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1998年公開。グレゴリー・ホブリット監督は、脚本家ニコラス・カザンと別企画を進めていた際に本作の脚本を渡され、警察ドラマと悪魔憑き映画を接続する発想に惹かれて監督を引き受けた。カザンは悪を怪物の姿で見せず、誰にでも入り込み得る見えない存在として描く方針を選び、ホブリットもテレビの刑事ドラマで培った現実感をそこへ持ち込んだ。製作費は約4,600万ドル、世界興収は約2,520万ドルにとどまり、公開時は批評・興行ともに厳しい結果となった。悪魔は最後まで姿を見せなかったが、興行成績の不吉さだけはかなり明瞭だったようだ。
グレゴリー・ホブリットと脚本家ニコラス・カザンは、当初ジェイムズ・エルロイ原作の別企画に取り組んでいた。その流れの中で『悪魔を憐れむ歌』の脚本が出てきて、ホブリットはこちらを映画化する道へ進んだ。
ニコラス・カザンは、悪魔を分かりやすい怪物として見せるより、正体の見えない恐怖として扱う方向を意識していた。派手な変身ではなく、日常の人間関係に入り込む見えない悪意が作品の怖さになっている。
ホブリットはテレビの警察ドラマで実績を積んだ監督で、本作でも捜査ものの手触りを前面に出している。超自然ホラーなのに、序盤はほとんど刑事ドラマの顔で進むのが面白い。
ローリング・ストーンズの「Time Is on My Side」は、劇中で悪意が移動していく合図のように使われる。陽気にも聞こえる有名曲が、作品内ではかなり嫌な予兆に変わってしまう。
冒頭の死刑囚リースは、処刑直前に「Time Is on My Side」を歌う。ここで仕込まれた歌が、あとから物語全体の不気味な共通言語として効いてくる。
ロジャー・イーバートは、死者の上を抜ける視点ショットに作品の仕掛けを見ている。普通の捜査シーンに見える場面にも、悪の移動を感じさせる見せ方が忍ばされている。
事件の手がかりには、古代アラム語に関わる要素が出てくる。現代の殺人捜査に古い宗教的な言葉が混ざることで、物語は警察署から神話の領域へ少しずつずれていく。
『悪魔を憐れむ歌』は公開時の興行では大きく伸びず、予算に対して厳しい結果になった。しかしあとから、デンゼル・ワシントン主演作の中でも妙に記憶に残る異色作として語られている。
本作は連続殺人事件を追う刑事映画の形で始まるが、真相に近づくほど超自然ホラーへ傾いていく。ジャンルの切り替わりがゆっくりなので、初見だと足元がずれる感覚がある。
『悪魔を憐れむ歌』という邦題から、ローリング・ストーンズそのものを扱う映画だと思われることがある。実際は曲名を連想させるタイトルを持つ超自然スリラーで、音楽ドキュメンタリーではない。