ラスト・アクション・ヒーローを配信で見られるサービスを、確認できた範囲で掲載しています。未確認のサービスは公式サイトで探せます。
1993年公開。新人ザック・ペンとアダム・レフが書いたアクション映画のパロディ脚本をコロンビアが買い、アーノルド・シュワルツェネッガーの参加後、シェーン・ブラック、デヴィッド・アーノット、ウィリアム・ゴールドマンらが次々に手を入れた。ジョン・マクティアナンは当初脚本を断ったものの、スタジオとスター主導の大型企画として監督を引き受け、公開直前まで追加撮影と編集が続いた。公称製作費にも4,750万ドルから8,500万ドル以上まで大きな差があり、同時期の『ジュラシック・パーク』との正面衝突もあって期待ほどの興行には届かなかった。映画業界の過剰を笑う作品が、脚本家の渋滞と宣伝費の膨張によって自ら同じ病気を実演してしまったのである。
少年がアクション映画の世界へ入り込むメタ構造が、『ラスト・アクション・ヒーロー』の大きな遊びだ。ジャンルのお約束を笑いながら、本気の爆発もやる二重構造の娯楽になっている。
アーノルド・シュワルツェネッガーは劇中映画のヒーローだけでなく、現実側の本人役としても顔を出す。スターイメージを自分で茶化すセルフパロディが大きな魅力だ。
『ジュラシック・パーク』の大旋風と同時期に公開されたことで、『ラスト・アクション・ヒーロー』は興行面で厳しい戦いになった。恐竜の革新に押された不運な公開タイミングも有名な文脈だ。
脚本にはシェーン・ブラックらの名前があり、アクション映画の型を自覚した会話が多い。爆発や銃撃の合間に、ジャンルそのものを突っ込む90年代のメタ感がある。
映画の世界に入った少年は、シルヴェスター・スタローンがターミネーターを演じたようなポスターを見る。現実の映画知識があるほど笑える世界線のズレだ。
ベネディクト役のチャールズ・ダンスは、義眼を小道具にした冷たい悪役を演じる。現実世界へ出た途端に強くなる映画悪役の危なさが見どころだ。
イアン・マッケランは、映画『第七の封印』を思わせる死神役で登場する。大作アクションの中に突然入る映画史ネタがかなり濃い。
主題歌的に使われたAC/DCの「Big Gun」は、映画の過剰なアクション気分をそのまま音にしたような曲だ。90年代大作らしいロック広告感が強い。
監督は『ダイ・ハード』のジョン・マクティアナンだ。アクション映画を作ってきた本人が、アクション映画のお約束を笑う内側からのパロディになっている。
古い映画館の魔法のチケットが、『ラスト・アクション・ヒーロー』で現実と映画をつなぐ鍵になる。CG装置ではなく、紙切れひとつで世界を越える映画館ファンタジーが効いている。
劇中映画の世界では、車も銃撃も現実より派手に成立する。少年がその不自然さに気づくことで、観客も映画のお約束を一緒に眺め直せる。
主演、監督、夏休み大作という条件が重なり、本作は公開前から巨大な期待を背負った。結果的に、作品の面白さ以上に宣伝規模とのギャップで語られやすい。
少年ダニー役のオースティン・オブライエンは、観客代表としてアクション映画の中へ飛び込む。ヒーローを横から突っ込む映画オタクの目線が物語を動かす。
パロディなのに、アクションの規模はかなり本格的なのが『ラスト・アクション・ヒーロー』だ。笑いのために小さくするのではなく、巨大な爆発を本当に見せる豪華な冗談として成立している。
映画世界では無敵だったキャラクターが、現実世界では傷つきやすくなる。設定の違いだけでなく、ヒーロー像そのものを揺らす現実の痛みが入ってくる。
題名の「ラスト」は、80年代型の筋肉アクションが終わりへ向かう空気とも重なる。今見ると、時代の変わり目に立つ自己批評タイトルにも見える。
本作には映画界のスターや有名人が顔を出す場面が多い。現実のハリウッドと劇中映画を混ぜることで、作品全体が映画祭みたいな遊び場になっている。
公開当時は興行面で苦戦したが、メタ映画として後から好む人も多い。失敗作の一言では片づけにくい、時代を先取りした変な大作でもある。
映画に登場する魔法のチケットを、宣伝用の実在アイテムと混同して「本当に映画世界へ入れるチケットが配られた」と語るネタがある。もちろん作品内のファンタジー設定として楽しむ話だ。
興行苦戦を『ジュラシック・パーク』だけのせいにされがちな作品が、『ラスト・アクション・ヒーロー』だ。公開タイミングは大きいが、宣伝、期待値、作品のクセも絡むため、恐竜だけで説明するのは雑だ。