主な参考資料
- Directors Guild of America
- BFI
1971年、ABCの「Movie of the Week」用に作られたスティーヴン・スピルバーグ監督作であり、ここで扱う基準版は全米放送用の74分版である。リチャード・マシスンは自作短編を自らテレビ脚本に直し、スピルバーグは製作の打診を受けるため、当時未放送だった『刑事コロンボ』の自作回をプロデューサーのジョージ・エクスタインへ持ち込んだ。スピルバーグは後年、ネットワークから74分を11日で撮るよう求められ、車内・車体・反対側の走行を同時に拾う5台のカメラを使い、脚本の台詞を約半分削ったと語っている。視聴率を受けてユニバーサルは海外劇場公開を決め、放送から約1か月後に13〜14分を追加撮影して、74分版を約90分の劇場版へ延長した。日本では1973年にこの拡張版が劇場公開され、米国での劇場公開は1983年の再上映まで待つことになった。テレビ局が「視聴者への道案内」として台詞を残し、監督がそれを削り、海外配給がさらに尺を足した――この作品はトラックより先に、放送と配給の都合を振り切って走ったのである。
原作者リチャード・マシスンによれば、着想の日は1963年11月22日、ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺された日だった。友人と車で移動中に大型トラックから激しくあおられ、その恐怖をメモに残した。後に『Playboy』へ発表した短編が、テレビ映画『激突!』の原作になった。
原作をスピルバーグへ知らせたのは、秘書のノナ・タイソンだった。すでにジョージ・エクスタインが映像化を進めていると知った監督は、完成前の『刑事コロンボ』第1作の粗編集をエクスタインへ見せて売り込んだ。その映像がABCへの推薦材料となり、24歳のスピルバーグが監督に選ばれた。
運転手の顔を見せない設計は、マシスンの脚本に最初からあった。マシスンの脚本は、窓から出る手やブーツは見せても顔は見せないと指定していた。監督は「見えないものの方が怖い」という点に最も強く引かれたと回想している。
スピルバーグは『激突!』を「最初の無声映画」のように考え、脚本の台詞を約50%削った。本人はさらに減らしたかったが、ABCは主人公の状況を説明する会話を残すよう求めた。現在ある台詞量は、映像だけで進めたい監督と、視聴者への説明を求めるテレビ局の妥協の結果である。
デニス・ウィーヴァー起用の決め手は『黒い罠』の不安演技だった。スピルバーグはオーソン・ウェルズ監督『黒い罠』(1958)で、ウィーヴァーが演じた不安定なモーテル管理人を高く評価していた。その不安、恐慌、偏執へデヴィッド・マンを終盤で到達させたいと考えたのである。
車種より先に「赤い車」と決め、砂漠から浮かせた。ロケ地の砂漠がベージュと茶色で占められるため、スピルバーグは「車種は何でもよい、赤い車が欲しい」と美術班へ伝えた。遠景でも小さな車が背景から浮き、巨大なトラックとの位置関係が読めるようになった。
トラックも俳優のようにオーディションされた。ユニバーサルのバックロットへ約7台を並べ、スピルバーグは古いピータービルトを選んだ。二つの窓が目、突き出たボンネットが鼻、グリルとバンパーが口に見え、運転手を映さなくても車体そのものへ顔を与えられたからである。
トラックには毎朝「メイク」が施された。7〜8人ほどのスタッフが油やグリース、偽物の虫を加え、長年走り続ける不潔な車体にした。前面の複数州のナンバープレートも単なる道路許可証の再現ではなく、監督は運転手が各地で倒した車の戦利品、拳銃の刻み目のように考えていた。
スピルバーグは通常の絵コンテを作らず、道路、事件、カメラ位置を記した巨大地図で全編を設計した。地図はパームデールのモーテルの壁を覆うほど大きかった。約1マイルの区間へ最大5台のカメラを置き、車両を逆方向へ走らせ、レンズも替えることで、限られた道路から多数の異なる追跡ショットを得た。
製作側は短い日程で道路劇を撮るため、先に背景だけを撮り、俳優をスタジオの車内へ置くプロセス撮影を提案した。スピルバーグは車の揺れと背景がずれて偽物に見えるとして拒否した。最初の3日間を予定どおり進められれば全編ロケを許すという条件を守り、追跡場面を実際の道路で撮り続けた。
『ブリット』用の低いカメラカーで、時速40キロ前後を猛スピードに見せた。『ブリット』(1968)のためにパット・ハスティスが作った低いインサートカーを借り、車輪の近くから撮影した。近い崖が速く流れる構図と長いレンズも組み合わせ、時速約25マイル、約40キロの走行でも速度と重量を大きく見せた。
デニス・ウィーヴァーは相当数の運転を自分で行ったが、危険な動きは専門家へ分けた。大型トラックはキャリー・ロフティン、赤い車の衝突や難しい操縦はデイル・ヴァン・シックルが担当した。スピルバーグは、ロフティンが危険に見える動きを安全に成立させた点を特に評価している。
カフェで主人公が便所から客席へ戻り、窓外のトラックを見つけるまでの長い移動ショットは、ステディカムが普及する前に撮られた。小型のAeroflexを手持ちで運んだが、静音カメラではなかった。現場音には機械音が入るため、台詞の再録とフォーリーを後から重ねて場面を完成させた。
電話ボックスへトラックが突っ込む場面で、逃げ出すのは代役ではなくウィーヴァー本人である。進路脇には複数の旗を置き、最後の旗までに俳優が外へ出なければ、ロフティンが左へ回避する手順を決めた。何度もリハーサルしたうえで一度だけ撮り、監督は二度目を試さなかった。
内心の声を朝に録音し、撮影中のウィーヴァーへ再生した。撮影日の朝、ウィーヴァーが台詞をNagra録音機へ吹き込み、車内撮影ではその声を再生した。俳優は自分の内心を聞きながら表情と呼吸を合わせ、声と顔を別々に撮る場面でも一つの心理を保った。
ロケ中のスピルバーグは、その日に撮ったラッシュをほとんど見られなかった。ペアブロッサムに撮影隊ごと滞在し、ユニバーサルへ戻る時間がなかったためである。現像所から「傷なし、露出適正」という報告を受け、撮影監督ジャック・マータの経験を信じて翌日の撮影へ進んだ。
撮影終了からABC放送まで、残りは約3週間半だった。1人では間に合わないため5人の編集者が同時に担当し、スピルバーグは自転車で編集室を回った。ある編集者は別場面の素材まで借りて追跡のテンポを上げ、脚本にも撮影設計にもなかった高速感を編集で作り出した。
主人公が線路脇で眠る場面では、遠くから来る列車の映像へ、先にトラックのエンジン音を重ねている。観客と主人公が敵の再来だと思ったところで、音はディーゼル列車へ切り替わる。車体を見せずに音だけでトラックを出現させ、安心までを一つの変形で作った。
作曲のビリー・ゴールデンバーグは、ABCのテレビ映画らしい弦楽器とホルン中心の音を避けた。アフリカ系の楽器、低い太鼓、チューブラーベルを使い、旋律より環境の不穏さを重ねた。マシスンも伝統的でない音楽が効果的だったと振り返っている。
最初に放送された版は約74分で、海外の劇場映画としては短すぎた。そこで踏切、スクールバス、妻への電話、都市を抜ける導入などを追加撮影し、約89〜90分へ拡張した。現在の配信やソフトでは版が混在するため、上映時間が違っても別作品とは限らない。
テレビ画面では隠れていたスピルバーグ本人が、海外劇場版の横長画面で見えてしまった。車内撮影で後部座席に座る姿は、一部の1.85:1プリントを拡大して外したが、電話ボックスのガラスに脚本を持つ反射は残った。ラッシュを見られなかった短期ロケと、後から変わった画角が生んだ偶然の登場である。
『激突!』は1972年のエミー賞で、映画音響編集部門を受賞した。トラックを姿の見えない怪物に変えたエンジン音、列車との音のすり替え、終幕のうなり声まで、映像と同じ比重で設計された音が公式に評価された形である。監督賞ではなく音響編集チームの受賞である点も重要だ。
スピルバーグは、『激突!』がなければ長編『続・激突!/カージャック』(1974)の製作許可も、『ジョーズ』(1975)への道もなかったと振り返っている。トラックとサメはいずれも正体の見えにくい追跡者で、監督自身も二作の類縁を認めた。日本語題は似ているが、『続・激突!/カージャック』は物語上の続編ではない。
『ベイビー・ドライバー』(2017)のエドガー・ライトは、『激突!』をほぼ無声映画のように成立するカー・サスペンスとして挙げた。対談でスピルバーグは、台詞を約半分削った事実と、さらに減らしたかった意図を認めている。単なる似た車映画ではなく、音と運動で物語を進める方法が後続作へ受け継がれた。
【ネタバレあり】最後にトラックが車を押して崖へ落ちる撮影では、使えるトラックは一台だけで、二度目はなかった。無人でも進み続ける装置を組み、崖下の7か所へカメラを配置した。土煙の中からタンクが再び現れるまで追えた一台のカメラ映像が特に優れ、その長い一連のショットが完成版の中心になった。
【ネタバレあり】ABCは、可燃物表示のあるタンクローリーが崖から落ちるなら、大爆発させるべきだと再撮影を求めた。スピルバーグは、トラックを機械ではなく怪物として「ゆっくり苦しんで死なせる」ため爆発を拒否した。プロデューサーのジョージ・エクスタインも監督を支持し、火球のない現在の終幕が守られた。
【ネタバレあり】崖を落ちるトラックには、機械音ではなく恐竜のような断末魔が重ねられた。スピルバーグはトラックをゴジラのような怪物として扱ったためである。後に『ジョーズ』(1975)でサメが死ぬ場面にも同じ音を使い、『激突!』が自分を映画監督へ進ませたことへの私的な敬意にした。