主な参考資料
- AFI
- Turner Classic Movies
- The Guardian
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1968年公開。レナード・フリーマンの原案をもとに、メル・ゴールドバーグが1966年から脚本を手がけ、翌年にテッド・ポストとクリント・イーストウッドの起用、ユナイテッド・アーティスツ配給が発表された。 これはイーストウッドがフリーマンと設立したマルパソの最初の製作作であり、レオーネ作品で知られた彼がハリウッド西部劇へ主演・製作の両方で戻る足場でもあった。 1967年6月から8月にかけて、ニューメキシコ州ラス・クルーセス周辺でロケを行い、室内場面はMGMの賃借ステージで撮影された。 処刑台の場面には、スタント調整役ハーヴェイ・パリーと特殊効果担当ジョージ・シュワルツが4週間かけて専用装置を作り、実際の絞首台より大きい約10フィートの落下を、落とし戸の下の緩衝材で受ける設計にした。 撮影は概ね順調だったとされる一方、フリーマンが現場で演出に介入した際には、ポストの抗議を受けたイーストウッドが仲裁したというポストの回想が残る。 製作費と興収は資料で差があり、AFIは約168万ドルで製作され1969年までに1,500万ドルを稼いだと記録するのに対し、Box Office Mojoの北米興収は1,100万ドルである。作品の主題は司法でも、帳簿の正義までは一枚岩ではないようだ。
レナード・フリーマンの原案を基に、脚本家メル・ゴールドバーグが1966年から脚本を書き始めた。翌1967年にはテッド・ポストの監督起用、クリント・イーストウッドの主演、ユナイテッド・アーティスツの配給が発表されている。イーストウッドの西部劇人気を受けて急造された企画ではなく、原案と脚本の開発を先に進めたうえで主演と監督を迎えた作品だった。
クリント・イーストウッドは、大作西部劇『マッケンナの黄金』(1969)への出演よりも、小規模な本作を自分の会社で製作する道を選んだ。本作はマルパソ・プロダクションズが最初に製作へ参加した映画で、イーストウッドにとっても初の本格的な製作者仕事となった。俳優として出演するだけでなく、企画と製作を自ら管理する後年の体制はここから始まっている。
ユナイテッド・アーティスツ側は、ジョン・スタージェスやロバート・アルドリッチのような経験豊富なアクション映画監督を候補に挙げた。しかしクリント・イーストウッドが希望したのは、テレビ西部劇『ローハイド』(1959~1965)で24話を監督したテッド・ポストだった。初めて製作を担う映画で、知名度だけではなく、自分の芝居と会話の間を知る旧知の監督を選んでいる。
クリント・イーストウッドの出演条件は、40万ドルの報酬に純利益の25%を加えるものだったと同時代に報じられた。ここでいう純利益は、映画館の売上や配給収入そのものではなく、契約上の経費を差し引いた後の利益を指す。主演俳優でありながら製作会社を通じて作品へ参加した本作では、報酬の形にも製作者としての立場が表れていた。
主要撮影は1967年6月19日にニューメキシコ州で始まり、ラス・クルーセス周辺やホワイトサンズで荒野の外景を撮った。一方、フォート・グラントの町や裁判所、室内場面には、カリフォルニア州にあるMGMの撮影施設も使われている。劇中では一続きに見えるオクラホマの土地を、ニューメキシコの実景とハリウッドのセットをつないで作った。
冒頭でジェド・クーパーが私刑に遭う場面には、製作者レナード・フリーマンがニューメキシコ州ラス・クルーセスの北約12マイルで見つけた木が使われた。クリント・イーストウッドは木へ引きずられる場面まで演じたが、首をつられて揺れる危険な撮影はスタントマンのウォルター・スコットが担当した。俳優本人の動きとスタント映像をつなぎ、一続きのリンチとして見せている。
フォート・グラントで六人を同時に処刑する場面のため、スタント調整役ハーヴェイ・パリーと特殊効果担当ジョージ・シュワルツは、四週間かけて専用の絞首台を作った。縄は結び目が締まらないよう固定し、スタントマンの首には縄ずれを防ぐ保護材を装着した。落とし戸から約10フィート落ちた身体は、画面に映らない位置へ置いた緩衝材入りの箱で受け止めている。
テッド・ポストの回想によると、製作者レナード・フリーマンが撮影現場へ現れ、演出の指示を出し始めたことがあった。監督の権限を侵されたと感じたポストが抗議すると、クリント・イーストウッドがフリーマンとの話し合いを引き受けた。イーストウッドは、再び現場へ来れば撮影を続けられないと伝え、フリーマンはその後セットへ戻らなかったという。
本作の正式クレジットには原作として記されていないが、ホーマー・クロイのノンフィクション風読み物『He Hanged Them High』(1952)が緩やかな下敷きになった。題名だけでなく、囚人を運ぶ「タンブルウィード・ワゴン」、厳格な判事の人物像、群衆を集めた公開処刑の構図にも共通点がある。個別の登場人物をそのまま映画化したのではなく、実在の法廷を劇的に描いた同書の要素を西部劇へ組み直している。
フェントン判事のモデルとなったのは、アーカンソー州フォート・スミスの連邦裁判所で多数の死刑判決を扱ったアイザック・パーカーである。ただし、劇中の判事が窓から公開処刑を見下ろす描写は史実と異なる。実在のパーカーは処刑へ立ち会わず、見物人が集まらないよう絞首台の周囲に高い木の塀を設置させていた。
ホーマー・クロイの文章が掲載された『True』誌の1952年4月号には、窓辺に立つ判事、六本の縄、処刑を待つ群衆を一つの画面へ収めた挿絵が載っている。本作の六人同時処刑も、判事の窓と絞首台、群衆をよく似た配置で見せている。映画は裁判所の史実だけでなく、16年前に雑誌が作った劇的な処刑イメージも映像へ移した可能性がある。
1887年にフォート・スミスで処刑されたジェームズ・ラムは、絞首台の上で噛みたばこを求め、受け取った分の残りをポケットへ入れたと記録されている。本作でも、処刑を待つ男が最後のたばこを求める。人物や台詞をそのまま再現したとは確認できないが、公開処刑を描く短い所作に、実際の死刑執行記録と重なる細部が残っている。
テッド・ポストは、人物の顔へ急に寄るカメラ、強い大写し、短いカットを重ねる編集を使った。さらに、荒れた建物、通りを横切る砂埃、風の音、転がる草を加え、フォート・グラントの町そのものを落ち着かない空間にしている。セルジオ・レオーネ作品の影響を受けた西部劇ではあるが、接写だけをまねるのではなく、撮影、編集、美術、音響を組み合わせて独自の不穏さを作った。
音楽を担当したドミニク・フロンティアは、エンニオ・モリコーネの西部劇音楽をそのまままねるのではなく、自分の名前で作曲すると主張したという。録音には60人編成のオーケストラを用い、低く響く金管、打楽器、トミー・テデスコのギター、トミー・モーガンのハーモニカを組み合わせた。主題曲は1968年にブッカー・T&ザ・MG'sも録音し、映画から独立したヒット曲になった。
クリント・イーストウッドが本作へ関心を持った理由の一つは、死刑制度の賛否を西部劇の中で扱えることだった。主人公ジェド・クーパーは、法的手続きのない私刑で殺されかけた後、連邦保安官として同じ男たちを法廷へ連れ戻す。復讐の爽快さだけで終わらせず、フェントン判事の命令、公開処刑、主人公自身の判断を並べ、法に従うことと正義が常に一致するのかを物語の中心に置いた。
ユナイテッド・アーティスツが本作の宣伝に使った文句は、「彼らは二つの間違いを犯した。人違いでつるし、仕事を終わらせなかった」だった。死刑制度、連邦裁判所、法と復讐の境界を扱う物語を、主人公が生き延びて反撃へ向かう二つの短い文に圧縮している。映画の複雑な主題より先に、クリント・イーストウッドの復讐西部劇として観客へ売り込む宣伝だった。
AFIは本作を約168万ドルで製作し、1969年4月までに1,500万ドルを得たと記録している。一方、Box Office Mojoが掲載する北米興行収入は1,100万ドル、The Numbersは製作費180万ドル、北米興行収入680万ドルである。どの資料でも低予算に対して大きな成果を上げた点は共通するが、対象市場、集計時点、配給収入と興行収入の区別がそろわないため、数字を単純に一本化することはできない。
クリント・イーストウッドはセルジオ・レオーネの三部作で国際的な西部劇スターになったが、その三本はイタリアを中心に製作されていた。本作ではアメリカ製西部劇へ戻り、主人公ジェド・クーパーを演じるだけでなく、自社マルパソを通じて製作にも参加した。イタリアで確立した無口で危険な人物像をハリウッドへ持ち帰り、自分で作品を管理するキャリアへ接続した転換点である。
ジェド・クーパーが身につけるガンベルトとホルスターは、クリント・イーストウッドがレオーネ三部作で使った物と同一だという説がある。画面上の形や配置は比較できるが、同じ現物を持ち込んだのか、似た仕様で作り直したのかは判別できない。衣装担当者の証言、小道具台帳、現物の来歴は見つかっていない。同じ現物だったら粋だが、今のところ似た仕様の別物だった可能性も残る。
メル・ゴールドバーグとレナード・フリーマンは、当初クリント・ウォーカーが主演すると聞かされていたという。実際にはクリント・イーストウッドだと知り、名前を「イースターウッド」と聞き違えるほど当時の彼を知らず、落胆したという逸話もある。ただし、二人の発言を収録したインタビューや当時の配役資料が見つからず、この反応が誰の証言から伝わったのかを確定できない。
牧師を演じたジェームズ・マッカーサーは、撮影を一度で仕上げるほど正確だったという。その仕事を覚えていた製作者レナード・フリーマンが、翌年に始まるテレビシリーズ『ハワイ5-0』(1968~1980)のダニー・ウィリアムズ役へ彼を起用したとも伝えられる。マッカーサーが同役を十一シーズン演じた事実は確認できるが、本作での一発撮りが直接の決め手だったとするフリーマンの証言は見つかっていない。
テッド・ポストが監督する前に、セルジオ・レオーネへ本作の監督を打診したという説がある。レオーネが同じ時期に『ウエスタン』(1968)を進めていたことは確認できるが、それを理由に本作を断ったとする製作会社の記録や本人の発言は見つかっていない。単に二作品の時期が重なるだけなのか、実際に依頼があったのかを区別する資料が必要である。