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1994年公開の、リュック・ベッソンが脚本・監督を務め、フランスのゴーモンが製作した英語作品であり、米国では『The Professional』の題で公開された。企画の出発点は『ニキータ』でジャン・レノが演じた「掃除屋」ヴィクトルであり、レノからこの人物を長編にしてほしいと頼まれたことがきっかけだったとベッソン本人が語っている。ベッソンは寡黙な殺し屋と対照になる相手を検討するうちに少女マチルダへ行き着き、その組み合わせがナタリー・ポートマンの長編映画デビューを生んだ。製作費は約1,600万ドル、世界興収は約4,526万ドルで、北米以外が半分以上を占める国際的な成功となった。大作を狙ってひねり出した企画ではなく、前作の脇役をもう少し見たいという主演俳優の一言から始まったのである。映画会社の企画会議より、俳優の未練のほうが長持ちすることもあるらしい。
劇場公開版は108分、1996年に公開された長尺版は133分である。追加された約25分には、マチルダがレオンの仕事に同行する訓練、レストランで思いを告げる場面、ロシアンルーレットをする場面などが含まれる。そのため短い版では保護者と子どもの関係に見えやすい部分が、長尺版ではより不穏で曖昧に映る。ベッソン自身は短い版も完成版と考え、長い方を「ディレクターズ・カット」ではなくファン向けの長尺版と説明していた。
参考情報:公式資料
『ニキータ』終盤には、任務の失敗を処理する「掃除屋」ヴィクトルが短く登場する。ベッソンはこの人物を数分で使い切るには惜しいと考え、同じジャン・レノを起用して孤独な殺し屋の物語へ発展させた。黒いコート、ニット帽、サングラスという外見も受け継がれ、本作の初期題は職業をそのまま示す『The Cleaner』だった。レオンは完全な新キャラクターでありながら、前作の脇役を別の人生へ作り直した存在でもある。
参考情報:資料・アーカイブ
ジャン・レノは、レオンを冷酷な大人ではなく、感情面では子どものまま止まった人物として組み立てた。殺しの技術には熟達している一方、読み書きや親密な会話には不器用で、マチルダから恋愛を持ちかけられても彼女を利用する発想そのものがない人物だと考えたという。無口さや戸惑いは格好よさだけの演技ではなく、危うい題材の中で二人の力関係を逆転させないための人物設計だった。
参考情報:インタビュー
ナタリー・ポートマンは最初の審査で、マチルダを演じるには幼すぎるとしてキャスティング担当から退けられた。しかし再度の審査で、弟を失った悲しみを語る場面を演じると、その集中力と感情の深さがベッソンを動かした。完成版でマチルダの復讐心を支える場面が、映画初出演となる配役を決める場面でもあった。よく流布する「2000人から選ばれた」という数字は確かな一次資料を確認できないため採用していない。
参考情報:公開資料
ポートマンの両親は出演を認める条件として、喫煙場面を限定し、本人が煙を吸ったり吐いたりする姿を映さず、マチルダが物語の途中で煙草をやめるよう求めた。ベッソンはその制限を受け入れ、レオンが喫煙をやめるよう注意し、マチルダが吸いかけの煙草を捨てる流れへ組み込んだ。子役を守るために設けられた撮影条件が、反抗的だった少女が他者の言葉を受け入れる変化として脚本に残った例である。
参考情報:公開資料
ゲイリー・オールドマンは「全員連れてこい」を普通の声で演じた後、録音担当へ大声を出すと先に知らせ、ベッソンを笑わせるためだけに絶叫する別テイクを撮った。本人は本作を現実そのままではなく、誇張を楽しめる大人向けのカートゥーンとして捉えていたという。ベッソンはその一回を気に入り、冗談のつもりだった演技を完成版へ採用した。短い叫びがスタンスフィールドの異常さを決定づけ、最も引用される台詞になった。
参考情報:映画ニュースサイト(日)
終盤の包囲場面で警察車両と制服姿のエキストラを道路いっぱいに配置していたとき、通りの向かいで本物の銀行強盗が起きた。店から出てきた人物は、目の前を埋める「警官」を本物だと思って撮影現場へ向かったという。撮影隊と見物人は一度そちらへ注目した後、何事もなかったように撮影へ戻ったとオールドマンは回想している。ニューヨークの一角を事件現場へ変えた映画の装置が、現実の事件へ作用した珍しい出来事である。
参考情報:公開資料
レオンのアパートは一つの建物に見えるが、外景と廊下はニューヨーク、室内はパリで撮影された。マチルダが家族の部屋を通り過ぎてレオンの扉へ向かう緊迫した廊下と、その先に広がる共同生活の部屋は別の国にある。入口側にはニューヨークの古い建物の質感を残し、長く使う室内側は制作を管理しやすいパリへ移した。扉の開閉、俳優の視線、光の方向をそろえることで、大西洋を挟んだ空間を一続きにしている。
参考情報:資料・アーカイブ
スタンスフィールドがマチルダの父へ異様に顔を近づけ、匂いを嗅ぐように動く場面で、父親役のマイケル・バダルコは何をされるか事前に知らされていなかったという。オールドマンは同じ場面をテイクごとに変えて演じたと伝えられ、相手役は次の動きを予測しにくかった。距離を詰められたバダルコの硬い表情には、役としての恐怖だけでなく、共演者の即興に対する実際の緊張も混じっている。
参考情報:映画データベース(米)
家族が殺されたことを隠し、レオンの扉をノックする場面で、ポートマンは必要な涙を出せなかったという。そこで目にミントオイルを使って涙を誘発され、その痛みを二度と味わいたくない一心で、以後は合図に合わせて自力で泣けるようになったと回想している。子どもの出演者へ現在なら慎重な判断が求められる方法であり、名場面の裏側を美談だけで扱えない記録でもある。
参考情報:映画データベース(米)
ポートマンは2018年の演説で、本作が公開された13歳の頃に性的なファンレターが届き、ラジオ番組が18歳になるまでのカウントダウンを始めたと語った。演技そのものより身体が注目される状況にさらされ、自分の安全と尊厳を守るため、体を隠し、発言や仕事上の表現を抑えるようになったという。鮮烈な映画デビューを成功談だけで語れないのは、作品の外で子役本人が負った負担が具体的に残っているためである。
参考情報:公開資料
ポートマンは、本作が自分のキャリアを生み、今も観客から最も多く話しかけられる作品の一つだと認めている。その一方で、大人の殺し屋と12歳の少女の間に置かれた含意には、現在見ると居心地の悪い側面があるとも語った。若い出演者として受けた機会を否定せず、公開後の性的対象化も含めて批判的に振り返る発言である。作品への感謝と問題意識をどちらか一方へ単純化しないことが重要になる。
参考情報:公開資料(仏)
本作で端役も演じたマイウェンは、マチルダとレオンの関係には、自身とベッソンの関係が影響していると語っている。一方、ベッソンは映画の二人を恋愛関係として描いたとの読みを否定し、感情面で未成熟な二人の物語だと説明した。さらに主演のポートマンは後年、作品への感謝と同時に、関係性の描写には居心地の悪い部分があると述べている。着想源、作者の意図、出演者の受け止めを分けて扱う必要がある題材である。
参考情報:公開資料
ベッソンは長年、成長したマチルダを主人公にする続編を構想し、オリヴィエ・メガトンにもその話をしていた。しかし権利関係などから企画は実現せず、少女が家族を奪われ、成長して殺しの技術を身につけ復讐する骨格は、ゾーイ・サルダナ主演の『コロンビアーナ』へ形を変えた。舞台も人物も新しく作り直されているため直接の続編ではないが、未制作脚本の発想が別作品へ移植された例である。
参考情報:公式資料
ベッソンはロバート・デ・ニーロへ脚本を送り、翌日の面会を告げられてパリから急いで飛行機へ乗り、約束の直前に到着したという。デ・ニーロは既に席で待っており、同種の犯罪者をマーティン・スコセッシ作品で何度も演じてきたため出演はしないと伝えた。その一方で、脚本が本当に良かったので本人へ直接そう言いたかったとも説明した。断るためだけに対面した配役交渉を経て、レオン役はジャン・レノへ戻った。
参考情報:公開資料(仏)
ベッソンは、パリで行われた『レオン』のプレミア上映が終わると、観客が拍手をせずに立ち去り、自分でも何が起きたのか分からないほどショックを受けたと回想している。後に長尺版が作られ、世界各地で再上映と商品化が重ねられる人気作となったが、地元の最初の観客から即座に歓迎されたわけではなかった。公開時の反応と後年の評価が大きく離れた作品である。
参考情報:公開資料
スタンスフィールドの部下ベニーを演じたキース・グラスコーは、俳優であると同時にニューヨーク市消防局第21はしご隊の消防士だった。大学ではアメリカンフットボールを経験し、俳優活動と消防の仕事を続けていた。2001年9月11日、世界貿易センターへ救助に向かい、南棟の崩壊で亡くなった。映画では無法な捜査官側に立つ人物だが、現実では人命を救う任務に就いていた。
参考情報:資料・アーカイブ
エリック・セラが本作の終幕用に準備した「The Experience of Love」は最終的に採用されず、エンドクレジットにはスティングの「Shape of My Heart」が使われた。セラは未使用曲を翌年、自身が音楽を担当した『ゴールデンアイ』へ持ち込み、そのエンドクレジット曲にした。完成した歌は別作品へ移った一方、基本となる旋律の一部は『レオン』の劇伴「The Game Is Over」にも残っている。
参考情報:公式資料
英国バンドAlt-Jの「Matilda」は、本作のマチルダとレオンの関係に触発されて書かれた。メンバーは、自分が直接経験できない物語でも映画から受けた感情を音楽へ変えられると説明し、本作をその代表例に挙げている。映画の結末を思わせる言葉も楽曲の核に置かれた。公開から18年後、殺し屋と少女の別れが別の世代の音楽として作り直された。
参考情報:公開資料
レオンは裏社会で仕事の後始末をする「掃除屋」と呼ばれる。彼の住む建物の一階にある店の窓には、漂白剤、石鹸、研磨剤など、本来の意味での清掃用品が目立つように並べられている。殺し屋を示す隠語と日用品の意味が同じ場所で重なり、正体を知らない通行人には普通の店先にしか見えない。制作意図を説明する証言はないが、本編で確認できる具体的な視覚上の言葉遊びである。
参考情報:公式資料
2024年に発売された番号入りの30周年限定版は、108分の劇場公開版と133分の長尺版を、新規4Kマスター、ドルビー・ビジョン、ドルビー・アトモスで同じ商品へ収録した。さらに224ページの書籍、エリック・セラの音楽を収めた2枚組レコード、出演者・スタッフのインタビューや未公開場面を含む約90分の映像特典が付く。どの版を見たかで印象が変わる作品を、映像・資料・音楽の三方向から確認できる商品構成である。
参考情報:公式資料
スタンスフィールドの部下を演じるのは、レゲエ歌手でもあるウィリー・ワン・ブラッドである。台本上は「スタンスフィールドの部下」のような扱いだが、仲間は彼を「ウィリー」、上司は「ブラッド」と呼び、出演者名を二つに分けて人物の呼称にした。さらに一家の部屋を捜索する途中、彼はバーニング・スピアのレコードを手に取って音楽の趣味を褒める。短い場面の中に、演じる人物の名前と音楽活動が二重に組み込まれている。
参考情報:公開資料