主な参考資料
- AFI
- Lucasfilm
- D23
- American Cinematographer
- The Academy
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1984年公開。シリーズ第2作だが物語上は前作より1年前の1935年に置かれ、ルーカスフィルムにとって初の前日譚として作られた。ジョージ・ルーカスが黒魔術と邪教を中心にした暗い原案を持ち込み、スピルバーグは約4000枚の絵コンテと赤い溶岩光、松明、長い影を使って、暗さを喜劇と古典的テクニカラー調でどうにか均衡させようとした。撮影中にハリソン・フォードが背中を痛めて手術を受けたため、約5週間にわたりスタントマンのヴィック・アームストロングが顔の映らないアクションを補い、主演不在でも巨大なセットは止められなかった。心臓をえぐる場面などを含みながら米国ではPG指定で公開され、『グレムリン』とともに批判を招いた結果、スピルバーグの提案もあってPGとRの間にPG-13が新設されたが、本作自体の指定が後からPG-13へ変わったわけではない。製作費は2800万ドル、再上映分を含む累計世界興収は約3億3311万ドル、北米興収は約1億7987万ドルで、続編は大ヒットだけでなく米国の年齢区分まで作り直させたのである。
第二作だが、物語の時代は『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(1981)より一年前の1935年である。ジョージ・ルーカスたちは同じナチスを再び敵にすることを避け、前作の人物関係を引き継がなくても成立する別の冒険として組み立てた。シリーズ第二作は、ルーカスフィルムにとって最初の前日譚になった。
準備段階の題名は『インディ・ジョーンズ・アンド・ザ・テンプル・オブ・デス』だった。死を直接掲げる題が不吉すぎると判断され、1983年4月の撮影開始わずか八日前に「デス」が「ドゥーム」へ置き換えられた。本作は同時に、シリーズで初めて題名へインディ・ジョーンズの名を入れた作品でもある。
ゴムボートでの脱出とトロッコ追跡は、どちらも『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(1981)の企画段階で検討されながら完成版から外れた案だった。制作陣は未使用の動きを別の状況へ移し、本作を代表する二つの見せ場へ発展させた。
スティーヴン・スピルバーグは撮影に入る前、四か月を絵コンテ作成とロケーション探索へ充てた。橋、宮殿、坑道など離れた場所で撮る素材を先に画面単位で整理したため、後に三大陸へまたがる撮影も一つの場面として接続できた。絵コンテは構図案だけでなく、複数班と複数国を束ねる工程表でもあった。
物語の主要舞台はインドだが、現地政府との協議では脚本の表現や完成版への関与をめぐって折り合わなかった。製作陣はインドでの撮影を断念し、ジャングル、村、吊り橋などをスリランカで撮った。『戦場にかける橋』(1957)の撮影地に近い渓谷も使われ、物語上のインドは複数国の風景とスタジオを組み合わせて作られた。
冒頭の舞台は1935年の上海だが、クラブ外の街路と自動車追跡はマカオで撮影された。現地には「クラブ・オビ=ワン」の英字看板と中国語のネオンサインが設置され、既存の街並みへ架空のナイトクラブを組み込んだ。ハミルトン空軍基地で撮った空港場面と編集し、上海からの脱出を完成させている。
スリランカのロケで撮影したネガは、現地ではなくロンドンへ送って現像された。往復すると確認まで三日を要するため、現像したデイリー(その日の撮影映像を確認する素材)をスリランカへ戻さず、ロンドンのルーカスフィルム側が状態を判断した。ロケ班は撮った映像をその場で見返せないまま、次の工程へ進んでいた。
スリランカでの撮影には、同国軍の約60人が背景出演者として参加した。当時の業界記録では、その賃金はスクリーン・エキストラズ・ギルドの基準を下回っていた。大規模ロケを支えた現地人員の扱いも、華やかな制作費とは別に残すべき制作史である。
キー・ホイ・クァンは自分の役を求めて会場へ来たのではなく、弟の公開オーディションへ付き添っていた。弟へ演技の仕方を教える姿がキャスティング担当者の目に留まり、翌日スティーヴン・スピルバーグたちの前で試すことになった。映画経験のなかった少年が、弟を助けようとした振る舞いそのもので役へ近づいた。
キー・ホイ・クァンは撮影当時、泳ぎ方を知らなかった。スリランカの宿泊先でそれを知ったハリソン・フォードは、ホテルのプールで自ら泳ぎを教えた。画面上の相棒関係とは別に、年長の共演者が子役の生活面を支えた記憶としてクァン本人が繰り返し語っている。
インディがショート・ラウンドを救い出すアクションの撮影で、キー・ホイ・クァンは恐怖から泣き出した。ハリソン・フォードは膝をついて目線を合わせ、撮影で決して彼を傷つけないと説明した。危険に見える動きを成立させる前に、子役が相手を信頼できる状態を作ったのである。
村の長老を演じたD・R・ナーナーヤッカラは英語を話せなかったため、スティーヴン・スピルバーグが台詞を短く区切り、発音を一つずつ伝えた。俳優は意味を英語で組み立てるのではなく、監督の音を記憶して演じた。長い訴えが淀みなく続く場面は、発音を分解して再構成した成果である。
冒頭のミュージカルでウィリーが歌うのは、コール・ポーターの「エニシング・ゴーズ」(1934)を中国語にした版である。ケイト・キャプショーの歌唱は1983年7月初め、ロンドンのアビー・ロード・スタジオで録音された。公開後には、この版の中国語楽譜も正式な商品として刊行されている。
「エニシング・ゴーズ」(1934)の群舞には、踊り子の帽子から白い鳩が一斉に飛び立つ仕掛けも用意された。実際に撮影されたものの、完成版では使われていない。帽子の構造、鳥の動き、ダンサーの振付を同時に合わせた大掛かりな仕掛けが、画面に残る数分の密度を整える過程で削られた。
冒頭のダンサーたちの中には、製作側のキャスリーン・ケネディも一瞬加わっている。予定された主要配役ではなく、撮影中の一テイクへ背景の踊り子として参加したものだった。後にルーカスフィルム社長となる人物が、制作管理だけでなく画面の中にも残っている。
冒頭のナイトクラブは「クラブ・オビ=ワン」と名付けられている。マカオの撮影地には英字看板だけでなく中国語のネオンサインも作られ、単なる台本上の小ネタを実在する店の外観として組み込んだ。『スター・ウォーズ』(1977)の人名が、1935年の上海にある店名へ姿を変えている。
インディアナはジョージ・ルーカスのアラスカン・マラミュート、ウィリーはスティーヴン・スピルバーグのコッカー・スパニエル、ショート・ラウンドは脚本家ウィラード・ハイクとグロリア・カッツの犬から名を取った。中心人物三人が、別々の制作者の家庭にいた犬の名で結ばれている。
ウィリーが象に乗る場面で、ケイト・キャプショーの衣装は思わぬ損傷を受けた。象が背中側のビーズ付き部分を食べ始め、ドレスは急いで修復された。クラブの群舞用に体へぴったり作られた衣装は、ロケでは動物のすぐ近くで扱う実用品にもなっていた。
宴会の料理には、俳優が繰り返し口へ入れられる材料が使われた。冷えた猿の脳みそはカスタードとラズベリー、目玉や蛇の中身も食べられる素材で作られている。嫌悪感を狙う画面でも、演者が何度も扱える小道具へ置き換えていた。
宴会の蛇、虫、目玉、猿の脳みそは、パンコット宮殿を支配する一派の異常さを見せるために誇張された料理である。しかし劇中でその意図が十分に区別されず、インド人の食文化そのものを描いたように受け取られた。現在も本作を語る際に外せない、娯楽的な誇張と文化表象の衝突である。
本作はインドの宗教、食文化、植民地支配をめぐる描写によって、公開時に同国で強い反発を受けた。上映許可が一時得られず、作品が長く「インドで禁止された映画」として語られる原因になった。ただし「永久追放され、テレビでも一度も放送されていない」という強い言い方までは確認できず、時期と媒体を分けて扱う必要がある。
終盤の吊り橋は一つの渓谷だけで撮られていない。橋の実景と崩落はスリランカ、俳優の格闘はイングランドのセット、合成に必要な素材はアメリカで撮影された。スピルバーグの絵コンテを共通の設計図にし、三大陸の距離と光を一続きの危機へまとめた。
実物の吊り橋を切断して落とす瞬間は、作り直しが難しい一発勝負だった。撮影班は利用できるカメラを渓谷の各所へ配置し、ジョージ・ルーカスも一台を担当した。電気仕掛けで橋を切ると、手足を動かす機械人形が約150フィート下の岩と水面へ落下した。
製作班はスリランカで建設中だったダムの巨大な谷を見つけ、工事に携わる英国の技術者へ撮影用の橋を依頼した。橋は川面から約300フィートの高さに架けられ、崩落用の鋼線と仕掛けも組み込まれた。背景だけを借りたロケではなく、進行中の土木現場へ映画用構造物を追加した撮影だった。
象に乗る場面で背中の痛みが再発したハリソン・フォードは、撮影続行を望んだものの、ロサンゼルスへ戻って椎間板の手術を受けた。当初は二週間の離脱と見込まれたが、回復には約六週間を要した。主演俳優が不在の間も、製作は止まらず別の素材を撮り続けた。
ハリソン・フォードが手術で不在になっても、撮影班はエルストリー・スタジオの九つのステージすべてを使って工程を組み替えた。遠景や背中向きの動きはスタントダブルのヴィック・アームストロングが担当し、衣装や構図によってはカメラから約1.5メートルの距離まで代役で撮った。復帰後に必要な顔の素材を補い、停止期間を最小限にした。
撮影中にハリソン・フォードが目の周囲へ青あざを作ると、ケイト・キャプショーは同じ位置へ黒い化粧を施した。やがてスピルバーグを含むスタッフにも広がり、現場の一団がそろって片目を黒くして撮影へ現れた。主演の負傷を隠す処置ではなく、からかいと連帯を兼ねた現場の反応だった。
洞窟を埋める虫の多くは、生きたゴキブリ、甲虫、ムカデなどだった。製作側は数万匹規模を調達したとされるが、虫は指示通りに動かず、セットや周辺へ毎日逃げ出した。『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(1981)の蛇や『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(1989)の鼠より制御が難しかったと、フランク・マーシャルが振り返るほどだった。
宴会の「目玉スープ」は、器に目玉状の小道具を浮かべるだけでは狙った位置へ出てこなかった。撮影班は合図に合わせて目玉が液面へ浮き上がる機構を作り、タイミングをそろえた。料理の嫌悪感は造形だけでなく、俳優の反応に合わせて動かす小さな特殊効果で強められている。
実物大のトロッコは、エルストリーのステージに作った多層の円形コースを走った。安全上の最高速度は時速約10マイル、一周は約25秒で、壁の色や照明を変えて別々の坑道に見せた。12〜18コマ毎秒で撮ることで動きを速め、同じ短い周回から約七分の追跡場面を組み上げている。
通常のビスタビジョンカメラでは小型坑道へ入れないため、デニス・ミューレンたちはニコンの一眼レフを35ミリ映画用に改造した。カメラが小さくなった分、坑道模型も縮小でき、岩壁は曲げやすいアルミ箔で作られた。カメラ台車と人形を一コマずつ動かし、実物大セットでは不可能な速度と落下を補っている。
トロッコ追跡の準備で、デニス・ミューレンらはディズニーランドへ出向いた。マッターホーン・ボブスレーとビッグサンダー・マウンテンに実際に乗り、曲線で身体が振られる感覚や見える景色の速さを調べた。さらに一部の走行音も閉園後の園内で収録され、模型の映像へ実在する乗り物の感触を加えた。
神殿の谷底を流れる溶岩には、増粘剤のメチルセルロースと水を混ぜた液体が使われた。下から赤く照らし、流量を調整して渦も作れる「動く溶岩」にしている。固い造形物を光らせるのではなく、粘度のある液体を循環させることで犠牲者を飲み込む流れを作った。
犠牲者が落とされる神殿の谷は、ILMのメインステージの天井まで達する縦長のミニチュアだった。デニス・ミューレンとカメラは最上部、約40フィートの高さに設置された。小型模型でも縦方向の距離を大きく取り、底の溶岩を見下ろす深さをレンズ内で作った。
トロッコの後を追って坑道へ流れ込む洪水は、実物大の洞窟だけで完結していない。縮尺模型へ水を流し、下から空気を吹き込んで泡と乱流を増やし、小さな水量を激しい濁流へ見せた。水の粒を細かく整えるのではなく、表面を崩すことで規模を大きくした特殊効果である。
地下神殿の暗い画面には、当時の高速フィルムであるイーストマン・コダック5294が使われた。アーク灯、10キロワット灯、小型灯を床側から混ぜたが、場面によっては実物の松明の光だけでも撮影できた。暗さを後処理で落とすのではなく、セット内の火を露光へ直接使っている。
クラブと宮殿の前半は、1930年代のテクニカラー映画を思わせる明るく派手な原色で設計された。観客に地上の冒険が続くと思わせた後、秘密通路へ入ると赤い溶岩、長い影、低い位置の光へ切り替わる。物語の暗転を台詞だけで示さず、衣装、美術、撮影が同時に色の規則を変えている。
心臓を抜かれた犠牲者が溶岩へ沈む場面では、機械仕掛けの人形が使われた。完成した動きが想定以上に生々しく見えたため、映像の周囲へ炎を重ね、身体の細部を見えにくくした。特殊効果をさらに足した目的は残酷さの増幅ではなく、最初の効果を覆って調整することだった。
完成版では解放された子どもたちが自力で脱出したように見えるが、当初はインディたちが溶岩の谷へ即席の橋を架けて渡す場面があった。橋が燃え、三人だけが坑道へ追い込まれる流れまで絵コンテ化されていた。この削除によって、完成版では子どもの逃走経路と主人公たちがトロッコへ乗る理由が短く省略されている。
スピルバーグは撮影日程を場面ごとに固定せず、宴会の撮影を短くして採石場へ日数を回し、針天井から一日削ってトロッコへ加えた。場面の完成度と危険度を見ながら、後の見せ場へ時間を移す日程の融通で全体を調整した。
製作費は資料によって2750万〜2820万ドルと幅があり、スピルバーグ自身は完成額を2800万ドルと説明した。スリランカ分だけで約100万ドルを使いながら、主要撮影は予定より五日早く終わった。主演の手術による六週間離脱を抱えた作品としては異例の収まり方である。
1984年の公開時、ルーカスフィルムの技術部門はマン・チャイニーズ・シアターとマン・ナショナル・シアターへTHX音響システムを設置した。作品の音を作るだけでなく、観客席で同じバランスを再現するため劇場側まで調整したのである。トロッコや崩落の音響は、上映環境の標準化と同時に届けられた。
改造ニコン、アルミ箔の坑道、ストップモーション人形、液体の溶岩などを組み合わせた仕事は、第57回アカデミー賞の視覚効果賞を受賞した。受賞者はデニス・ミューレン、マイケル・マカリスター、ローン・ピーターソン、ジョージ・ギブスである。ジョン・ウィリアムズの音楽も作曲賞に候補入りした。
本作は心臓を抜く供犠や児童への暴力を含みながら、米国ではPG指定で公開された。親や批評家からの反発を受け、スピルバーグはPGとRの中間区分をジャック・ヴァレンティへ提案した。同年7月にPG-13が発表され、最初にその区分で公開された作品は『若き勇者たち』(1984)だった。
スピルバーグは撮影当時、黒魔術と供犠の物語へ可能な限り笑いを入れることを課題にしていた。それでも後年には、作品が想定以上に暗く残酷になったと認め、シリーズ中で最も気に入っていない一本だと語っている。一方で、この製作を通じてケイト・キャプショーと出会ったことは大切な結果として挙げた。
『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(1981)の脚本家ローレンス・カスダンには続投の可能性があったが、本作の方向を陰惨で意地悪だと感じ、執筆を引き受けなかった。完成脚本は、ルーカスと『アメリカン・グラフィティ』(1973)で組んだウィラード・ハイクとグロリア・カッツが担当した。作品の暗さをめぐる違和感は、脚本開発の時点ですでに表面化していた。
英国では1984年の劇場公開にあたり、心臓を抜く供犠や鞭打ちなど複数箇所が短縮・修整され、上映時間は約116分59秒になった。2012年には118分24秒の版が「中程度の暴力と幻想的恐怖」を理由に12指定で分類された。長く流通した版によって、同じ場面の長さやつながりが異なる。
万里の長城を飛ぶ機体は、ILMとドリーム・クエスト・イメージズが模型の飛行機と長城を別々に撮り、煙と逆光で早朝の空気を作って光学合成した。機体を背景へ斜めに滑らせる動きまで意図的に設計されている。
上海からインド方面へ飛ぶ一行の機体は、劇中で万里の長城を横切る。しかし長城の主要部は上海より北西にあり、目的地への通常経路としては大きな遠回りになる。移動先を分かりやすく「中国」と示す視覚効果が、地理的には不自然な航路を作っている。
象の旅で木々から飛び立つ大型のコウモリを、ウィリーは吸血コウモリのように恐れる。映っているのは主に果実を食べるオオコウモリの仲間で、血を吸う種とは異なる。登場人物の恐怖を優先した呼び名と、撮影に使われた動物の生態が一致していない。
上海脱出後、インディたちを貨物機へ案内するウェバーはダン・エイクロイドが演じている。出演時間は短く、英国訛りと制服姿のため見落としやすい。エイクロイドはスピルバーグ監督の『1941』(1979)にも出演しており、旧作の縁が小さな役で再び画面に現れた。