主な参考資料
- BFI
- Los Angeles Times
ハウルの動く城を配信で見られるサービスを、確認できた範囲で掲載しています。未確認のサービスは公式サイトで探せます。
2004年公開。ダイアナ・ウィン・ジョーンズの小説を原作に、当初は細田守を監督として進んだ企画が行き詰まり、制作班をいったん解体した後、宮崎駿の監督作として再始動した。宮崎は原作の骨格を借りながら戦争の比重を大きくし、イラク戦争期の空気を作品へ持ち込んだため、企画変更は単なる監督交代ではなく映画の性格そのものを変えた。完成後は日本で興行収入196億円を記録し、世界でも大きな成功を収めた。動く城より先に企画そのものが一度崩れ、別の監督の手で組み直されたわけで、建築物より制作体制のほうがよほど可動式だったのである。
最初の『ハウルの動く城』は、細田守を監督に迎えて準備が進められていた。しかし制作は完成へ至らず、細田は「映画は始めれば必ず完成できるものではないと身をもって知った」と振り返っている。企画はいったん止まり、宮﨑駿が監督と脚本を引き受けたことで、原作へ戦争、老い、疑似家族の要素を大きく加えた現在の映画として再始動した。
2003年2月、作画スタッフが本格的に戻った日に上映されたのは、城の動きを試すテスト映像だった。完成形の設定を説明するより先に、巨大な建物が脚を踏み出し、重量を揺らしながら進む感覚を全員で共有したのである。題名の中心にある「動く城」は、制作開始時から最優先の作画課題だった。
作画が始まった2003年2月、スタッフに渡されたBパートの絵コンテはまだ途中までだった。さらに公開年の2004年1月7日になっても全編は完成しておらず、すでに進む作画と、宮﨑駿が描き足す物語が並行していた。完成した脚本を順番に映像化するのではなく、映画の行き先そのものを制作中に固めていく工程だった。
全編の絵コンテが完成したのは2004年1月16日で、総数は1400カット弱だった。作画はすでに前年から進んでおり、完成した設計図を待って一斉に始めたわけではない。ここから残る原画、動画、彩色、撮影、編集、音響を重ね、約119分の本編へまとめる必要があった。
デジタル工程では画面の解像度が高くなり、以前のフィルム上映なら気になりにくかった細部まで見えるようになった。ラッシュ確認で一度目についた箇所は放置できず、修正へ戻される。制作を便利にするはずの技術が、同時に求められる仕上がりの精度を引き上げた。
デジタル制作を進めながら、城の絵画的な質感を作るハーモニー処理には実物のセルとセル絵具が使われた。画面に出るセルの使用は、スタジオジブリでは『もののけ姫』(1997)以来である。セルの裏側へ絵具の重なりを逆順に描く特殊な作業は一人の専門スタッフが担い、その絵をデジタル化して城の部品へ分解した。
原画工程が終盤へ入った2004年5月12日、約45人いた担当者のうち、まだカットを描いていたのは4人だった。残っていたのは後から打ち合わせた難しい場面で、全体の手持ちは一桁まで減っていたものの、原画がすべて完成したのは5月21日である。人数が減ればすぐ終わるのではなく、最後の数カットほど時間を要した。
原画と撮影済みカットが増え続け、スタジオでは新しい棚を買っても置く場所がなくなった。枚数は『千と千尋の神隠し』(2001)を上回り、作画監督による修正も当初の予想を超えている。城の部品、群衆、変身、戦場を重ねた画面の密度は、完成映像だけでなく保管空間まで圧迫した。
2004年3月9日、作画監督から上がった素材の累計が10万枚を超えた。制作開始から約1年1か月の時点で、原画の形や動きを統一する修正だけでもこの物量に達している。大台を越えても動画工程の遅れは解消しておらず、完成へ向けた枚数はさらに積み上がった。
2004年5月1日、原画がまだ残り、後半の映像も完成していない段階で、ロール1から4のプリミックスが始まった。前半では台詞や効果音を組み立て、別の部署では残る原画、動画、彩色、撮影を進めていたのである。全編の映像を終えてから音へ移るのではなく、完成した部分から工程を重ねていった。
2004年5月31日の最終カッティングでは、完成画ではなく原画段階を撮影した原撮素材が多く使われた。まず映画全体の尺と場面の流れを決め、編集で出たリテークを直しながら、未完成部分を最終映像へ差し替える必要があった。完全な画面が揃う前に、約119分の時間構成が先に固められた。
動く城には、全角度を正確に統一する一枚の基準デザインがなかった。あるカットに付いていた小屋が別の角度では移動していても、口、目、煙突という目印を残せば、観客は同じ城だと受け取る。その知覚を利用し、機械としての整合性よりも、歩くたびに組み替わる生き物のような姿を優先した。
作画監督の山下明彦は、宮﨑駿のラフな人物像をそのままなぞるのではなく、一人のキャラクターにつき約20ページを描いて動かし方を探った。髪、服、表情をどの線で表すかを約1か月かけて手になじませてから、本編の作画へ入っている。設定画を完成させる作業と、連続した演技を描けるようになる訓練は別物だった。
宮﨑駿は絵コンテとレイアウトを描くだけでなく、上がってきた原画に納得できなければ、自分で新しいラフを描き直した。作画担当者はその線を基に、人物の重さ、表情、タイミングを完成形へ整えた。演出意図を言葉で伝えるだけでなく、監督自身の絵が各カットの修正指示になっていた。
ソフィーが城で迎えた最初の朝、帰宅したハウルが顔を近づけて「誰だい?」と尋ねる。作画監督の山下明彦は、ハウルの色気を動きで見せるためにこのラフを描き、宮﨑駿は追加の描き直しを求めず採用した。整った顔だけでなく、横顔の角度と距離の詰め方が人物の魅力を決めたカットである。
作画監督の山下明彦は、制作終盤の約6か月を1日14時間の作業で過ごし、日曜も平日の休みもなかったと振り返っている。当時30代だったから可能だった仕事量で、現在なら同じ働き方はできないとも語った。映画完成後、山下には3か月の有給休暇が与えられた。
ソフィーが暮らす石造りの町にはフランスのアルザス地方、城が歩く広い荒野や山岳景観には中央アジアが大いに参考にされた。特定の都市をそのまま写した舞台ではなく、建物の装飾、路地、草原、遠い山を異なる土地から集めている。町の外へ広がる風景は、一つの実在地ではなく複数地域の接続から生まれた。
映画の空を覆う爆撃機、燃える町、怪鳥の姿で両軍の兵器を壊すハウルは、原作小説の中心筋にはない。宮﨑駿は二国間の大規模な戦争を加え、魔法使いの力を勝敗ではなく破壊の連鎖へ向けた。恋と呪いを軸にした原作は、戦争が家庭や身体を変えてしまう映画へ再構成された。
制作期に始まったイラク戦争へ宮﨑駿は強い怒りを感じ、本作もその影響を受けたと説明している。原作にはない爆撃、軍港、国家に召集される魔法使いたちは、遠い幻想世界の飾りとして加えられたのではない。敵味方の理屈より先に町と暮らしが壊れていく感覚が、脚色の中心へ置かれた。
荒地の魔女はソフィーを老婆に変えた張本人だが、力を奪われた後は城へ迎えられ、同じ食卓を囲む。映画は原作の対立構造を変え、悪役を倒して終わる筋を選ばなかった。相手のしたことを消さず、それでも弱った者を家から追い出さないというソフィーの強さが、共同生活の形で描かれている。
原作のソフィーには、帽子や物へ語りかけ、そこへ力を与える言葉の魔法がある。映画では本人も周囲もその能力を説明しないが、カブ、カルシファー、壊れた城へ声をかけるたび、停滞していたものが動き始める。呪いを解いてもらうだけの人物ではなく、知らないまま周囲を変えていく原作の性質が残されている。
原作のハウルは異世界生まれではなく、現代ウェールズ出身のハウエル・ジェンキンスである。魔法の扉から姉や甥のいる実家へ帰り、大学で書いた論文まで登場するが、映画は現代世界と家族をすべて削った。そのため映画のハウルは、幼少期に星と契約した場面以外の来歴がほとんど語られない。
映画のマルクルは小柄な少年だが、原作の弟子マイケルは十代後半で、ソフィーの妹マーサと恋仲にある。映画はマーサを主要人物から外し、弟子の年齢も下げることで、城内の関係を若者同士の恋愛から、ソフィーとハウルが少年を育てる疑似家族へ変えた。食卓や洗濯の場面も、家庭が生まれる過程として機能する。
宮﨑駿は2004年夏、完成した映画を携えてイギリスを訪れ、原作者ダイアナ・ウィン・ジョーンズへ私的に上映した。映画は戦争、人物の年齢、悪役、ハウルの出自を大きく変更していたが、ジョーンズは原作とは別の作品として受け入れた。その後、映画によって原作へ新しい読者が増え、ハウルと結婚したいという手紙も世界各地から届いた。
日本語版では、倍賞千恵子が18歳のソフィーから90歳の姿まで一人で演じ通した。一方、英語版は若い姿をエミリー・モーティマー、老いた姿をジーン・シモンズに分けている。年齢によって声色を変えながら同じ人物としてつなぐ日本語版と、身体の変化を二人の声で明確に分ける英語版では、呪いの聞こえ方も異なる。
倍賞千恵子は一人で続けるアフレコを「つまらない」と感じ、木村拓哉と仕事をするのに、なぜ自分だけで録るのかと鈴木敏夫へ伝えた。その希望を受けて二人で収録する機会が作られ、ソフィーとハウルの会話を相手の声へ直接反応しながら演じられた。完成した台詞の一部は、別録りだけで組み立てた掛け合いではない。
木村拓哉がハウルという人物について宮﨑駿から受けた説明は、「彼は星に当たってしまった」というものだった。収録時には意味をつかみにくい言葉だったが、完成作では少年ハウルが流れ星カルシファーを飲み込み、心臓を渡す場面へつながる。性格を細かく分析する代わりに、人物の傷と運命を一つの映像的な表現で俳優へ渡した。
英語版で老ソフィーを演じたジーン・シモンズは、マイクの前でも身体を前へ曲げた。単に低い声やかすれ声を作るのではなく、画面のソフィーと同じ姿勢を取り、呼吸や声の出方そのものを変えたのである。若い姿を別の俳優が担当する英語版で、老いを身体から聞かせる演技だった。
英語版のハウルを選ぶ際、制作陣はクリスチャン・ベールが演じたバットマンの音声をハウルの映像へ重ねた。画面の美青年に低く威厳のある声が合うかを、別作品の演技で先に試したのである。その組み合わせが機能したため、ベールが英語版ハウルに起用された。
英語版の脚本チームは、なぜ戦争が始まったのかを分かりやすくする台詞を三か所提案した。しかしスタジオジブリが認めた追加は一か所だけで、残る二つは入れられなかった。観客がすべての事情を理解できる説明より、理由の曖昧なまま町が戦争へ巻き込まれる感覚を海外版にも残した。
チームNACSの5人は、兵士、菓子職人、八百屋、鉄道橋の青年、宮殿の門番として街の各所に声を残している。大泉洋はさらに、終幕でカブ頭から戻る隣国の王子も担当した。冒頭でソフィーを呼び止める兵士と、戦争を終わらせるため帰国する王子が同じ声という二重配役である。
久石譲は主題候補を三つ用意し、宮﨑駿と鈴木敏夫の前で自らピアノを弾いた。一曲目は正統的な旋律だったが、二曲目に「採用されないだろう」と考えていたワルツを出すと二人の表情が変わり、もう一度演奏するよう求められた。三曲目は披露されないまま、二曲目が「人生のメリーゴーランド」に決まった。
ソフィーは18歳から90歳へ変わり、感情によって若返ったり老けたりする。宮﨑駿は外見が揺れても同じ人物の気持ちが続くよう、久石譲へ一つの主題を変奏して全編に通す構成を求めた。そこで「人生のメリーゴーランド」は、喜び、悲しみ、空中散歩、戦火、家族の場面に合わせて楽器と速度を変え、ソフィーの人生を一本の旋律で結んだ。
サウンドトラックの録音では、ステージ後方の大画面へ本編を映し、久石譲が新日本フィルハーモニー交響楽団を指揮した。通常の映画音楽はクリック音を聞きながら1/30秒単位で映像へ合わせるが、本作では演奏のたびにタイミングが多少変わっても、画面と音楽の感情が一致することを優先した。宮﨑駿も全曲を確認し、その場で判断へ加わった。
宮﨑駿が原作で最初に惹かれたのは、人物設定より「城が動く」という題名の発想だった。制作も城のデザインから始まり、大砲、屋根、煙突、口、脚を組み合わせながら、内部に誰が住み、どの扉がどこへ通じるかを膨らませた。準備段階のイメージボードもほぼすべて本編へ入り、建築そのものが物語を生み出す方法が取られた。
動く城の脚には、ニワトリ型だけでなく戦国時代の足軽を思わせる案もあった。検討の末に選ばれたのは細く曲がるニワトリの脚で、重い建築物を四本の頼りない脚が運ぶ不安定さが生まれた。機械の車輪や戦車の履帯ではなく、つまずきそうな生き物の歩行が城の性格になった。
動く城は、ダイナミックな運動とセル画らしい質感を両立させるため、約半年の実験を重ねた。最初は宮﨑駿のラフを部品ごとに切り分け、平面のまま動かし、次に球体を連ねた形へ貼って立体的な運動を試した。完成版でも見えない裏側まで作り込まず、手描きの陰影を貼った部品を必要な角度だけ組み合わせている。
城の複雑な脚は、まず3DCGモデルで関節の動きと歩行を組み立てた。しかしその映像を完成画として使わず、作画担当者が上からトレースし、揺れ、踏み込み、ためを手描きらしく誇張した。立体的に破綻しない運動をCGから借りながら、重い城がよろめく性格は人の線で加えられている。
風にはためく旗には布の物理シミュレーションを使ったが、光と影を正確に出す通常の描画は避けた。面の向きを均一化し、手で大まかに塗ったような陰影になる専用処理を加えている。骨組みの地球儀も完全な球体を滑らかに回すのではなく、形をわずかに歪ませ、回転へアニメ的な誇張を入れた。
2005年11月16日に発売された4枚組DVD特別収録版には、デジタル作画監督の片塰満則がCG工程を説明する「ハウルの城はこうして動いた。」が収録された。ほかに宮﨑駿とフランスの漫画家メビウスの対談、全米プレミアの記録、原作者と英語吹替監督のインタビュー、全編絵コンテ映像も収めている。標準版は2枚組で、これらすべてが同じ構成ではない。
「『千と千尋の神隠し』(2001)に感動したクリスチャン・ベールが、役の大小を問わず英語版へ参加したいと申し出た」という話がある。ただし、現時点で当事者資料や制作記録まで裏付けはそろっていない。クリスチャン・ベールはどんな端役でもよいと自ら売り込んだに関する手がかりは残るが、現段階で断定はできない。
「冒頭のハウルの台詞と、少年ハウルが未来のソフィーへ呼びかける終盤を合わせると、ハウルは最初からソフィーを探していた」という話がある。ただし、現時点で当事者資料や制作記録まで裏付けはそろっていない。冒頭と終盤の台詞が完全な時間ループを証明するをめぐる確かな制作資料が見つかるまで、結論は保留にする。
城のモデルをめぐって、『ハウルの動く城』には特定の建物や街だけが唯一の実在モデルだとする紹介が見られる。実際には複数の土地・建築・空想的な機械要素が混ざった造形と考える方が自然で、一か所に断定する根拠は弱い。