオを使わず全編を国外で撮影した。メキシコのチュルブスコ撮影所が主要内景を担った。シリーズの制作拠点そのものを移すことで、画面の暑さと異国感が生まれた。
メキシコ移転で約500万ドルを節約した。撮影監督アレック・ミルズの記事によれば、約3500万ドル規模を守るためメキシコ撮影を選び、概算で約500万ドルを抑えた。画面の選択が物語だけでなく予算構造から決まった具体例である。
停電対策の発電機まで燃えた。メキシコシティでは当初一日に四、五回の停電があり、自前の発電機を持ち込んだが、それ自体が燃えることもあった。完成画面からは見えない電力インフラの不安定さが、撮影時間を押し広げた。
主カメラは予備なしの一台だった。ロサンゼルスから持ち込めたパナビジョンのAカメラは一台だけで、予備がない状態をアリフレックスの別カメラで補った。大作シリーズでも機材供給が潤沢ではなかったことを示す。
照明の事前仕込みで毎朝の準備を縮めた。巨大セットの照明を前もってリグへ組み込み、通常四時間ほどかかる準備を二、三時間へ圧縮した。ロケ地の遅れを、照明設計と工程管理で取り戻した。
約一割を手持ち撮影にした。アレック・ミルズは全体の約一割を手持ちで撮り、主に格闘や切迫した場面へ使った。端正なシリーズ画面の中へ、復讐劇に合う揺れと近さを限定的に差し込んだ。
色光で場所ごとの危険を分けた。処理工場には赤い光、サンチェスの海辺の邸宅には白を重ね、衣装と美術も撮影側の色設計へ合わせた。南国を一色にせず、場所の権力と危険を色で整理した。
五つの班がメキシコ各地を同時進行した。本隊、第二班、模型、爆破、サメ場面など五つの班が並走し、広いロケを一本へまとめた。低めの予算を補うため、時間と専門性を分割して使った。
飛行機への移乗は実機と投げ縄で撮った。キーズでの冒頭は第二班が担当し、飛行中の小型機へボンドが移る動きを実機、ワイヤー、投げ縄の工程で組んだ。荒唐無稽な移乗が、空中での物理的な段取りに支えられている。
裸足の水上スキーには王者を起用した。水上から逃げるボンドの代役は、裸足水上スキーの選手デヴィッド・ラインハートが務めた。足元に道具が見えない離れ業を、競技技能で成立させた。
燃料に溶かす麻薬案は沿岸警備隊員から来た。コカインを燃料へ溶かして密輸する仕組みは、製作側の知人だった沿岸警備隊員の話が発想源になった。悪役の設備が単なる架空装置ではなく、取締り側の知識から組み立てられた。
タンクローリー戦に七週間を使った。ラ・ルモロサ峠のタンクローリー追跡は約七週間かけて撮影され、複数の改造車両と爆破を組み合わせた。終盤の長さと密度が、一本の道路で積み上げた撮影日数に対応する。
片輪走行用の傾斜装置は結局使わなかった。五トン級のタンクローリーを片輪で走らせるため傾斜リグを作ったが、レミー・ジュリアンは実車をランプへ当てて走らせ、リグを不要にした。安全装置を準備したうえで、熟練者が別の物理解法を選んだ。
飛行機からタンクローリーへの跳躍を三週間撮った。サイモン・クレーンが時速約70マイルのタンクローリーへ移るショットは、華氏120度近い暑さの中で三週間かけた。数秒の移乗に、速度、熱、車両と航空機の同期が必要だった。
変身ドレスには約160個の留め具を仕込んだ。パムが制服風の外装を外してドレス姿になる衣装は、約160個の留め具と面ファスナーを仕込み、ビーズ作業だけで約一か月かかった。一瞬の変身を、衣装部の精密な機構と手仕事が支えた。
ダルトン自身も爆発する車両から走った。ティモシー・ダルトンは終盤を含む複数の危険な動きを自ら演じ、爆発するタンクローリーから走るショットも担当した。硬質なボンド像が、表情だけでなく身体的な接近で作られている。
ジョン・バリーの長期担当がここで途切れた。音楽はマイケル・ケイメンが担当し、シリーズを長く支えたジョン・バリーの流れから意図的に違う硬い音を持ち込んだ。復讐劇の荒さが、主題だけでなくシリーズの音の交代にも現れた。
ダルトン三作目は興行不振だけで消えたのではない。本作後の空白には権利紛争、冷戦終結、アルバート・R・ブロッコリの健康問題が重なった。製作側はダルトン続投を望んだ時期もあった。『不振で即解雇』という単純な説明では、六年間の産業事情を取りこぼす。
007出演を果たしても、デル・トロの俳優人生はすぐ安定したわけではない。ベニチオ・デル・トロは、子どもの頃から親しんだ007シリーズへの出演を十四週間の大きな仕事として振り返っている。出演料を得て、父に「俳優としてやれている」と示せた一方、映画の後にはしばらく仕事が来なかったという。後年の活躍を知るほど、007出演後にも続いた不安定な時期が意外に響く逸話である。確定した制作記録ではないため、ダリオ役、若手時代のベニチオ・デル・トロと照らし合わせながら読むべき逸話である。