🔍 ポップコーン探偵
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太陽の帝国の映画トリビア用メインビジュアル
過去の放送記録
放送日 7月28日(火) 13:00〜

太陽の帝国

Empire of the Sun / 1987
IMDb ⭐ 7.7🕐 153分🎬 Warner Bros.1987年
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探偵アイコン 探偵による映画背景メモ

1987年公開。J・G・バラードの半自伝的小説の映画化権を得たワーナーは、当初ハロルド・ベッカーを監督に想定し、その後デヴィッド・リーンへ企画を託したが、リーンも開発途中で降板した。プロデューサーとして参加していたスティーヴン・スピルバーグは、原作を読んだ時点から密かに自分で監督したいと考えており、最終的に企画を引き継いだ。中国側との約1年にわたる交渉を経て上海で大規模撮影を行い、1940年代以来初めて同地で撮影されたアメリカ映画となった。製作費約2,500万ドルに対し世界興収約6,670万ドルだったが、北米では期待を下回り、当時は商業的失望作とも見なされた。名匠から名匠へ渡された大企画も、観客まで予定どおり引き継げるとは限らなかったようだ。

― ポップコーン探偵
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制作秘話
信頼度

実在のバラードは両親と離れ離れになっていない。現実の彼は両親と妹とともに収容され、約3年を同じ部屋で過ごしていた。それでも親が食事や衣服を与えられず、従来の親子関係が機能しなくなった感覚を、バラードは両親との完全な離別へ置き換えた。終盤の再会は、史実の再現ではなく、戦争が生んだ心理的な断絶を映像化した場面である。

制作秘話
信頼度

華やかな仮装パーティーを模型飛行機を持ったジムが走り抜ける。その客の一人が、ジムの原型であるバラード本人である。撮影には2日間参加し、スティーヴン・スピルバーグから短い台詞も提案されたが、本職の俳優に囲まれて作品を損ねたくないとして辞退した。作者はグラスを手にした無言の客として、自分の少年時代が走り去る背景に残った。

制作秘話
信頼度

制作陣は許可が下りない場合に備えて代替地まで探したが、中国電影合作公司と上海電影製片廠の協力で約1年の交渉をまとめた。許可されたのは、1959年以来撮影用には閉鎖されていなかった主要道路である。現地撮影は約3週間に限られたが、家族を飲み込む群衆を上海の実際の街幅と奥行きで撮ることができた。

制作秘話
信頼度

撮影済みフィルムは毎晩、上海から香港を経てロンドンの現像所へ送られた。月曜日に撮った分の技術報告が届くのは早くても水曜午後で、完成したラッシュを上海へ戻す経路は使えなかった。アレン・ダヴィオーは3週間以上、撮影直後の映像を確認せず、露出と構図をカメラ脇で見た光景だけから判断していた。

制作秘話
信頼度

【ネタバレあり】スペインの飛行場攻撃には3機のP-51Dマスタングが投入された。軽いプラスチック製模擬爆弾は不自然に回転しないよう石膏を加え、約150〜200ポンドまで重くした。レイ・ハンナらは高度25〜30フィートで投下し、地面を一度跳ねた爆弾を格納庫の正面へ通した。続く機体は数秒差で突入し、爆発と実機の超低空飛行を一度の段取りに合わせている。

制作秘話
信頼度

日本軍飛行場に並び、滑走路から離陸する零戦は、スペイン空軍で使われたT-6練習機を改造したものだ。外形や塗装を零戦へ寄せた代用機を現地の仮設滑走路から飛ばし、攻撃側には実物のP-51Dマスタングを投入した。画面は改造練習機と本物の戦闘機を一つの空襲場面に組み合わせている。

情報不足・要確認
信頼度

18フィート級のB-29も飛行模型として作られた。翼幅約18フィートの大型ラジコン模型が製作され、降着装置、爆弾倉扉、フラップまで作動する構造だったと伝えられる。国立航空宇宙博物館には本作の模型航空機資料が残るが、正確な受信機数と操作系統は今回直接確認できなかった。

制作秘話
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繰り返し聞こえる「スオ・ガン」は、母が子を安心させるウェールズ語の子守歌である。録音ではジェイムス・レインバードがソロを務め、アンブロージアン・ジュニア合唱団が歌った。安全と温もりを約束する歌が、両親から離され戦場をさまよう少年へ重なるため、旋律そのものが失われた母の居場所になる。

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ジム役の選考には約4,000人の少年が参加した。スピルバーグは13歳のクリスチャン・ベールを起用し、作品のほぼ全編をその視点で進めた。公開年の全米映画批評会議では、本作が作品賞と監督賞を受けただけでなく、ベールも若手演技への特別表彰を受けている。

制作秘話
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戦争前、両親がジムを寝かしつける場面では、新聞を持つ父親とベッドを囲む両親がノーマン・ロックウェルの「Freedom from Fear」に近い配置を取る。同じ絵は後に収容所の壁にも貼られる。家庭の安全を描いた図像が、後半では失われた暮らしの紙片としてジムのそばに残る。

制作秘話
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収容所の英国人捕虜を演じたエリック・フリンは、第二次世界大戦中に家族とともに日本軍の収容所へ入れられた経験を持っていた。ジムの境遇に近い記憶を持つ人物が、完成版では大きく説明されない捕虜の一人として映っている。配役そのものに子ども時代の被収容経験が含まれていた。

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最初に開発へ入った監督はハロルド・ベッカーで、その後デヴィッド・リーンも映画化を望んだ。リーンは権利状況を調べるよう友人のスピルバーグへ頼んだが、数か月後には考えを変え、彼へ監督を勧めた。スピルバーグは敬愛するリーンから企画を託される形で、自ら演出へ回った。

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マーク・ライランスは本作のオーディション後、小さな役を提示されたが辞退した。するとスピルバーグはより大きな役を提案したものの、同時期に国立劇場からも誘われていた。利点を比較しても決められず易経を引き、そこで示された「共同体」を理由に舞台を選んだ。二人の映画での協働は約28年後の『ブリッジ・オブ・スパイ』まで待つことになる。

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ベン・スティラーは捕虜デインティ役で本作に参加した。当時、戦争映画へ入る俳優たちが軍事顧問とキャンプし、その体験を人生が変わった出来事のように語る習慣へ皮肉を感じたという。その着想は約21年後、俳優が戦争映画の撮影中に本物の危険へ巻き込まれる『トロピック・サンダー』として形になった。

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本作はアカデミー賞で美術、撮影、衣装、編集、作曲、録音の6部門に候補入りしたが、すべて『ラストエンペラー』に敗れた。一方、全米映画批評会議では作品賞と監督賞を受賞し、クリスチャン・ベールにも特別表彰が贈られた。同じ年の二つの中国大作が、異なる賞で対照的な結果を残している。

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上海の戦時風景を作る煙には、古タイヤの燃焼が使われた。撮影は人口密集地の鳳陽路と九江路付近で5日間続き、硫黄酸化物濃度が許容値の約30倍に達したと報じられ、住宅や樹木にも被害が出た。アムブリンとワーナーは1万3500ドルの罰金を科されている。

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ロナルド・レーガン大統領夫妻の鑑賞記録には、1988年1月9日にキャンプ・デービッドで本作を見たことが残る。翌週の1月16日には『ラストエンペラー』も鑑賞している。1987年に公開された二つの中国大作を、一週間隔で続けて見た日程だった。

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完成版の収容所では、プライス中尉役ポール・マッギャンやロックウッド役ロバート・スティーヴンスの出番が短い。両者は後年、撮影した場面の多くが編集で削られたと話している。ミランダ・リチャードソンを含む周辺人物の比重も圧縮され、長い収容生活はジムとベイシーの関係へ集中する構成になった。

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製作総指揮ロバート・シャピロは、J・G・バラードの小説が1984年に刊行される前から内容を知り、すぐ映画化権の取得を申し出た。ワーナーは優先交渉契約の一環として開発を認め、ハロルド・ベッカーが監督に就いた。企画は出版後の成功を見てからではなく、原稿段階から動いていた。

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原作のベイシーは、バラードが収容所で出会った複数の米国人船員の記憶をまとめた人物である。映画化ではスピルバーグとトム・ストッパードがジムとの関係をさらに拡大し、観客が長く追えるよう人間味を加えた。そのためベイシーは保護者、取引相手、裏切り者を一人で兼ねる存在になった。

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アレン・ダヴィオーは、カナダのライツ社から届いたばかりのパナビジョン・プリモレンズを本作で使用した。上海の密集した通りを高所から移動するショットには、組み替え可能なマルチクレーンを導入し、露出を撮影中に変える装置やコダックの新しい高感度フィルムも併用した。新型レンズと大型クレーンが、群衆の広がりを一続きの運動へ変えている。

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飛行場攻撃の一部には大型ラジコンP-51が使われた。地上で弾着火花を作るため散布した鉄粉を模型のエンジンが吸い込み、停止して墜落した機体があったという。模型撮影は単なる縮小版ではなく、飛行可能な機体と火薬効果を同じ空間で動かすため、別種の実機事故を抱えていた。

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日本軍飛行場のセットには実際に飛べる滑走路があり、零戦役のT-6はそこから運用された。P-51にも十分な長さはあったが、表面が砕石と土で、プロペラやラジエーターを損傷する危険が高かった。そのため3機のマスタングは約10分離れたヘレス空港を基地にし、撮影時だけ超低空でセットへ進入した。

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上海にはバラードの旧宅や英国風住宅が残っていたものの、撮影時には複数の中国人家族が暮らしていた。住居を空けてロケ地にすることはできず、グレアム家の室内や住宅場面はロンドン周辺の既存住宅へ移された。画面の上海は、現地の街路と英国の家屋を編集でつないで成立している。

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蘇州河収容所、日本軍飛行場、南市競技場は、スペイン南部トレブヘナ近郊に建設された。制作側は当初見積もりより約100万ドル高くなったと主張し、現地側は英国人スタッフや資材、ケータリング、現像の輸入が費用を押し上げたと反論した。地元失業者の採用をめぐる訴えも起きたが、日当の引き上げ後に取り下げられている。

制作秘話
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ベン・スティラーによれば、スピルバーグはニューヨークで彼の舞台を見た後に面会し、オーディションなしで本作へ起用した。現場ではカメラ位置が直前まで決まらず、出演者は常に待機していたという。デジタル合成以前の遠景には、板へ描いた飛行機も使われていたと振り返っている。

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主要撮影は1987年3月1日に始まり、上海で約3週間撮った後、英国とスペインへ移った。上海では公害罰金、スペインでは費用超過と雇用をめぐる訴えが起きたが、撮影日程そのものは遅延しなかった。6月19日には予定より5日早く主要撮影を完了している。

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映画化権の取得後、バラードは自分で脚色する提案を断った。アルヴィン・サージェントが脚本候補となった時期を経て、トム・ストッパードが執筆を担当し、メンノ・メイエスも改稿へ参加した。監督もハロルド・ベッカー、デヴィッド・リーンの検討を経て交代しており、完成版は複数の開発段階を通過している。

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チャールズ・ダンスは本作の助演に予定されたが、『白い炎の女』との撮影日程が衝突して断念した。同時代報道は出演できなかった理由を日程と伝えている一方、提示された役名までは特定していない。完成版の配役から逆算せず、役柄不明の降板候補として残すべき逸話である。

制作秘話
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2012年12月5日発売のワーナー日本版Blu-rayは2枚組で、本編ディスクに約50分のドキュメンタリーを収録している。別DVDには47分の「Warner at War:戦争と映画〜第二次大戦の中で」も付属する。本作の現場映像を追う場合、正規特典の制作記録へ進める版である。

制作秘話
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北米では1987年12月に225館で公開され、最初の週末は約131万ドルだった。クリスマスに合わせて673館へ拡大したものの、12月末時点の累計は約661万ドルである。大規模な上海ロケと国際撮影を行った作品に対し、公開直後の興行は弱い出足となった。

誤情報・検証
信頼度

ジーン・アンダーソンが出演したとする古い資料があるが、完成版クレジットと主要データでは確認できない」という話がある。ただし、現時点で当事者資料や制作記録まで裏付けはそろっていない。この話を裏付ける一次資料は、まだ見つかっていない。

情報不足・要確認
信頼度

ジムが名乗る十三番地を、原作者旧宅三十一A番地への数字遊びと読む説がある。ただし旧アマースト・アベニューを現在のパンユー路とする説明は地図と合わず、現在はシンホワ路とされる。面白い小ネタほど住所の混同に注意がいる。

情報不足・要確認
信頼度

クリスチャン・ベールはウェールズ生まれで、劇中歌「スオ・ガン」もウェールズの子守歌である。だが、その出身地に合わせて選曲されたという制作側の証言は見つかっていない。美しい一致だけでは制作理由にならないという話。

裏取り強め
有力ソースあり
未確認・噂寄り
情報不足・要確認

主な参考資料

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