主な参考資料
- Turner Classic Movies
- Los Angeles Times
- The Guardian
- AFI
- The Academy
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フレッド・ジンネマンは、製作者ジョン・ウルフの事務所で出版前の原作ゲラを見つけ、一晩で読み終えると翌朝に映画化を提案した。結末を観客が知っている物語でも緊張を保つため、ジンネマンは感情を煽るスター映画ではなく、暗殺者と捜査側の手順を冷静に積み上げる巨大なパズルとして本作を設計した。ユニバーサルはロバート・レッドフォードやジャック・ニコルソンを検討したが、ジンネマンは『恋』(1971)で難しい台詞を自然に言ったエドワード・フォックスを推し、無名の顔だから結末を予測させないという考えで米国側を約6か月かけて説得した。フランス側の製作者ジュリアン・ドロードが当局との交渉を進めた結果、撮影班は内務省内部や実際の7月14日のパリ祭へ入り、群衆が劇中の逮捕を本物だと思って抗議するほど実景と芝居を混ぜられた。ジョルジュ・ドルリューは約30分の音楽を録音したが、完成版に残った劇伴は約5分で後半には音楽がなく、2025年の初サウンドトラック化で未使用曲を含む全体像が初めて整理された。The Numbersの北米興収は1,605万6,255ドルで、作品賞を含む英国アカデミー賞7部門候補のうちラルフ・ケンプレンが編集賞を受賞し、米国アカデミー賞でも編集賞候補となった。
フレッド・ジンネマンは、製作者ジョン・ウルフの事務所で出版前の原作ゲラを見つけた。ウルフから「手放せないスリラーだ」と渡されると、一晩で読み終え、翌朝には映画化を提案した。企画を持ち込まれたのではなく、監督が読書の勢いをそのまま映画企画へ変えたのである。
観客は、シャルル・ド・ゴールが暗殺されなかった史実を知っている。フレッド・ジンネマンは、その不利を隠すのではなく、暗殺準備と捜査を一つずつ組み合わせる巨大で冷静なパズルとして本作を作った。誰が勝つかではなく、計画がどこまで進むかを緊張の中心へ移したのである。
フレデリック・フォーサイスは原作小説を35日で書き上げたが、最初の4社は出版を断った。フランス側の関心を知ったハッチンソンが3冊契約を結び、ベストセラー化した原作の未出版ゲラがジョン・ウルフの手に渡った。本作の映画化は、すぐ売れた原作を買っただけの企画ではなかった。
フレデリック・フォーサイスは1971年5月に自ら脚色を完成させていた。制作側はその後ケネス・ロスを起用し、ロスは同年12月に第1稿を仕上げ、最終的に単独で脚本クレジットを受けた。原作者の初稿をそのまま撮ったのではなく、映画用の脚本へ担当を切り替えたのである。
本作は国際共同製作であり、協定の条件から全役をイギリス人とフランス人の俳優で固めることになった。フレッド・ジンネマンは、その制約を半ドキュメンタリー風の演出へ結び付け、各国の俳優を集めながら、画面をスターの顔で支配しない配役を選んだ。
Universalは有名な米国俳優を主演に望み、ロバート・レッドフォードとジャック・ニコルソンを検討した。フレッド・ジンネマンは、観客が結末を予測しにくい無名の顔が必要だとしてエドワード・フォックスを選び、米国側が同意するまで約6か月かけた。スターを使わないことが、配役上の妥協ではなくサスペンスの仕掛けになった。
フレッド・ジンネマンがエドワード・フォックスを選んだ決め手は、『恋』(1971)の「女性に非はない」という趣旨の台詞だった。ジンネマンは、言いにくい台詞をフォックスが本当らしく聞かせた点を評価した。ただし脚本家ケネス・ロスが後年訂正した通り、その台詞は本作には登場しない。
エドワード・フォックスは撮影前の約8か月、冷酷な暗殺者の心理を考え続けた。本作のジャッカルは台詞で内面を説明しないため、フォックスは残忍で利己的な人物でも観客が画面を見続けられる存在にすることを自分の仕事とした。役を善人に変えるのではなく、無言の時間に見る理由を作ったのである。
エドワード・フォックスが本作で最初に撮ったのは、OASがジャッカルを雇う場面だった。フォックスは冷静さを出そうとして力み、撮影は3日間うまくいかなかった。フレッド・ジンネマンが長い車移動へ連れ出して仕事の見方を話した後、フォックスは必要な軽さをつかんだ。
フランス側の製作者ジュリアン・ドロードは当局との交渉を進め、撮影班を内務省内部など通常は許可されにくい場所へ入れた。フレッド・ジンネマンによれば、外国映画だけでなくフランス映画にも前例のない許可で、フランスの新聞から英語圏へのえこひいきだという反発まで起きた。
撮影班は、実際の7月14日のパリ祭で警察線の内側へ入り、夜明けから集まる兵士、戦車、砲列の中へ俳優を置いた。俳優が観客を逮捕して身体検査する芝居を始めると、周囲の人々は本物の警察行動だと思い、声を上げて抗議した。実景が背景になっただけでなく、現実の反応まで画面の外で起きた。
パリ警察は8月15日の休暇期を利用し、交通量の多い広場を撮影のため3日間空けた。ところが撮影週末はほぼ雨になった。制作側は許可を取り直すのではなく撮影を続け、完成画面では悪天候が目立たない形に収めた。
物語の舞台となる1963年の旧モンパルナス駅は、撮影時にはすでに取り壊されていた。制作班は現在の駅で代用せず、パリのブローニュ撮影所に旧駅を再現した。本作の実景中心の画面にも、失われた場所だけは時代を戻すセットが必要だった。
シャルル・ド・ゴール役のアドリアン・カイラ=ルグランは、帽子の縁に手を触れず敬礼する癖まで研究した。パリの街頭で車から降りる撮影をすると、通行人は亡くなったド・ゴールの幽霊だと思って息をのみ、ジンネマンの回想では十字を切って気を失った人までいたという。
片脚の退役軍人へ変装する場面で、エドワード・フォックスは片脚を後ろへ折り曲げ、身体へ縛り付けた。強い痛みがあり血流も止まるため、現場の医師はその姿勢を一度5分までに制限した。画面上の歩き方は、単なる衣装や靴の細工だけで作られたものではない。
ジョルジュ・ドルリューは本作のために約30分の音楽を録音し、その約3分の1は店内音楽や街頭音楽など劇中で鳴る曲だった。完成版に残った劇伴は約5分だけで、後半には音楽がない。2025年の初サウンドトラック化は、Universalの現存テープから未使用曲も復元し、映画では聞けなかった構想を初めて並べた。
本作の撮影は1972年6月から10月にかけて行われ、パリ、ロンドン、ローマ、ジェノヴァ、ニース、ウィーンを移動した。室内場面にはブローニュ撮影所とパインウッド撮影所を使った。ヨーロッパを横断する物語を、一都市の代用ロケだけで済ませなかったのである。
本作は1974年の英国アカデミー賞で、作品、監督、脚本、編集、音響、助演男優、助演女優の7部門候補となり、ラルフ・ケンプレンが編集賞を受賞した。米国アカデミー賞でもケンプレンは編集賞候補となった。手順を積み重ねる演出は、編集の仕事として公式に評価された。
The Numbersが集計する本作の北米興収は1,605万6,255ドルである。1996年、Universalが内容を大きく変えた新企画へ同じ英題を使おうとすると、フレッド・ジンネマン、フレデリック・フォーサイス、ジョン・ウルフが抗議した。Universalは題名を取り下げ、映画を『ジャッカル』(1997)として公開した。
フレッド・ジンネマンは後年、エドワード・フォックスが本作で「女性に非はない」という趣旨の難しい台詞を言ったと紹介した。しかし本作の脚本家ケネス・ロスは、その台詞は本作に存在しないと訂正している。ジンネマンがフォックスを評価したきっかけは正しいが、台詞が登場する映画は『恋』(1971)である。
本作は音楽をほとんど使わないことで知られるが、「音楽が一切ない」は正確ではない。ジョルジュ・ドルリューは約30分を録音し、完成版には約5分の劇伴と、店内や街頭で鳴る劇中音楽が残った。音楽がなくなるのは後半であり、全編無音楽ではない。