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2013年公開。高畑勲にとって『ホーホケキョ となりの山田くん』以来14年ぶりの長編監督作であり、企画から完成まで8年、製作費約50億円を投じた大仕事である。背景と人物を別々に仕上げる通常のセルアニメ方式を離れ、一枚の絵全体が動くような線を求めたため、既存の制作体制では収まらず、本社近くに専用の「スタジオ7」まで設けられた。主要な台詞は2011年に先行収録され、アニメーターは朝倉あきらの声を聞きながら人物像を作り込み、完成までさらに約2年を費やした。当初は『風立ちぬ』との同時公開を予定していたが制作が間に合わず、公開は同年11月へ延期され、日本映画製作者連盟の集計では国内興行収入24.7億円となった。素朴な筆致を得るために大金と長年月を投入するあたり、簡素に見える映像ほど制作現場は少しも簡素ではない。
企画から完成までには約8年が費やされ、製作費は公開時に約50億円と報じられた。一般的なセルアニメより情報を減らしたように見える画面だが、線の太さ、余白、水彩のにじみ、人物の動きを一本の様式へ揃える作業は簡略化ではなかった。高畑勲と田辺修が一つずつ判断を重ねた結果、軽やかな映像を作るために長い時間と大きな制作体制が必要になった。
参考情報:公開資料(日)
日本テレビ元会長の氏家齊一郎は、高畑勲の新作をもう一度見たいという思いから、長期化していた企画を強く支援した。絵コンテさえ予定どおり進まない制作を継続するには、完成時期や採算とは別の判断が必要だった。氏家は2011年に亡くなり完成作を見られなかったが、映画の製作クレジットにはその名が残された。
参考情報:公式資料(日)
2012年、増え続けるスタッフを収容するため、スタジオジブリは本社近くの別棟を借りて第7スタジオと名づけた。中心となったのは、田辺修の線へ合わせられるよう外部から集めたアニメーターたちである。同じ時期に本社では『風立ちぬ』が進んでおり、二本の大作が別々の制作文化を持つ現場で並行していた。
参考情報:公式資料(日)
第7スタジオの制作後半にはカメラが入り、933日間の記録が長編ドキュメンタリーにまとめられた。そこには、熟練者を集めても監督の求める画面を共有できない場面、制作の停滞、同日公開計画の断念、完成直前の作業が含まれる。完成作の美しさだけで覆わず、制作が成立するまでの不安定な時間も公式商品として残された。
参考情報:公式資料(日)
宮崎駿の『風立ちぬ』と高畑勲の新作は、当初2013年夏に同日公開する計画だった。二人の作品を並べる構想は、1988年の『となりのトトロ』『火垂るの墓』を想起させる。しかし第7スタジオでは絵コンテと作画が間に合わず、計画は断念された。『風立ちぬ』が7月に公開された後、こちらは4か月遅い11月23日に劇場へ届いた。
参考情報:公式資料(日)
画風は題材より先に決まっていた。高畑勲は前作の後から、線の向こうにある実在を観客自身に想像させるアニメーションを次作で追求しようとしていた。先に田辺修の線と芝居を生かす方針があり、その方法で人間の生を描ける題材として古典が結びついた。
参考情報:公開資料(日)
高畑勲は『ホーホケキョ となりの山田くん』を終えた時点で、次の長編には田辺修しかいないと考えていた。『平家物語』、アイヌ民話、宮沢賢治作品などが検討されたものの、田辺が絵を描かなければ映画は進めない方針だった。原作よりも先に、一本の線で人物の実感を生むアニメーターの存在が企画の成立条件になっていた。
参考情報:公開資料(日)
田辺修は自分が高畑作品のためにジブリへ残っていると語りながら、約一年半にわたり人物造形を出せずにいた。西村義明は本命企画を催促する代わりに、山本周五郎『柳橋物語』を見せた。田辺がB4用紙二枚に人物の顔を描くと、西村はそれを高畑へ運び、別企画なら描けるという事実で現場を刺激した。この回り道が、停滞していた共同制作を動かした。
参考情報:インタビュー(日)
高畑勲と田辺修の共同絵コンテは、人物の顔や世界設定を描きながら決める方式だった。既存の設定へ画面を当てはめるのではなく、竹はなぜ光るのか、家から森までどれほど離れているのかを場面ごとに検証したため、最初の約30分を作るだけで1年半が過ぎた。同じ速度なら二時間の映画に6年かかる計算であり、制作期間の長さは絵コンテ段階ですでに決まっていた。
参考情報:公開資料(日)
原作の「もと光る竹なむ一筋ありける」は、物語として読めば説明を必要としない。しかし高畑勲は、姫が光源なら厚い真竹を光が貫通できるのかと疑い、絵コンテを止めた。約2か月後、姫がいる筍の先端から外側へ光を放ち、その光が近くの竹の根元を照らす設計に決めた。幻想を曖昧にせず、現実の光として組み立てた冒頭である。
参考情報:公開資料(日)
翁の家に約3か月。家から庭へ、庭から森へ、子どもたちが走る道へと、場面ごとの動きを成立させる距離と方角を決める必要があった。素描風の背景でも空間関係は省略せず、人物が実際に生活できる一続きの地理へ整えるまで約3か月を費やした。
参考情報:公開資料(日)
初期脚本には約3時間半の分量があり、ページ数は183に達していた。完成へ向けて138ページまで圧縮されたものの、本編は約137分となり、スタジオジブリの長編でも最長級である。削減では物語の骨格を消すのではなく、後に別候補で扱う直接的な台詞などを外し、観客が映像から意味を受け取る余地を残した。
参考情報:公式資料(日)
主要な声は作画前に録音するプレスコ方式で作られた。田辺修は赤ん坊の姫を描けても、成長した姫がどのように笑い、どの顔で怒るのかを決められずにいた。そこで俳優の声を先に用意し、台詞の間、呼吸、声の揺れを人物の表情と動作へ移した。演技は絵に合わせた付加物ではなく、作画の設計資料になっている。
参考情報:公開資料(日)
翁役の地井武男は先行録音の場で「姫、おいで」と呼び、抱き上げた幼い姫へ口づけする芝居を加えた。完成した絵へ声だけを合わせる方式なら、動作まで変えることは難しい。しかし映像が後から作られるプレスコだったため、泣きながら抱きしめ、何度も接吻する翁の身体表現として作画へ取り込まれた。
参考情報:公開資料(日)
翁役の地井武男は公開前の2012年に亡くなり、その後、完成直前の調整で一部の台詞と息づかいを録り直す必要が生じた。制作側は地井の演技を全面的に置き換えず、約六場面だけを三宅裕司へ依頼した。三宅は地井の声をまねるのではなく、すでにある人物像を壊さない範囲で不足部分を補い、公式クレジットには二人の名が残った。
参考情報:公式資料(日)
実制作の初期段階で作画に入っていたのは、安藤雅司、橋本晋治、松本憲生、濱田高行、佐々木美和の五人だった。完成時の大規模なスタッフ表とは対照的に、最初は田辺修の独特な線へ適応できる外部アニメーターを少数ずつ口説いて集めている。絵コンテが約100ページまで進み、第7スタジオが整うにつれて人員を増やした。
参考情報:公開資料(日)
幼い姫は短時間で急成長するが、身体の動きまで記号的に処理されてはいない。担当アニメーターと田辺修は、動画サイトの乳児映像、濱田高行の子ども、高畑勲の孫を撮った家庭映像を観察した。這うときの腹の位置、手足の遅れ、抱き上げられた体の柔らかさを現実から取り込み、幻想的な成長場面へ生々しい乳児の感触を与えた。
参考情報:公開資料(日)
都を飛び出して山へ駆ける姫の表情について、高畑勲は憎しみと悲しみが同居する阿修羅像のような顔を求めた。担当した橋本晋治は、一枚の表情を保ったまま走らせず、フレームごとに顔を変化させた。髪、衣、身体の輪郭も振動し、感情が頂点へ達したときに線そのものが形を保てなくなる作画になった。
参考情報:公開資料(日)
一般的な劇場アニメでは基準となる作画フレームを共有するが、本作はカットごとに異なる小さな枠を使った。制作打ち合わせでは田辺修が40、80といったサイズを指定し、担当者はその枠へ合わせて原画を描いた。小さな紙面で引いた線を劇場用の画面へ拡大することで、鉛筆の濃淡、かすれ、手の速度を太く生々しい痕跡として残している。
参考情報:公開資料(日)
鉛筆線へ水彩がにじむ画面を保つため、田辺修は新しい人物や動物が登場するたびに水彩表現を提案した。しかし数千枚を同じ方法で塗るのは現実的ではない。制作側は一枚だけ紙に描いた水彩素材をスキャンし、デジタル上でテクスチャーとして貼る、または加工して動かす方法を選んだ。手仕事の不均一さを素材として取り込み、工程全体はデジタルで制御している。
参考情報:公開資料(日)
男鹿和雄は、田辺修が引いた人物の線を濃い背景で埋没させないよう、透明水彩を選んだ。通常なら質感や奥行きを足すために増やす筆数を意識して減らし、紙の白さを画面の一部として残した。人物セルと背景画が別々に重なって見える状態を避け、一本の線と一滴の色が同じ空気を作るよう美術を整えている。
参考情報:公式資料(日)
多数のアニメーターを集めても、完成画面では田辺修の線と芝居が一貫して見えなければならない。制作はレイアウト、ラフ原画、原画という三段階のチェックを設け、田辺が各段階へ手を入れた。初期は担当者にかかわらずほぼ全面修正となり、進行を遅らせながらも一人の手で描かれたような統一感を守った。
参考情報:公開資料(日)
捨丸とかぐや姫が空を飛ぶ場面は、絵コンテ上では終盤に完成したが、制作はその約二年前から始まっていた。高畑勲が求めたのは、背景を横へ滑らせるだけの飛行ではなく、人物の視点が空間を抜けていく主観カメラである。百瀬義行がCGで仮映像を作って移動を設計し、その骨格へ田辺修の線と淡彩の画面を重ねた。
参考情報:公開資料(日)
初期脚本では、姫が捨丸とともに四季や人々の暮らしを巡り、地球で得られなかった幸福を味わう場面として飛翔が書かれていた。CGの仮映像と絵コンテを重ねる間に、場面の中心は地球の紹介から二人の再会へ移った。完成版では空へ上がるほど感情が高まり、突然の落下によって、幸福が永続しないことまで一続きに描く。
参考情報:公開資料(日)
高畑勲は飛翔場面を主観カメラで描きたいと考え、同じ感覚を持つ既存作品がないか西村義明へ尋ねた。西村が見せたのはアニメーションではなく、身体の自由を奪われた主人公が想像の中で空を飛ぶ実写映画『海を飛ぶ夢』だった。窓から外へ抜け、地形を越える感覚が、姫と捨丸の解放を描く動きの手掛かりになった。
参考情報:インタビュー(日)
絵コンテを描き終えた段階では、最後に映るのはまん丸な月だけだった。高畑勲はそれでは画面も物語も締まらないと考え、約1か月にわたり最後の一枚を探した。完成間際に加えたのが、月面に幼い姫が浮かび、観客の側を向くカットである。地上の記憶を忘れたはずの姫と、最初に地上へ現れた生命を同じ月へ重ねた。
参考情報:公開資料(日)
都の屋敷で姫が頼る山里の箱庭は、企画会議ではインターネットに似た仮想的な避難所として考えられた。現実の山へ戻っても捨丸たちは去っており、失った暮らしをそのまま取り戻すことはできない。そこで姫は、理解者である媼のそばに故郷の縮小模型を作り、傷つかずに済む場所へ閉じこもる。古典の舞台に現代的な孤立を埋め込んだ小道具である。
参考情報:公開資料(日)
月からの迎えを明かした姫が翁へ謝る場面には、完成版にない長い続きが書かれていた。内容は、たとえ誰かの所有物のように扱われ、辛く悲しい人生を歩むことになっても、それ自体が生きることだというものだった。作品の主題を直接言葉にした台詞だが、高畑勲は説明が露骨すぎるとして削除し、姫の葛藤を表情と間へ戻した。
参考情報:公開資料(日)
高畑勲は久石譲へ、人物が泣けば悲しい曲、走れば速い曲というように、状況へ音楽を貼りつけないよう求めた。目標は音楽を減らすことではなく、観客の感情を外側から煽らず、画面を受け取る余地を残すことだった。久石にとってもこの仕事は転機となり、以後は音楽の主張を抑えて映画を支える考えが強くなった。
参考情報:公開資料
月の迎えは地上の人々にとって喪失だが、天人には悲しむ理由がない。高畑勲はその論理から、別れの情感を強める曲ではなく、サンバのように陽気で悩みのない音楽を久石譲へ示した。雲上の楽隊は清らかで楽しげなまま姫の記憶を奪う。音楽と人物の感情を一致させないことで、悪意のない月の世界を恐ろしくした。
参考情報:公開資料
二階堂和美は高畑勲と会い、完成前の物語だけでなく、表現の「にじみ」や、完全な新しさより根にある感覚をどう伝えるかについて話した。そこで共有した問題意識から「いのちの記憶」を作詞・作曲し、自ら歌唱した。映画の場面ごとに説明を加える曲ではなく、地上で生きた記憶と生命の連続をエンドクレジットで受け止める一曲になった。
参考情報:公式資料
トム・ムーアは『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』と同じ年に本作を見て、粗く表現的な鉛筆線に強い刺激を受けた。手描きアニメーションはデジタル映像のように滑らかに整えるだけでなく、絵画が写真の登場後に表現を広げたように、線そのものを実験できるという考えである。その理念は『ウルフウォーカー』の紙と鉛筆を感じさせる画風へ受け継がれた。
参考情報:公開資料
御門が背後から姫を抱き、姫が姿を消す場面を追うと、床へ落ちた衣が次のカットでなくなり、その後の画面で再び現れる。透明化や月の力を示す演出ではない。西村義明は完成後の取材で、直す時間がなく残ってしまった連続ミスとしてこの箇所を挙げている。
参考情報:公開資料(日)
高畑勲は1999年の『十二世紀のアニメーション』で、絵巻物が人物の動作、時間の経過、視点の移動を一枚の長い画面へどう収めたかを分析した。相模が姫へ絵巻を広げる場面は、監督が長く研究した表現を劇中の教育道具として置いたものでもある。本作は古画の外見を再現するのではなく、線を追う観客の頭の中で動きが立ち上がる仕組みを長編アニメーションへ移した。
参考情報:公式資料(日)
都で姫が身につける重ね着や、簾越しに求婚者と向き合う配置には、平安貴族の衣服と対面作法が取り入れられている。簾の前へ衣だけを見せる場面も、本人が直接姿をさらさず在室を伝える表現として読める。ただし、色目・層数・儀礼の対応を公開するには服飾史資料での照合が必要である。
参考情報:映画データベース(米)
「成長した姫が生姜の花の間で見つける小さな人形は、幼い頃に背負った子どもが持っていた人形と同じに見える」という話がある。ただし、現時点で当事者資料や制作記録まで裏付けはそろっていない。生姜の花の人形は幼い友達の持ち物かに関する手がかりは残るが、現段階で断定はできない。
参考情報:映画データベース(米)
「姫の着物には、竹の花を図案化した模様が用いられているとされる」という話がある。ただし、現時点で当事者資料や制作記録まで裏付けはそろっていない。着物に竹の花が描かれているという観察に関する手がかりは残るが、現段階で断定はできない。
参考情報:映画データベース(米)
音楽は当初、池辺晋一郎が担当すると発表され、後に久石譲へ替わったとする記録がある。完成版で久石が作曲したことは公式に確認できるが、池辺の正式契約、降板理由、交代時期を示す当時の一次発表は見つかっていない。初期チラシや公式ニュースの保存版が必要である。
参考情報:映画データベース(米)
「炭焼きの老人役の仲代達矢は、高畑勲を高く評価していたため短い役でも出演したとされる」という話がある。ただし、現時点で当事者資料や制作記録まで裏付けはそろっていない。仲代達矢は高畑勲への敬意から小役を引き受けたという説に関しては、確定情報ではなく検証途中の話として置く。
参考情報:映画データベース(米)
「英語版ではミッキー・ルーニーが翁役を辞退し、友人のジェームズ・カーンへ譲ったとされる」という話がある。ただし、現時点で当事者資料や制作記録まで裏付けはそろっていない。英語版の翁はミッキー・ルーニーからジェームズ・カーンへ替わったという説を説明する制作側の確認が取れるまで、可能性の段階に留めたい。
参考情報:映画データベース(米)