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2014年公開。企画の出発点はプロデューサーのリンダ・オブストと理論物理学者キップ・ソーンにあり、当初はスティーヴン・スピルバーグの監督作として開発されていた。ジョナサン・ノーランが脚本を進めた後、企画は兄クリストファー・ノーランへ渡り、彼自身の時間や家族に関する構想と統合されて現在の形になった。ソーンは単なる監修役ではなく、物語と映像の成立に深く関与し、ブラックホール描写のために開発された計算手法は学術論文にまで発展している。製作費は約1億6,500万ドル、再上映分を含む世界興収は約7億7,000万ドル規模とされる。科学を飾りに使う映画は多いが、本作は科学者まで制作機構へ組み込み、娯楽映画の現場を半ば研究室に変えてしまった。
『インターステラー』の宇宙は、脚本家の空想だけで飛んでいない。理論物理学者Kip Thorneが科学監修として関わり、ワームホールやブラックホール、時間の遅れは物理学の枠内から組み立てられた。だから本作の壮大さには、夢物語ではなく科学に足場を置いた怖さがある。
本作の科学監修は、ただの名義貸しではなかった。Kip Thorneは「物理法則に反しない」「大胆な仮説は科学者の発想から出す」という2つのルールを置き、Nolanの超光速案にも待ったをかけた。遠い宇宙への旅は、制約があったからこそ説得力を得ている。
Gargantuaは、想像で描かれた黒い穴ではない。DNEGとKip Thorneらは、ブラックホールの周囲で光がどう曲がるかを計算するために専用レンダラーを開発した。画面の異様な美しさは、SFの絵作りであると同時に、重力が光を曲げる様子を映画の言葉に変えたものだ。
ワームホールは、紙に開いた平たい穴のようには描かれていない。本作では宇宙空間に浮かぶ球体として現れ、近づくと向こう側の星々が歪んで見える。あの不思議な球は、異世界への扉であると同時に、空間そのものが曲がるという発想を目で分かる形にしたものだ。
Gargantuaの映像は、映画の外でも研究対象になった。DNEGとKip Thorneらの重力レンズ計算は、ブラックホールとワームホールを扱う査読付き論文2本につながっている。観客を驚かせた映像が、学術側にも戻っていった珍しい例だ。
TARSは、画面の中だけにいたロボットではない。撮影現場には実物のロボットが用意され、Bill Irwinが動きと声を担当した。だからTARSとの会話には、CGキャラクターとの掛け合いではなく、俳優がその場の相手に反応している実在感が残っている。
未来の地球を語る声には、現実の過去が混ざっている。作中のドキュメンタリー風インタビューには、1930年代のDust Bowlを生きた人々の証言が使われた。だから本作の荒廃は、遠い未来の空想ではなく、かつて本当に起きた環境災害の記憶を背負っている。
砂嵐は、あとから画面に足しただけの煙ではない。地球パートでは、大型ファンと人工ダストを使い、撮影現場に実際の砂塵を起こしている。だから窓の外を覆う茶色い空気には、合成では出しにくい息苦しい実感がある。
クーパーの農場は、背景美術ではなく本当に育てられた。制作側は大規模なトウモロコシ畑を用意し、撮影後には作物を売ったと報じられている。世界が終わりかけている物語なのに、画面には本物の農地が持つ生命力が映り込んでいる。
本作は、上映形式そのものまで物語の一部にした映画である。デジタル上映が主流になりつつある時代に、70mm IMAX、70mm、35mmフィルムで先行上映された。宇宙の広がりを巨大なフィルムで浴びる体験は、Nolanがこだわった劇場で見る映画の思想そのものだった。
10年後の再上映でも、この映画はまだ“劇場で見る事件”だった。2024年の10周年再上映では、70mm IMAX上映が高い需要を生んだ。配信でいつでも観られる時代になっても、Gargantuaの闇や宇宙の沈黙は、巨大スクリーンでこそ届く体験型の映画として残っている。
Enduranceは、ピカピカの未来船ではなく“宇宙の潜水艦”として設計された。内部にはアナログ機器、予備システム、手で触れるスイッチが詰め込まれている。だから本作の宇宙船は、夢の乗り物というより、生き延びるための作業場として見えてくる。
Zimmerが最初に渡されたのは、宇宙映画の説明ではなかった。Nolanはジャンルも筋書きも伏せ、父性についての短い文章だけを渡し、Zimmerは一晩でピアノとオルガンの小品を書いた。音楽が先に物語の心臓を鳴らしたのだ。
宇宙の音楽に、古い教会の息づかいが入っている。スコアを象徴するオルガン音は、ロンドンのTemple Churchにある1926年製のパイプオルガンで録音された。機械の振動にも祈りにも聞こえる音色が、本作の不思議な重さを作っている。
Matt Damonは、スターでありながら“隠された発見”として現れる。公開前の宣伝では大きく扱われず、Dr. Mannの登場は観客が本編で遭遇する驚きとして残された。知っている顔が宇宙の果てに現れることで、希望の場面は一気に不穏な重さを帯びる。
『インターステラー』は、Nolanだけの頭から突然生まれた企画ではない。Lynda ObstとKip Thorneの発想、Steven Spielbergが関わった開発期、Jonathan Nolanの初期脚本を経て、最終的にChristopher Nolan版へ再構成された。完成した映画の背後には、長い時間をかけて形を変えたもう一つの旅がある。
科学的な映画にも、映画のために許された嘘がある。氷の惑星にそびえる雲は、物質の強度を考えるとかなり大胆な表現だとされる。だが、あの異様な景色があるからこそ、観客は人類が本当に地球ではない場所へ来たのだと感じる。
Cooper役に必要だったのは、宇宙飛行士より先に父親だった。NolanはMatthew McConaugheyに、巨大なミッションを背負える存在感と、農場で子どもと向き合う生活者の顔を見いだした。だからCooperは、世界を救う英雄である前に、家に帰りたい父親として胸に残る。
脚本そのものも、ミッションの機密文書のように扱われていた。Jessica Chastainには名前入りの脚本が届けられ、読み終わった後も手元に残せなかったとされる。物語の仕掛けを守るため、制作の裏側でも秘密保持がひとつの作戦になっていた。
壊れたロボットの名前にも、科学者への目配せがある。Dr. Mannの惑星に残されたKIPPは、科学監修Kip Thorneを思わせる名前だ。極寒の惑星に眠る機械の名に、映画の科学面を支えた人物の影が刻まれているのは、ひっそりした製作側のサインのように見える。
Murphの本棚は、ただの背景ではなく物語の密室である。そこには終末、時間、記憶、親子、幽霊性を思わせる本が並ぶ。後半の構造を知ってから見直すと、本棚は小道具ではなく、CooperとMurphをつなぐ時間の窓として立ち上がってくる。
劇中で繰り返される詩は、人類への叱咤でもある。Dylan Thomasの言葉は、静かに消えていくことを拒めと呼びかける。地球が終わりに向かう世界で、その反復はBrand博士の演説を越えて、人類全体に向けられた抵抗の呪文のように響く。
IMAXカメラは、宇宙だけでなく人間の近くにも入り込んだ。Hoyte van Hoytemaは、室内撮影に対応するため巨大なカメラを扱いやすく調整したとされる。広大な星空だけでなく、船内の息づかいや不安まで大きく見せるための撮影上の挑戦だった。
氷の惑星の寒さは、演技だけの寒さではなかった。Anne Hathawayはアイスランドでの水中場面で、スーツの不具合により危険な冷えにさらされたとされる。白い異星の風景の裏には、俳優が本当に体で受けた極寒の現実がある。
Miller星では、音楽まで時間を数えている。水の惑星で聞こえる規則的な刻みは、ただの緊張音ではなく、地球側で時間が過ぎていく感覚と結びつく。波が迫る恐怖と同時に、帰るべき場所の年月が削られていく見えない損失まで聞こえてくる。
Enduranceという名前は、宇宙ではなく南極からも響いてくる。Shackletonの探検船Enduranceは氷に閉ざされながら、生還の物語として記憶されている。本作の宇宙船もまた、人類が極限環境で生き延びるための忍耐の器としてその名を背負っている。
この未来では、人類は月へ行った記憶まで手放している。劇中の学校では、月面着陸を否定する教科書が使われ、宇宙への憧れは無駄なものとして扱われる。過去の偉業を疑わせる教育は、星を見上げる力を失った社会の精神的な貧しさを示している。
Murphの“幽霊”は、怪談ではなく父の帰還だった。冒頭では子どもの思い込みに見える本棚の異変が、終盤でCooper自身の行動としてつながる。家族の記憶と宇宙物理が一点で結びつくこの構造が、本作を単なるSFではなく父娘の時間の物語にしている。
この映画では、前に進むたびに何かを置いていく。Newtonの第三法則は、宇宙船の運動だけでなく、登場人物の選択にも重なる。地球、仲間、時間、そして自分自身を残しながら進む構造が、本作の犠牲のリズムを作っている。
本物の畑を作った話には、少し伝説めいた尾ひれもついている。撮影のためにトウモロコシ畑を育てたことは、本作の実物志向を象徴する。一方で、作物販売の利益額まで語られる場合は、事実としての畑と、後から膨らんだ制作伝説を分けて読むべきである。
TARSという名前には、はっきりした答えよりも噂の方が多い。複数の略語説が流通している一方で、制作側ソースとは食い違う説明もある。四角い相棒の名は、機械的な型番のようでいて、実は本作の小さな未解決メモでもある。
Gargantua周辺の映像は、数字だけでも桁外れだ。一部フレームは生成に最大100時間かかったとされ、映画全体で扱われたデータ量は約800テラバイトに及んだ。宇宙の闇は、膨大な計算の積み重ねでもあった。
宇宙船の窓の外は、あとから合成される空白ではなかった。制作側は宇宙や惑星の映像を先に用意し、セットの外へ投影することで、俳優が実際に見える景色へ反応できるようにした。夢のような宇宙を、現場で見える相手に変えた工夫である。
『インターステラー』は、撮影中にFlora’s Letterという仮題を使っていたとされる。大作の内容を隠すためのコードネームで、Nolan作品らしい秘密主義がタイトルの段階から表れている。
物語の心臓になるMurphは、初期段階では男の子として考えられていたとされる。父と娘の関係に変わったことで、『インターステラー』は宇宙探査の話である以上に、父娘の時間の物語として強く残る形になった。
Gargantuaの映像は科学計算に基づく一方で、見やすさのための調整も入っている。実際に近いドップラー効果をそのまま入れると色の偏りが強くなりすぎるため、映画では見せるための省略が選ばれた。
2019年にEvent Horizon Telescopeが公開したブラックホール画像は、『インターステラー』のGargantuaを思わせる姿として話題になった。映画の黒い輪が単なる空想ではなく、現実の観測像と響き合った瞬間である。
Dr. Mannには、映画本編の外で語られた前日譚がある。NolanはコミックAbsolute Zeroを執筆し、氷の惑星にいた人物の孤独を本編とは別の形で補っている。
『インターステラー』の未来世界には、インターネットや携帯電話の気配がほとんどない。Nolanは便利な通信技術を前面に出さず、家族や農場や砂嵐の手触りを強めることで、SFなのに古い時代の孤独を感じさせている。
Nolanは普段、音楽を登場人物が聞いている音として使うことに慎重だとされる。しかし『インターステラー』のビデオ再生場面では、劇伴が画面内の再生音と重なるように扱われ、記録映像の痛みを強めている。
インドの名優イルファーン・カーンには、『インターステラー』への出演オファーがあったとされる。しかし日程の都合で実現せず、完成版には加わらなかった。もし出演していれば、本作の国際色の見え方も少し変わっていたかもしれない。
『インターステラー』の配給をめぐっては、スタジオ間の調整がかなり複雑だったとされる。ParamountとWarner Bros.の関係整理の中で、別作品の権利まで絡む大作らしい取引が行われたという話が残る。