主な参考資料
- Los Angeles Times
- American Cinematographer
- Vanity Fair
- fxguide
- The Guardian
- The Academy
- Library of Congress
インセプションを配信で見られるサービスを、確認できた範囲で掲載しています。未確認のサービスは公式サイトで探せます。
2010年公開。クリストファー・ノーランが構想を長年温め、2001年ごろにはワーナーへ原案を提示しながら、自分にはまだ大作を制御する経験が足りないと判断して完成を先送りした企画である。その後、『バットマン ビギンズ』や『ダークナイト』で巨大予算を扱う信用を築き、ようやく約1億6,000万ドル規模のオリジナル映画として実現した。既存シリーズでも原作物でもない難解な企画に、この金額を投じさせた時点で、作品の半分はすでにノーランの業界内での勝利だったとも言える。世界興収は再上映分を含め約8億4,000万ドルに達した。夢を売る商売とはよく言うが、この映画ではスタジオ自身がかなり高額な夢を買わされ、結果的には見事に元を取った。
巨大な夢世界の原点は、大学生だったクリストファー・ノーラン自身の睡眠実験にある。朝食後にもう一度眠り、夢を見ていると自覚した状態でどこまで周囲を探索できるか試していたという。その個人的な感覚を長年温め、他人の夢へ入り込む物語の基礎にした。
夢へ侵入する着想は早くからあったが、クリストファー・ノーランはそれを映画として運ぶ形式を長く決められなかった。恐怖映画に近い案も経た末、約8年をかけて、専門家を集めて計画を実行する強盗映画の構造へ到達した。観客はチーム結成の手順を追いながら、夢の規則も同時に学べるようになっている。
コブのチームは、一本の映画を作るスタッフに対応するよう組み立てられている。コブは全体を導く監督、アーサーは実務を整えるプロデューサー、アリアドネは世界を設計する美術、イームスは別人を演じる俳優、ユスフは技術担当、サイトーは資金を出すスタジオである。観客へ一つの現実を信じさせる仕事という点で、夢作りと映画作りが重なる。
レオナルド・ディカプリオは完成した役を演じただけではなく、脚本段階からクリストファー・ノーランと密に話し合った。特にコブの罪悪感、モルとの過去、子どもたちへ帰りたい思いを掘り下げ、複雑な夢の仕掛けを主人公の感情へ結びつけた。長年温められた構想は、この協働によって家族へ戻ろうとする物語になった。
クリストファー・ノーランは『バットマン ビギンズ』で渡辺謙と初めて仕事をしたが、出番が限られていたため、その魅力をもっと大きな役で生かしたいと考えていた。そこでサイトーを、作戦を依頼するだけの人物ではなく、自ら夢の各階層へ同行する重要人物として構想した。東京から始まる物語の国際性も、渡辺の存在を中心に組み立てられている。
撮影監督ウォーリー・フィスターとクリストファー・ノーランは、夢を特殊なフィルターや曖昧な映像で示す方法を避けた。夢の内部も現実と同じように明瞭で物理的に撮り、異常さは折れ曲がる街、傾く部屋、消える重力といった環境側へ置いた。だから登場人物が夢を現実だと思い込む感覚を、観客も共有できる。
本編の中心は35ミリのアナモフィック撮影だが、より大きな画面情報が必要な場面では65ミリとビスタビジョンも組み合わせた。一方、クリストファー・ノーランが前作で使ったIMAXカメラは、手持ち撮影や狭いセットを動き回る本作の方法には大きすぎた。撮影規格を一つの看板にせず、場面ごとの機動性と質感で選び分けている。
高速度撮影を時間階層の表現に使用。現実で一瞬の車の落下が、下の夢階層では長い戦闘時間へ広がるため、速度の異なる映像を物語上の接続に使った。スローモーションが夢の時間差を可視化している。
終盤では、雨の市街地、ホテル、雪山、虚無が異なる速度で同時進行する。撮影班は市街地を青灰色、ホテルを暖色、雪山を白と寒色というように分け、光源の性質も変えた。編集で短く切り替わっても、字幕や説明を足さずにどの階層へ戻ったか判別できる設計である。
ホテルの無重力格闘には、長さ約30メートルの廊下を丸ごと回転させるセットが作られた。カメラも廊下とともに回るため、画面内では空間が静止しているように見え、俳優だけが壁や天井へ引かれていく。重力の向きが変わる身体反応まで、同じ物理空間の中で撮影された。
回転廊下は格闘には適していたが、アーサーが眠る仲間を浮かせて運ぶ動きには使いにくかった。そこで同じ廊下を縦に立てた別セットを建て、俳優をワイヤーで吊って撮影した。VFXの主な役割は人物を作り直すことではなく、支持具を消し、浮遊する小物や必要な頭部の置き換えを加えることだった。
ジョセフ・ゴードン=レヴィットは、完成画面を想像しながら回転する廊下の中で何週間も動きを練習した。クリストファー・ノーランによれば、危険上どうしてもスタントマンが必要だった一ショットを除き、格闘は本人が演じている。装置が生む重力に抗うのではなく、その瞬間の床へ落ちながら戦う演技だった。
バーの床を油圧で30度傾斜。セットの床全体を油圧装置で約30度まで傾け、俳優の姿勢、家具、グラスの中身に同じ方向の力をかけた。大規模な回転廊下より静かな場面でも、夢の重力を実物の反応として画面へ残している。
美術班はペンローズの階段を実物で成立させるため、段ボール模型を12個作ってレンズとカメラ位置を試した。決められた一点から見ると、離れている上下の段が連続して見えるように階段を建設した。完成画面でVFXが担ったのは錯視の生成ではなく、セットを支える足場を消す作業だった。
アリアドネがパリに作る鏡の橋では、大型鏡を実際のロケ地へ置き、俳優と街並みの反射を撮影した。当然、鏡にはカメラや照明、スタッフも映り込むため、VFX班が不要な反射だけを除去した。光や人物の映り方を一から合成するのではなく、本物の鏡像を土台にしている。
雨の市街地へ突入する列車は、セミトレーラーを土台にした自走式の特殊車両である。自動車を押しのける先頭部には約1.5トンの鋼鉄を使い、その後ろは重量を抑えた外装で列車らしい形へ整えた。道路上を実際に走らせたため、車との衝突、水しぶき、周囲の光が同時に撮影されている。
城へ流れ込む水は高圧噴射。セットへ大量の水を約250 PSIの圧力で噴射し、俳優、家具、壁面へ同時に衝撃を与えた。水の進路を完全には固定できないため、空間全体が予測しきれない形で壊れる一回性が残っている。
地震はカメラと落下物で作った。カメラを激しく動かし、天井や床に仕込んだ装置から壁材と破片を落とし、俳優にも揺れへ反応してもらった。動かないセットに複数の運動を重ね、建物全体が崩れ始めたように見せている。
日本の城と近代美術館を混ぜた空間。美術班はそこへ現代美術館の広さ、作品を見せる余白、巨大な灯籠を組み込み、古い権力と現代の資本を同居させた。時代も用途も一つに定まらないため、夢の中の記憶として成立する。
制作美術監督ガイ・ヘンドリックス・ディアスによれば、グリーンバックを使った場面は全体の約5パーセントに抑えられた。ロケ地、実物大セット、回転装置、ミニチュアを先に撮影し、VFXは空間の拡張、危険部分の補完、支持具の除去に使う。夢を現実らしく見せる方針が、撮影方法にも徹底されている。
虚無の都市を設計するため、美術班は古代から現代までの建築様式を時間順に並べた約18メートルの絵巻を作った。そこに描いた建物を横へ続けるのではなく、地層のように縦方向へ積み上げ、無数の時代が圧縮された都市へ変えた。コブとモルが長い年月を過ごした感覚が、建築そのものに刻まれている。
美術班はモンバサの代役となる街を探し、モロッコのタンジェで未完成の集合住宅群を見つけた。その場所へ大量の砂を運び込み、現実に近い追跡の舞台だけでなく、コブとモルが築いた虚無の海辺としても撮影した。同じ建築が、装飾と周囲の状態によって別の夢階層へ変わっている。
虚無の都市には、建物でありながら氷河や地層にも見える形が必要だった。ダブル・ネガティブは自然地形の生成方法と建築モデルを組み合わせる専用処理を開発し、都市全体が海へ削られていく映像を作った。実景の海岸とグリーンバック撮影した人物を、その巨大な環境へ統合している。
雪山要塞の全景が崩れる場面には、ニュー・ディール・スタジオが作った約6分の1スケールのミニチュアが使われた。小さすぎる模型では炎と破片が軽く見えるため、撮影施設へ収まりながら実物らしい爆発を起こせる最大級の縮尺を選んだ。模型は二度爆破され、それぞれの素材を完成場面へ組み込んでいる。
要塞内部で床が割れて人物が落ちる場面には、油圧装置で崩れる実物大セットが作られた。床材は落下後に回収し、装置とともに元の位置へ戻せるため、破壊場面を複数回撮影できる。遠景の要塞はミニチュア、内部は俳優が立つ再設定可能な床という二つの縮尺で崩壊を組み立てた。
バンが橋の欄干を破って落ちる一瞬は、その下に続く夢の階層すべてから重力を奪う重要な動きである。撮影では圧縮窒素を使う大型装置で車両を橋から射出し、空中で回転する実物を記録した。VFXは雨、破片、安全上必要な部分を補い、落下の物理運動を残している。
落下中のバンで乗員が宙を舞う場面は、車内セットを360度回転させて撮影した。さらに約1000コマ毎秒の高速度撮影には通常より大量の光が必要なため、30台の18キロワット照明を並べた専用空間へ車体を入れた。回転装置と巨大な照明設備を組み合わせ、ゆっくり漂う身体を実写している。
アーサーが仲間をエレベーターへ集めて起こす場面では、かごそのものを圧縮窒素装置で射出した。BAFTAの視覚効果資料では速度は時速100マイル、約160キロに達したとされる。急激な加速を実物の壁、床、人物へ一度に与え、夢の中で人工的な落下を作った。
音響監督リチャード・キングは、上の夢階層で起きた出来事を下の階層へそのまま流さず、時間差に合わせて低く長く変形した。飛行機の轟音は雨の市街地で交通騒音のように聞こえ、さらに下の環境音へ受け渡される。別々の場所と速度で進む場面が、音の変形によって同じ瞬間につながっている。
現実側で鳴る短い銃声は、夢の階層を降りるにつれて時間が引き伸ばされる。音響班はその変化を、銃声から雷鳴、さらに建物全体を揺らす地震のような低音へ連続させた。上の世界を画面に出さなくても、下の世界で何が届いたかを音だけで示している。
夢から覚める合図には、エディット・ピアフの「水に流して」が使われる。ハンス・ジマーはその音型を極端に遅く引き伸ばし、低い金管が押し寄せる劇伴の骨格へ変えた。登場人物が聞く曲と観客だけが聞く音楽が、夢の階層で時間が延びるという同じ規則に従っている。
「水に流して」は脚本の早い段階からキックの曲として書かれていた。その後、ピアフ役でアカデミー賞を得たマリオン・コティヤールがモル役に決まり、意図しない重なりが生まれた。クリストファー・ノーランは曲の変更も考えたが、ハンス・ジマーが物語に合う選曲を優先するよう勧め、元の案が残った。
ハンス・ジマーは劇伴へ人間の息づかいに近い演奏感を加えるため、ザ・スミスの元ギタリスト、ジョニー・マーを招いた。ギター・ソロを目立たせる使い方ではなく、電子音とオーケストラの間に置き、コブの感情へ触れる音色として重ねている。金管の圧力とは別の細い響きが、楽曲の内側を支える。
予告編で反復する低音とともに広まった「Mind Heist」は、ザック・ヘムジーが作曲した宣伝用楽曲である。本編音楽を担当したハンス・ジマーの曲ではないため、サウンドトラックにも同じ形では収録されていない。公開前に作品の音の印象を決めた曲と、映画内の時間構造を担う劇伴は別々に作られた。
雪山の階層では、チームが白い迷彩服を着てスキーで敵をかわし、山岳要塞へ侵入する。クリストファー・ノーランはこの部分で、愛好する『女王陛下の007』(1969)の雪山活劇を意識した。夢の強盗映画は階層を一段降りると、1960年代の大規模なスパイ映画の様式へ変わる。
ラストではコマが回り続けるが、コブは倒れるかを確認せず子どもたちへ向かう。クリストファー・ノーランは、客観的な現実を判定することより、コブが自分の主観的な現実を受け入れた点が重要だと説明した。映画は二択の答えを画面外へ残し、確認することに囚われていた主人公の変化を完結させている。
第83回アカデミー賞では作品賞を含む8部門に候補となり、撮影賞、音響編集賞、録音賞、視覚効果賞の4部門を受賞した。俳優を実物装置へ入れて撮る工程、複数規格のフィルム撮影、夢の階層を結ぶ音、実写素材を拡張するVFXという、本作の制作方法を支えた四つの技術分野が並んでいる。
公開から15年を迎えた2025年、米国議会図書館は本作を国立フィルム登録簿へ選定した。この制度は人気投票ではなく、文化的、歴史的、美学的に重要な米国映画を長期保存するためのものだ。同年の25作品の一つとして加わり、登録作品の総数は925本になった。
日本で発売された3枚組の4K UHD版には、本編内から呼び出せる43分のフォーカス・ポイントと、別ディスクの113分の映像特典が収録されている。日本の城、カフェ爆破、錯視階段、街中の列車、傾くバー、回転廊下、雪山要塞、無重力、虚無、劇伴を工程別に分けた公式の制作記録である。
面白いのが、主要人物の頭文字を並べると「DREAMS」や「DREAMS PAY」に見えるという小ネタだ。ただし制作側が意図した証拠は弱い。名前の偶然遊びとして楽しむくらいがちょうどいい。
『パプリカ』影響説は、面白いが扱いに注意がいる話だ。『インセプション』と今敏監督の『パプリカ』を結びつける見方は長く語られているが、盗用と断定できる話ではない。夢に潜る映像表現が似て見えることから生まれた比較ネタとして、線引きは慎重に見たい。