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2015年公開。ピート・ドクター監督が、快活だった11歳の娘が急に静かで内向的になった姿を見て、「頭の中で何が起きているのか」と考えたことから始まった企画である。完成まで約5年を要し、その大半が書き直しに費やされ、登場する感情も当初検討された「誇り」や「希望」などから、物語を動かせる5人へ絞り込まれた。制作陣は感情研究者のポール・エクマンとダッチャー・ケルトナーを科学顧問に迎え、感情が意識や記憶、人間関係へどう作用するかを確認しながら、科学をそのまま講義にしないための大胆な省略も重ねた。「カナシミ」は当初、男性のバドとして設計されていたが、フィリス・スミスの声と演技から弱さだけではない人格が生まれ、作品の中心へ押し上げられた。子どもの頭を理解しようと始めた映画が、結局は大人の制作陣に5年間も書き直しを命じたのだから、人間の感情はピクサーの会議より少しだけ複雑だったらしい。
本作の発想は、ピート・ドクターが娘の変化を見て抱いた「頭の中では何が起きているのか」という疑問から生まれたのだ。作品全体は、親から見えなくなっていく子どもの内面の可視化として構想された。
本作では、感情研究の専門家が制作に参加し、とくにカナシミの社会的な役割が重要視されたのだ。悲しみは不要な感情ではなく、人と人を結びつける働きとして再整理された。
本作の司令部には、当初もっと多くの感情を置く案があったのだ。しかし感情が増えるほど物語は散漫になり、最終的には5感情体制へ絞り込まれた。
ヨロコビの旅の相棒は、最初からカナシミに決まっていたわけではない。初期版ではヨロコビとビビリの組み合わせも試され、そこから主題に合う形へ大胆に組み替えられた。感情の組み合わせひとつで、映画の芯まで変わる。
頭の中の住人たちは、写実的なCGではなく、手描きアニメの誇張を感じさせるカートゥーン設計で作られたらしい。制作ではTony FucileがCG映像の上に描き込み、動きの伸びや崩し方を調整していた。
ヨロコビの体を包む粒子表現は、制作初期にシャンパンの泡を連想して考案されたと見ると面白い。その後、この発想は他の感情たちの見た目にも応用されていった。
ヨロコビは普通のCGキャラクターのように照明を当てるだけでは成立せず、自ら光る存在として作られたらしい。制作現場では、顔の形を出すために明暗より色差を頼る特殊なライティングが必要になった。かなり厄介なキャラクターだ。
『抽象的思考』の場面は、見た目こそ実験的だが、制作では一部をシンプルな照明処理に整理して成立させていたらしい。さらにこの場面には別系統の2Dアニメーション作業も組み合わされていた。変な場面ほど、裏側は計算だらけだ。
本作の海外版差分は、字幕だけでは終わらなかった。食べ物やスポーツの好みだけでなく、文字の読み方向に合わせた再アニメートまで行われていた。国ごとの見え方を、かなり細かく直している。
本作には、ライリーの絵にまつわる削除シーン『Misdirection』が存在するらしい。家庭用リリース周辺では、本編から外れた構想の一端が公式に公開されていた。
ビンボンは単なる奇抜なマスコットではなく、3歳ごろのライリーが好物件を混ぜて作った空想の合成キャラとして公式に説明されている。猫や象のような外見、イルカ声、キャラメル味の涙まで設定されている。
本作は感情たちのセリフが重なりやすく、日本の批評では吹替版の理解しやすさを強く推す声もある。情報量の多い掛け合いが、字幕ではこぼれやすい可能性があるためである。
日本語版では、ヨロコビ役の竹内結子とカナシミ役の大竹しのぶが物語の中心軸を担ったと見ると面白い。来日した監督は、ヨロコビの推進力とカナシミの成熟した導き方を高く評価していた。
マイケル・ジアッキーノの音楽は、外から感情を煽るのではなく、心の内側から鳴る内部音楽の感触を目指して作られたらしい。完成形は、通常のピクサー的高揚感よりも大気的で私的な響きへ寄っている。音楽まで、頭の中から聞こえる感じだ。
カナシミ役のフィリス・スミスは、『バッド・ティーチャー』での印象から起用が進んだとされる。制作側は彼女にカナシミの声を見いだし、感情キャラの中では早い段階で配役を固めたようである。
劇中のイマジネーションランドには、『ファインディング・ニモ』を思わせる『Find Me』ゲームが置かれていると指摘されている。ピクサー恒例のセルフ参照の一種として読まれている候補である。
友情の島が崩れる場面では、背景の地形配置が前後のカットと噛み合わないという連続性のズレが報告されている。壮大な心象世界ゆえに、空間把握が一瞬だけ崩れている可能性がある。
ヨロコビとカナシミが司令部へ戻ろうとする途中、周囲の装置を使えばもっと早く帰れたのではないかというプロットホール疑惑が指摘されている。物語上の緊張を優先した処理と見る説がある。
『インサイド・ヘッド』と『トイ・ストーリー』を血縁で結ぶ家族説が語られることがある。ただし現時点では根拠の多くが外見比較やファン理論にとどまり、事実扱いはできない。