主な参考資料
- Los Angeles Times
- AFI
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1998年公開の本作は、撮影監督としてキャリアを築いたディーン・セムラーが、ハウイー・ロングの了承を得るための面談を経て、20世紀フォックスから監督に起用された劇場用アクション映画である。ロングは『ブロークン・アロー』(1996年)の撮影中にフォックスと3本契約を結び、本作はその第1作として、元NFL選手を次のアクション・スターに仕立てる意図を背負った。脚本家クリス・ソスは、自身の大学院時代の脚本を75万ドルで売った後、夜の屋外で進む多数の場面を昼間へ変えるよう求められたと回想しており、炎を主役にする企画は撮影前から日光の都合とも戦っていた。映像効果はジョン・デジャルダン監修のVIFXが担い、ミニチュアとCGの森林火災を、実際の山火事映像や現場で管理した小規模な火と一致させることが難所だった。製作費はBox Office MojoとThe Numbersがともに1,900万ドルとし、北米興収は前者が8,165,212ドル、後者の配給別集計が8,123,860ドルとわずかに異なるため、約810万ドル台と記すのが安全である。炎の合成は精密でも、興行の数字まで一枚絵にはならなかったのである。
クリス・ソスが物語の着想を得たのは、1988年の大火災で焼けたイエローストーン国立公園の広大な森林だった。本作の脚本は南カリフォルニア大学の脚本課程で修士論文として書かれ、のちに75万ドルで売却された。学生の課題からスタジオ映画へ発展した企画だった。
クリス・ソスは本作を、森林火災を舞台にした『ダイ・ハード』(1988)のようなアクションとして売り込んだ。本人の説明では、『ダイ・ハード』の追跡劇と『バックドラフト』(1991)の火災映画を掛け合わせた発想だった。後世の類似評ではなく、脚本家自身が明かした企画時の比較である。
元NFL選手ハウイー・ロングを映画へ押し出したのは、当時のフォックスを率いたルパート・マードックだった。『ブロークン・アロー』(1996)ではジョン・ウーがロングの出演部分を増やし、その撮影中にフォックスとの3本契約が成立した。『ファイアーストーム』は、その契約で初めて主演を務めた作品だった。
初主演にあたり、ハウイー・ロングは演技レッスンを受けなかった。自分の演技を気にしすぎることを避けるため、撮影済み映像のデイリーも見なかったという。経験不足を技術で埋めるのではなく、現場での反応を保とうとした独特の方針だった。
撮影監督ディーン・セムラーを監督候補にしたフォックスは、まず主演のハウイー・ロングと会わせた。二人はロサンゼルスのレストランで本作のほか、『マッドマックス2』やオーストラリアン・フットボールについて語り合った。数日後、ロングの承認を得たセムラーへ正式な監督依頼が届いた。
ディーン・セムラーにとって、本作で最も楽しかったのはロケを調べ、各場面を計画し、絵コンテへ落とす準備段階だった。完成後には、監督業よりも撮影現場でカメラと照明に集中するほうが自分に合っていたと率直に振り返っている。撮影監督として成功した人物が、監督デビューを手放しでは美化していない証言である。
森林火災を描く本作は、1996年秋にバンクーバー周辺で撮影された。しかし現場では季節外れの雪が降り、撮影期間の半分を超えて雨に見舞われたと同時代記事が伝えている。乾燥した災害現場を作る映画が、実際には湿った寒冷な天候と戦っていた。
撮影9週目の1996年10月31日、スタントマンのキース・ペレペルキンがスコーミッシュ近郊でのパラシュート降下中に死亡した。カナダの労働安全当局は事故を予防可能だったとして、製作会社と担当者を安全法違反で訴追したと報じられた。一方、20世紀フォックスは初期の訴追内容に反論している。最終的な司法判断は確認できないため、責任の所在までは断定できない。
映画の火災は一種類の方法で撮られていない。VIFXは実際の山火事映像、撮影現場の制御燃焼、ミニチュアの炎、CGで作った火と煙をショットごとに組み合わせた。さらに灰や熱による空気の揺らぎを合成し、同じ森が段階的に巨大な火災へ呑まれていくように見せた。
【ネタバレあり】空中降下と崖落ちも、グリーンスクリーンと3Dで補った。VIFXはオートバイとパラシュート降下をグリーンスクリーンで背景へ合成し、崖から落ちる人物など一部を3Dで作った。実写スタントを残しながら、実行できない部分をデジタルでつないだ構成だった。
本作でパッカーを演じたバリー・ペッパーは、すでにテレビやビデオ作品へ出演していたが、劇場公開される長編映画への出演はこれが初めてだった。翌年には『プライベート・ライアン』(1998)で狙撃手ジャクソンを演じ、広く知られるようになる。単純な「俳優デビュー」ではなく、劇場長編デビューである。
公開記録上の製作費は1,900万ドルで、北米初週末は2,037館から3,849,308ドルだった。北米累計はThe Numbersが8,123,860ドル、Box Office Mojoが8,165,212ドルを掲載しており、約4万ドルの差がある。したがって、単一の端数へ固定せず「約810万ドル」とするのが安全である。
サヴォイ・ピクチャーズ版では、シルヴェスター・スタローンが2,000万ドルで主演を承諾していたという説がある。しかし確認できた本人資料は、クリス・ソスの脚本が75万ドルで売れたという部分までで、スタローンとの本作固有の契約を示す正式発表や当事者証言には到達できなかった。本作が候補の一つだった可能性と、正式に主演契約が成立していたことは区別する必要がある。
グレアム・ヨストが最初の脚本を書き、改変の大きさに抗議して自分の名前を外させたという説も流通している。完成版で脚本家としてクレジットされているのはクリス・ソスだが、それだけではヨストの参加や辞退理由を証明できない。ヨスト本人の証言、WGAの裁定記録、初期稿を確認できないため、現時点では未確認情報である。
中古のプロレスVHSを材料に偽物の木を作り、燃やした煙で出演者とスタッフ全員が3日間入院したという非常に具体的な説がある。しかし同時代の事故報道やVFX担当者の制作記録では確認できず、専門資料が説明する火災表現は実際の山火事映像、管理した火、ミニチュア、CGの組み合わせだった。奇妙な説ではあるが、現在は真偽不明とするほかない。
ハウイー・ロングは本作の撮影がフットボールシーズンと重なり、実質的に週7日働いていたと同時代取材で語っている。ただし、撮影中も毎週日曜日に『Fox NFL Sunday』の試合前・試合後番組へ欠かさず出演したという細かな説については、全期間の放送記録や制作日報まで確認できなかった。大枠は本人証言と合うが、毎週の行程は未確定である。