『狼よさらば』原作者が描いたのは、自警行為で壊れていく男だった
『狼よさらば』の原作者ブライアン・ガーフィールドは、映画になった自作を歓迎したわけではありません。原作で描きたかったのは、法を自分の手で代行し始め、精神を壊していく男だったと説明しています。映画は、そのメッセージを変えてしまったというのが作者の批判でした。[1]
復讐する主人公がいる、という筋が同じでも、その人物をどう見せるかまで同じとは限らないのです。
・映画の公開後も、原作者は異議を唱えた
AFIの記録によると、ガーフィールドは1975年、映画のテレビ放送が予定されていることに懸念を表明しました。その際、自警行為に踏み込んだ主人公が精神的に変質することこそ、原作の意味だったと説明しています。[1]
翌1976年には、米国の二つのテレビ局が放送を取りやめたことにも賛意を示しました。[1] 映画化に少し不満があったという程度ではなく、公開後に作品がどう届くかについても、はっきり異なる立場を取っていたのです。
・作者は、その問題を小説で書き直した
ガーフィールドは2007年の本人インタビューで、後に書いた小説について、映画版への埋め合わせのような意識があったと話しています。そこで示したかったのは、自警行為は解決ではなく問題であり、行う本人を壊してしまう、ということでした。[2]
この発言を見ると、映画への不満が、単に場面や人物の名前を変えられたことではなかったと分かります。暴力を振るう主人公を、どちらの方向へ進む人物として描くか。その軸が作者には重要だったのです。
・小説の意図と、映画を見た感想は分けられる
だからといって、映画の観客が全員同じ意味で主人公を応援した、ということにはなりません。原作者が説明する意図と、映画の演出が与える印象、個々の観客の受け止め方は、別々に考えられます。
本作を見返すなら、主人公が標的を倒した瞬間だけでなく、その前後の顔や、暴力を重ねた後の変化を追ってみてください。原作者が見せたかった「壊れていく人」と、画面の人物はどれほど重なるのか。あらすじの比較だけでは見えにくい、映画化の違いです。