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2025年公開で、吉田修一の同名小説を李相日が映画化した、『悪人』『怒り』に続く両者3度目の組み合わせであり、本編175分の大作である。李は『悪人』公開後から歌舞伎役者を題材にした映画を構想し、その話を受けた吉田が中村鴈治郎のもとで3年間黒衣として舞台裏に入り、完成した小説を読んで映画化が本格始動した。李は歌舞伎俳優ではなく映画俳優を主演に据える難題を選び、吉沢亮と横浜流星は鴈治郎の指導で撮影期間を含む約1年半稽古し、2024年3月から6月までの撮影では歌舞伎場面も吹き替えなしで演じた。上演場面には年代ごとに内装、観客の衣装や髪形まで変えられる巨大な劇場セットを築き、撮影監督ソフィアン・エル・ファニは客席から舞台を眺める定石を外し、手持ちカメラを舞台へ上げて俳優の肩越しに観客を捉えた。2026年7月公表値で国内興行収入208億円、観客動員1475万人に達し、邦画実写作品の歴代興行収入1位となった。三時間近い上映時間、伝統芸能、長期稽古という会議室なら削られそうな条件を全部抱えた映画が興行記録を塗り替えたのだから、今回は観客のほうが企画書より辛抱強かったのである。
李相日が歌舞伎映画を構想した出発点は、六代目中村歌右衛門の存在だった。約15年前、身体に障害を抱えながらも舞台では優雅さと凄みを放ち、女方としての人生が素顔にまで染み込んだ人物像に惹かれたという。その関心が、芸と人生の境界を失っていく喜久雄の原型になった。
参考情報:公式資料
最初の企画は、戦前から戦中、戦後を生きた女方の伝記映画として検討された。李相日は一、二年かけて調査したが、時代をまたぐ製作費と歌舞伎界の全面的な協力が必要になり、実現の見通しが立たず棚上げした。その後、吉田修一が同じ題材を小説へ育てたことで、映画化の道が開いた。
参考情報:公式資料(日)
吉田修一は小説執筆のため中村鴈治郎に相談し、自分用の黒衣の衣裳まで作ってもらった。約3年間、ほぼ毎月のように鴈治郎へ同行し、楽屋から舞台、奈落、花道の鳥屋までを行き来しながら、役者の椅子を運ぶ仕事も経験した。客席からは見えない動線を身体で知ったことが、芸道の世界を内部から描く土台になっている。
参考情報:公式資料
取材で蓄えた材料は、朝日新聞の連載として1年5か月かけて物語になった。吉田修一は歌舞伎俳優のすぐそばで得た経験を、そのまま記録にするのではなく、喜久雄と俊介の長い人生へ組み替えた。映画の原作は、短期間の取材メモではなく、舞台裏の観察と長期連載の二段階を経て完成している。
参考情報:公式資料
李相日は小説を読んだ段階で、喜久雄を演じられるのは吉沢亮しかいないと考えた。美しい顔立ちだけでなく、感情を簡単には読み切れず、内側と外側の境目が曖昧に見える点を重視したからである。断られれば企画そのものが成立しないほど、配役と主人公の設計が結び付いていた。
参考情報:公式資料(日)
李相日が最初に出演を打診した相手は吉沢亮本人ではなく、長く彼を担当してきたマネージャーだった。撮影前に長期の稽古が必要な役であり、俳優の能力だけでなく、仕事の組み方まで含めて引き受けられるかを確かめた。吉沢は結果として約1年半、ほかの仕事と並行しながら準備を続けた。
参考情報:公式資料(日)
吉沢亮と横浜流星の歌舞伎稽古は、撮影を含めて約1年半に及んだ。最初の3〜4か月は踊りへ進まず、重心を落として足を運ぶすり足を繰り返し、女方の身体を作るところから始めた。一つの所作を覚えるのではなく、立ち方と歩き方を日常の身体から変える準備だった。
参考情報:公式資料(日)
舞台場面の準備では、中村鴈治郎が歌舞伎の演技を、振付の谷口裕和が舞踊を指導した。吉沢亮と横浜流星は作品内で演じる女方の演目を選び、その型だけでなく、人物の人生が踊りへにじむところまで求められた。専門分野を分けた指導が、映画用の見せ方ではなく舞台上の身体を支えている。
参考情報:公式資料(日)
横浜流星は空手で鍛えたため、背筋を伸ばした真っすぐな姿勢が身体に染み付いていた。俊介を演じる稽古では、その強さを前に出すのではなく、肩を落として女方の柔らかな線へ変えることに苦労したという。運動能力の高さがそのまま有利になる役ではなく、既存の身体習慣をほどく作業が必要だった。
参考情報:公式資料(日)
歌舞伎の舞台場面には実際に観客役のエキストラを入れ、吉沢亮と横浜流星が演目を踊る姿をその場で見せた。監督は踊りを短いカットへ細切れにせず、最初から最後まで演じさせたうえで撮影した。俳優はレンズだけでなく客席の視線も受け、劇中の歌舞伎俳優と同じ緊張を背負った。
参考情報:公式資料(日)
歌舞伎場面の撮影には、重い衣裳とかつらを着けたまま一日を通して演じる日もあった。舞台なら数時間で終わる装いを、映画では照明やカメラ位置を変えながら何度も繰り返す。見栄えのよい一瞬だけを切り取るのではなく、身体の消耗を含む長時間の撮影だった。
参考情報:公式資料(日)
撮影開始から約1週間後、吉沢亮は台本を繰り返し読む方法を止め、喜久雄が置かれた状況を身体で追体験する方向へ切り替えた。緊張で手が震える場面では、震えを演技で足すのではなく、実際に手が震える状態まで身体へ負荷をかけたという。役の感情を外から説明せず、生理的な反応として画面へ残す試みだった。
参考情報:公式資料(日)
吉田修一は吉沢亮に、スターは現場へ緊張を生む一方、笑顔になると周囲を一気に安心させると伝えた。その性質を喜久雄へ重ね、苦しい状況でも笑う人物として演じてほしいと助言したという。撮影後に映像を確認すると、吉沢自身も意識せず笑っていた場面があり、原作者の観察が表情の設計へつながった。
参考情報:公式資料(日)
屋上で春江が喜久雄へ問いかける場面は、三回目のテイクで台詞が変わった。李相日は森七菜にだけ「どこ見てんの?」と尋ねるよう指示し、吉沢亮には返答を教えなかったため、「どこ見てるんやろう?」という反応がその場で生まれた。そのテイクが完成版に使われている。
参考情報:公式資料(日)
喜久雄の背中の入れ墨は、転写シールだけで済ませず、撮影時のおよそ8割を肌へ直接描いた。作業には毎回約4時間かかり、吉沢亮は午前2時ごろに現場へ入り、うつ伏せのまま動かず完成を待った。衣裳との摩擦で絵が崩れる危険もあるため、演技の前から長い準備が必要な特殊メイクだった。
参考情報:公式資料(日)
現役の歌舞伎俳優である中村鴈治郎は劇中へ出演するだけでなく、歌舞伎指導も担当した。原作者の取材段階から映画の舞台表現まで関わり、俳優の所作を歌舞伎の内側から支えた。国立劇場で行われた対談でも、撮影場所と指導の両面から作品との関係が語られている。
参考情報:公式資料
撮影監督ソフィアン・エル・ファニは手持ち撮影を得意とするが、全編を同じ方法では撮らなかった。人物の内側へ迫る必要がある場面だけで手持ちを選び、歌舞伎の舞台や建築を見せる場面では別の安定した視点を使った。撮影方法の違いが、芸の外形を見る瞬間と、その中で揺れる人物を見る瞬間を分けている。
参考情報:公式資料(日)
ソフィアン・エル・ファニは日本語も韓国語も理解しないが、台本を読み、俳優の呼吸や体温から場面を捉える撮影監督だった。李相日は、歌舞伎への先入観がない外国人の視点なら、伝統美を既知の型として処理せず、新しく発見できると考えた。文化的な距離そのものを映像設計へ利用した人選である。
参考情報:公式資料
照明の中村裕樹は約1年半の準備期間に歌舞伎を観て、資料を読み、舞台照明の変化を調べた。劇場外の場面では照明を派手にせず、現実の重さが残る抑制した光を基調にした。華やかな舞台との落差を、色調だけでなく光の密度から作っている。
参考情報:公式資料
撮影日は朝、俳優がメイクと衣裳へ入る前に、監督、撮影、照明など主要スタッフが場面の動きを確認した。その後にカメラと照明を組み、衣裳を着けた俳優とのリハーサルで細部を調整した。重い歌舞伎衣裳のまま長時間待たせず、複雑な舞台撮影を組み立てる手順である。
参考情報:公式資料
幼い喜久雄が暮らす長崎の料亭は、東映京都撮影所で最初に建てた大規模セットだった。外の雪が返す冷たく柔らかな昼光を室内へ入れ、時間が進むと琥珀色の電灯へ切り替える一方、天井を画面へ入れられるよう照明器具を隠した。少年時代の寒さと室内の古い生活感を、一つの建築内で両立させている。
参考情報:公式資料
1960年代から始まる室内には白熱電球の色を残しつつ、撮影速度を保つためアプリで制御できるLEDも組み合わせた。新しい機材を見せるのではなく、古い電灯の不均一さを再現するために使っている。時代設定と撮影現場の機動性を、異なる世代の光源で両立させた。
参考情報:公式資料
出石永楽館で撮影した「二人藤娘」では、通常なら閉じて使う二階の木窓を開けた。舞台の琥珀色の光へ外から青い光を混ぜ、古い芝居小屋の空気と映画独自の色彩を同時に作った。実在の劇場をそのまま記録するのではなく、建物の構造を照明装置として使っている。
参考情報:公式資料
喜久雄と春江の会話は、脚本段階では夜のバルコニーだったが、ロケ地のホテル屋上へ変更された。撮影当日に薄暮の光を生かす方針が決まり、冷たい空の明るさへ階段室からの白熱灯を混ぜ、限られた時間に手持ちで撮った。台詞だけでなく場所と時間帯まで、現場で得られる光から組み直された場面である。
参考情報:公式資料
劇中の歌舞伎舞台は、若い時代ほど背景色を抑え、喜久雄が頂点へ近づくにつれて色を鮮やかにした。照明の青も年代ごとに調整し、最終舞台ではフルカラーLEDを使っている。同じ伝統芸能の舞台でも、時間の経過と主人公の位置を色彩の変化として組み込んだ。
参考情報:公式資料
横浜流星が演じる「曽根崎心中」では、上方から強い光を落とし、顔に深い影が出る照明を選んだ。女方を均一に美しく見せるのではなく、人物が背負う不穏さと切迫感を顔の陰影へ移した。舞台照明が化粧を見せるためだけでなく、劇中人物の状態を変える演出になっている。
参考情報:公式資料
終盤の「鷺娘」では、正面から雪を照らしても粒が画面に浮かばなかった。撮影班はその日のうちに東京からムービングライトを取り寄せ、背後から光を当てて雪の輪郭を出した。白い舞台を明るくするだけでは見えない降雪を、逆光へ切り替えて成立させている。
参考情報:公式資料
「鷺娘」で喜久雄を追うムービングライトは、自動追尾ではなく人が手で操作した。俳優の動きへ完全に一致させず、わずかに遅れたり外れたりする揺らぎを残すためである。最後には顔を強く正面から照らし、肌の質感まで隠さず映す光へ変わる。
参考情報:公式資料
日乃本座のセットは東映京都撮影所第11ステージ全体を使い、高さ約10メートルまで建てられた。古いスタジオ床の耐荷重が不明だったため、美術部と鉄骨職人が荷重を受ける鋼材を組み、トラスや大幕を安全に吊れる構造を作った。客席の豪華さの裏側には、撮影所そのものを補強する工事がある。
参考情報:公式資料
日乃本座には正面二台、側面と花道側に二台、計四台のフォロースポットを配置し、専門のオペレーターが操作した。李相日は舞踊を途中で止めずに通して撮るため、光を当てる側も俳優の動きに合わせて一演目を走り切る必要があった。映画セットに実際の劇場運用に近い照明体制を持ち込んでいる。
参考情報:公式資料
日乃本座は一階客席を実物で建て、二階と三階の客席をCGで延長した。フォロースポットの高さと角度は、六段の足場を仮設して確かめ、美術図面にも位置を反映した。後から足す上階であっても、舞台へ届く光だけは撮影時に物理的な高さを計算している。
参考情報:公式資料
俊介と春江が逃げる場面は、脚本では俊介が春江の手を引く動きだった。撮影では春江が俊介を引く形へ変え、「曽根崎心中」の道行を現実の二人へ重ねた。歌舞伎の演目を別枠の舞台場面にせず、登場人物の身体関係へ戻す変更である。
参考情報:公式資料
人物の瞳を輝かせるためだけの照明は置かず、雪の反射や舞台のスポットなど、その場所に存在し得る光からキャッチライトを作った。顔を美しく整える目的の光を足さないことで、舞台上の華やかさにも物理的な根拠を残した。喜久雄の瞳の光は、周囲の空間と切り離されていない。
参考情報:公式資料
日乃本座のVFX用計測では、地上型レーザースキャナーと歩行型スキャナーを併用した。35地点と108枚のパノラマを記録し、点群は合計3億8042万1137点に達した。木造風の客席や舞台を細部まで三次元化し、実物セットの上へCG階層を正確につなぐ基礎データにしている。
参考情報:公式資料(日)
VFXの中心は劇場上階の拡張と観客の追加だった。高精度の三次元計測を使うことで、CGの人物が座席からずれたり、空中へ浮いたりする配置ミスを防いだ。大勢の観客を足す作業でも、劇場の建築と一人ずつの位置関係を基準にしている。
参考情報:公式資料(日)
当初は映画のヘアメイク班が歌舞伎化粧も担当する計画で、豊川京子は練習まで進めていた。しかし、専門家ではないまま俳優の顔へ施すのは失礼に当たると判断し、歌舞伎の顔師を入れるよう求めた。振付側も賛同し、日比野直美が加わる体制へ変わった。
参考情報:公式資料(日)
歌舞伎化粧は通常、二、三時間の舞台を前提にしているが、映画では最長約10時間の撮影と接写に耐える必要があった。汗で崩れにくい硬い鬢付け油を使い、照明とカメラが近づいても質感を保つ方法を探った。伝統的な見た目を維持しながら、映画撮影の時間へ合わせて材料を調整している。
参考情報:公式資料(日)
劇中のかつらには三、四キロあるものがあり、銅の台金、毛、簪を重ねた最重量級は約5キロに達した。連獅子には毛を大きく振るためのばね機構も組み込まれている。俳優はその重さを頭部で支えながら、長時間の踊りと撮影を続けた。
参考情報:公式資料(日)
原摩利彦はヴィオラ・ダ・ガンバやチェロの音を歪ませ、「カタストロフ」、メインテーマ、終曲「Luminance」へ同じ響きを忍ばせた。曲ごとに楽器を替えるだけでなく、加工した音色を反復して、喜久雄の人生に連続する不穏さを作った。冒頭と結末は別の曲でありながら、同じ音の記憶で結ばれている。
参考情報:公式資料(日)
喜久雄の父が死ぬ場面には、ペルシャの打弦楽器サントゥールが使われた。万菊の最後に聞こえる電子音のような響きも、同じ楽器の音程を加工したものである。舞台の魔に取りつかれた二人を、画面上の説明ではなく共通する音色で結び付けている。
参考情報:公式資料(日)
メインテーマはAとBの二つの旋律から成り、喜久雄と俊介の関係に対応する対旋律として組まれた。どちらか一人だけの英雄的な主題ではなく、二人が並び、離れ、互いを照らす構造を音楽へ移している。旋律が重なる部分に、競争と継承が同時に存在する。
参考情報:公式資料(日)
李相日、原摩利彦、音楽プロデューサー杉田寿宏は、2024年11月から京都で5回の合宿を行い、合計4週間以上を劇伴作りに使った。原は約3時間の無音の編集版を見てから主題を書き始め、形になるまで一、二か月を費やした。各曲は最初の一音から消える瞬間まで三人で検討された。
参考情報:公式資料(日)
「継承」の弦楽録音では、楽器の弦を通常より緩め、ごく小さな音を出した。音量が足りないためヴァイオリンとヴィオラの奏者は立ってマイクへ近づき、その繊細な響きをシンセサイザーと重ねた。整ったオーケストラ音ではなく、張力の揺らぐ生音から人物の不安定さを作っている。
参考情報:公式資料(日)
若い喜久雄と俊介が万菊の「鷺娘」を見る場面は、当初は原摩利彦の劇伴を前面に出す予定だった。音響の白取貢が歌舞伎音楽も強く残す案を出し、二種類の音がぶつかる構成へ変わった。その混在が、伝統芸能の世界と映画独自の感情を一つの場面へ置く基準になった。
参考情報:公式資料(日)
日本映画製作者連盟は、本作を第98回アカデミー賞国際長編映画賞の日本代表に選んだ。これは各国が一本を出品する段階であり、同部門の最終ノミネートを意味しない。本作は国際長編映画賞の候補には残らなかったため、「日本代表」と「アカデミー賞ノミネート」を区別する必要がある。
参考情報:公式資料
第98回アカデミー賞では、歌舞伎化粧とかつらを担当したチームがメイクアップ&ヘアスタイリング賞へノミネートされた。同部門で日本映画が候補になったのは初めてである。ただし受賞作は『フランケンシュタイン』であり、本作は受賞していない。
参考情報:アカデミー資料(米)
海外での世界初上映は、2025年のカンヌ国際映画祭・監督週間で行われた。公式掲載の国際題は「KOKUHO」、フランス語題は「LE MAÎTRE DU KABUKI」で、上映時間は174分と記録されている。日本の歌舞伎世界を描く長編が、一般公開前に海外の観客へ披露された。
参考情報:公式資料(仏)
公開後は長期上映となり、東宝の2026年2月期決算説明資料では興行収入206億4000万円に達した。歌舞伎を題材にした約3時間の作品が、実写日本映画として記録的な規模まで観客を集めた。作品の技術的評価だけでなく、公開後の受容そのものが異例の結果になっている。
参考情報:公式資料(日)