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1934年公開。サミュエル・ホプキンス・アダムズの短編を基に、当初は『Night Bus』の題で企画されたが、フランク・キャプラが望んだロバート・モンゴメリーをはじめ配役はなかなか決まらず、エリー役もマーナ・ロイ、マーガレット・サラヴァンら複数の女優を経てクローデット・コルベールへ回った。クラーク・ゲーブルはMGMから格下と見られていたコロンビアへ貸し出されたことを喜ばず、コルベールも撮影後に最悪の映画を終えたという趣旨の不満を漏らすほど、主演二人の期待は低かった。予算の乏しい「バス映画」と軽く見られ、撮影監督ジョセフ・ウォーカーはロマンティックな夜景を作る場所にも窮したが、既存の小さなサーカス用テントを利用して画面の雰囲気を救った。ところが公開後は大ヒットし、作品、監督、脚色、主演男優、主演女優というアカデミー賞主要5部門を史上初めて制覇した。スターもスタッフも乗り気でなかった安上がりな道中映画が、ハリウッド史の一等席まで走り切ったのだから、企画書を読む目より夜行バスのほうがよほど先を見通していたのである。
アカデミー賞では作品賞、監督賞、主演男優賞、主演女優賞、脚色賞を受賞し、主要5部門を同じ映画が制する最初のグランドスラムを達成した。製作したコロンビアは当時、MGMやパラマウントより規模の小さい会社と見られていた。大作ではなく、バスと安宿を行き来する男女の会話劇が賞の歴史を変えたのである。
原作はサミュエル・ホプキンス・アダムズが雑誌に発表した短編「Night Bus」で、映画も企画段階では同じ題を使っていた。脚色したロバート・リスキンは、逃げる令嬢と失業した新聞記者を一台のバスへ乗せ、各地の乗客や安宿を通じて恐慌期の社会を物語へ入れた。題名は恋愛を想像させるものへ変わったが、映画を動かす装置は最後まで夜行バスである。
主演には当初ロバート・モンゴメリーが想定されたが、最終的にMGM契約下のクラーク・ゲーブルがコロンビアへ貸し出された。フランク・キャプラの回想では、ゲーブルは格下と見られていた撮影所へ送られることを「シベリア行き」のように嫌がったという。処罰に近い仕事だったという部分には回想上の誇張も考えられるが、そこで演じたピーターが初のアカデミー主演男優賞につながった事実は動かない。
コルベールは4週間と5万ドルで引き受けた。そこでパラマウントの予定が空く4週間で撮り切ることと、通常の映画一本分の約2倍にあたる5万ドルが条件になったとされる。急いで終えるはずの貸し出し仕事が、彼女に主演女優賞をもたらす代表作へ変わった。
撮影は約4週間で進み、フランク・キャプラは後年、十分な準備をした大作というより「笑いながら、つまずくように」作った映画だったと振り返っている。クローデット・コルベールにも、撮影後に友人へ「ひどい映画を終えた」と話したという回想が残る。関係者の低い期待と、完成版の緻密な会話と編集との落差が最大の制作秘話になっている。
ピーターがヒッチハイクの技術を長々と説明しても車を止められず、エリーが脚を見せると一台で成功する場面である。クローデット・コルベールは当初その撮影を嫌がり、フランク・キャプラは代役のダンサーを用意した。ところが代役を見たコルベールが「それは私の脚ではない」と自分で演じることを選び、映画を象徴する逆転のギャグが完成したとされる。
モーテルの同室へ未婚の男女を置くため、ピーターはロープに毛布を掛けて部屋を二分し、旧約聖書にちなみ「ジェリコの壁」と名づける。コルベールが着替えを直接見せたくないという事情にも対応し、露骨な性描写を避けながら衣服を仕切りへ掛けることで想像力を刺激した。検閲上の制約が、二人の親密さを示す最も有名な装置へ変わった。
バス後方の楽団が「The Daring Young Man on the Flying Trapeze」を演奏する場面は、当初よりも大きく膨らみ、乗客が一節ずつ歌を受け渡す構成になったと制作史は伝える。主役二人の会話を止めても、空腹で倒れる母親を含む乗客たちの顔と声を見せた。低予算の車内セットが、数分だけ恐慌期を旅する共同体へ変わる。
ロバート・リスキンの初稿へ意見を出したマイルズ・コノリーは、新聞記者ピーターと大富豪の娘エリーを、普段なら彼らの階級に親しみを感じない観客にも受け入れられる人物へ直すよう勧めた。完成版では二人が互いの弱さを知り、食べ物や所持金を他人へ渡す場面が積み重なる。恋愛の成立より前に、共感できる人物への改稿が行われていた。
旅の途中には、食べ物を買えずバスで倒れる母親、共同シャワーを使うオートキャンプの家族、貨物列車からピーターへ手を振る失業者たちが登場する。大富豪の娘と失業した記者の恋だけでなく、1934年の観客が知る空腹と移動の現実を脇役の生活として置いた。だからエリーが金や食べ物の価値を覚える変化にも、具体的な社会の重さがある。
エリーは法的にはキング・ウェストリーと結婚した女性であり、その彼女が失業した新聞記者と同室に泊まりながらニューヨークを目指す。映画は二人を毛布で隔て、ピーターにも記事の売却や報奨金より必要経費だけを求めさせた。性的な危うさを消すのではなく、境界を守る行動を何度も見せることで、プロダクション・コード強化期にも恋愛の説得力を保った。
物語はフロリダからニューヨークへ北上するが、ロケーション記録にはパサデナのブッシュ・ガーデンズとサウザンドオークス周辺が残る。バス車内は芝居を優先したセットで組み、街道や木立はカリフォルニアの実景を東海岸の移動経路へ見立てた。限られた予算でも、セットと道路の質感差を旅の広がりへ利用している。
1939年3月20日に放送されたLux Radio Theatre版では、クラーク・ゲーブルとクローデット・コルベールが映画と同じ役へ戻った。ヒッチハイクの脚や毛布の仕切りのような視覚的なギャグを、台詞、語り、効果音で伝わる形へ圧縮している。映画の成功が俳優の相性だけでなく、ロバート・リスキンの会話にも支えられていたことを示す再演である。
AFI Catalogが引く同時代の業界資料には、特別出演者を集め、独自の脚本で14場面を撮影した宣伝用トレーラーの記録が残る。現在一般に見られる予告と同一か、全素材が現存するかまでは確定できないが、本編の名場面を並べるだけの広告ではなかった。1930年代の映画宣伝が、短い別撮り作品として作られる場合があったことを示す資料である。
ピーターが街道脇でニンジンをかじりながらエリーと話す姿は、後のバックス・バニーの定番動作へつながった。チャック・ジョーンズの書簡にも、『或る夜の出来事』のゲーブルから発想したという制作側の認識が残る。ニンジン好きのウサギを自然観察から描いたのではなく、観客が知る気取らない映画スターの物真似として笑わせたのである。
クローデット・コルベールは授賞式の日、受賞を期待せず旅行へ出る準備をしていたと伝えられる。名前が呼ばれる可能性を知らされて列車の予定を変え、豪華な式服ではなく旅装のまま会場へ駆けつけて主演女優賞を受けた。撮影後に作品の失敗を予想していたという回想と合わせると、評価の逆転は公開後も本人の想像を越えて続いていた。
米議会図書館は1993年、『或る夜の出来事』をNational Film Registryへ登録した。この制度は単なる人気投票ではなく、文化的、歴史的、美学的に重要な米国映画を保存対象として選ぶものである。1934年の観客を笑わせたバス旅が、約60年後には国家規模で残す映画遺産と認められた。
Criterion CollectionのBlu-rayは4Kデジタル修復された本編と非圧縮モノラル音声を収録する。特典には1999年のフランク・キャプラ・ジュニアのインタビュー、1997年の長編ドキュメンタリー、1982年のAFI顕彰映像に加え、キャプラが1921年に作った最初の短編まで入った。本作だけを磨くのではなく、無名期から名匠として顕彰されるまでの監督像を同じ商品で追える構成である。
「ゲーブルがシャツの下に肌着を着なかったため、全米の男性用アンダーシャツ売上が急落したという説」という説がある。ただし、現時点で当事者資料や制作記録まで裏付けはそろっていない。この話を裏付ける一次資料は、まだ見つかっていない。
「1956年の『You Can't Run Away from It』だけが同じ原作を直接用いた真正リメイクだという整理」という話がある。ただし、現時点で当事者資料や制作記録まで裏付けはそろっていない。「唯一の真正リメイク」説に関する手がかりは残るが、現段階で断定はできない。
「1936年のドイツ映画『Glückskinder』が自由な翻案であり、ゲーブルを意識した演技も含むという説」という説がある。ただし、現時点で当事者資料や制作記録まで裏付けはそろっていない。ドイツ映画『Glückskinder』の自由翻案を説明する制作側の確認が取れるまで、可能性の段階に留めたい。
走行中の車内でエリーのスカーフ位置がカット間で変わるという話がある。ただし、本人や現場関係者の証言、制作時の記録は確認できない。そうだったのかもしれないが、事実としては言い切らない方がよさそうだ。ソフトを持っている捜査員は、該当場面を一時停止し、この指摘が画面と一致するか確かめてほしい。