1981年公開。企画初期にはジョン・スタージェス監督、ロバート・レッドフォード主演の英語作品として検討されたが停滞し、バヴァリア・フィルムのギュンター・ロールバッハがウォルフガング・ペーターゼンを起用してドイツ映画として立て直した。当時のドイツ映画として最大級かつ技術的にも最も複雑な製作となり、撮影監督ヨスト・ヴァカーノは狭い潜水艦セットを走り抜けるため、ジャイロを組み込んだ小型手持ちカメラを開発した。世界市場を狙う大作でありながら、映像はハリウッド的な美しさではなく、戦場記者が艦内へ閉じ込められたようなドキュメンタリー調に設計された。完成作はアカデミー賞6部門にノミネートされ、ペーターゼンのハリウッド進出を開いた。世界向けに撮れと命じられた現場が、結局はハリウッドらしく撮らないことで世界へ届いたのである。
狭い艦内を疾走する映像のため、撮影監督ヨスト・ヴァカーノはジャイロ付き手持ちカメラを工夫した。既存の安定化装置では防水ハッチを通れず、この現場発のカメラワークが息苦しい臨場感を作った。
艦内シーンではVII C型潜水艦を思わせる実物大級のセットが組まれ、油圧装置で大きく傾けられたとされる。爆雷攻撃の場面で俳優たちが本当に転げ回る感覚は、かなり物理的に作られていた。
乗組員のやつれを作るため、俳優陣は撮影中に日光を浴びることを制限されたとされる。さらに物語に近い順番で撮ることで、髭の伸び方や青白い顔色まで時間経過として画面に残した。
ラ・ロシェルで使われたフルサイズ潜水艦模型は、同じ場所で撮影していた『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』にも貸し出された。現場への連絡不足から、スタッフが潜水艦が消えたと騒いだ逸話も残る。
荒海を進む遠景のミニチュア撮影では、司令塔に立つ乗組員として改造した着せ替え人形が使われたとされる。サーボで動く小さな人形が、巨大な海戦映画のスケール感を支えていた。
艦内セットの油圧装置やジャイロカメラは騒音が大きく、撮影時の音声はほぼ使えなかったとされる。本編の囁きや叫び、環境音は後から緻密に再構成された音の世界だ。
嵐の場面では、ヤン・フェダーが波にさらわれて負傷し、肋骨を痛めたという撮影事故が伝わっている。細部には揺れがあるが、役を負傷して寝込む人物に変えたという話は有名な現場逸話だ。
劇中には4ローター式エニグマが登場するが、物語の舞台である1941年秋にはUボート向けの正式配備前だったと指摘されている。リアル志向の作品にも、暗号機マニアが拾う時代のズレがある。
世界的に評価された映画版に対し、原作者ロータル=ギュンター・ブーフハイムはかなり批判的だった。原作の反戦性が弱まり、Uボート戦を再美化していると感じていたとされる。
クラウス・ドルディンガーの重厚なテーマ曲は、1990年代にドイツのユニットU96によってテクノ曲として再ヒットした。潜水艦映画の旋律が、後にクラブミュージックの文脈でも広まったのだ。
冒頭のナイトクラブでトムゼン大尉が泥酔スピーチをする場面では、オットー・ザンダーが実際に酒を飲んで臨んだという逸話がある。前任俳優が酒の問題で外れたという話もあり、泥酔演技そのものが二重に皮肉な裏話になっている。
艦長、機関長、第1・第2監視士官といった中心人物は、劇中で本名よりも役職や通称で扱われる。潜水艦という閉鎖空間で、人物が個人名より職能として存在していることがよく分かる演出だ。
全長約11メートルの大型ミニチュアは、当初内部に潜水士を入れて操舵していたとされる。しかし荒れる北海での揺れが過酷すぎ、ベテラン潜水士が人生初の船酔いに苦しんで方式変更になったという。
主要キャストの多くは英語にも対応できたため、英語吹替版でも自分の役を自分で演じ直したとされる。ドイツ語版も後録り中心なので、本作は二つの言語で本人の声を持つ珍しい作品だ。
企画初期にはアメリカとの共同製作案があり、艦長役候補としてロバート・レッドフォードやポール・ニューマンの名前が挙がったとされる。実現していれば、現在とはまったく違う英語圏スター映画になっていた。
『U・ボート』には劇場版だけでなく、約208分のディレクターズカット版や約5時間級のTVミニシリーズ版がある。一本の映画というより、編集違いで体験時間そのものが変わる作品なのだ。
潜水艦内部のリアリティが強いため、『U・ボート』の狭い艦内場面は本物のUボート内だけで撮影されたと受け取られることがある。実際には狭さや揺れを再現する精巧なセット撮影が大きく、実物だけの記録映画として見るのは違う。