主な参考資料
- The Guardian
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1986年公開。1985年に設立されたスタジオジブリが最初に手がけた長編映画であり、高畑勲がプロデューサー、宮﨑駿が原作・脚本・監督を務めた。設立当初のジブリは社員を常時雇用せず、作品ごとに約70人を集め、完成後は解散する方式を採っており、「一本成功したら次、失敗したら終わり」という実に心臓に悪い経営だった。国内観客動員は約77万5,000人で、高い評価を得た一方、『風の谷のナウシカ』の約91万5,000人には届かなかった。現在の知名度からは想像しにくいが、本作は盤石な名門スタジオの代表作ではなく、会社が次の一本へ進めるかを賭けた生存試験だったのである。
空に浮かぶ城の冒険は、地上の水路を撮る記録映画の資金難から動き出した。高畑勲の『柳川堀割物語』は、宮﨑駿が用意した制作費を途中で使い切ってしまう。相談を受けた鈴木敏夫が「もう一本映画を作ればいい」と提案すると、宮﨑は小学生のころの構想をその場で語り始めたという。新作の利益で記録映画を支える計画が、『天空の城ラピュタ』の出発点になった。
設立当初のジブリは、現在の巨大ブランドから想像できないほど不安定な会社だった。常勤社員を抱えず、作品ごとに約70人を集め、完成すると解散する方式を採っていた。一本成功すれば次へ進み、失敗すれば終わりという考え方である。『天空の城ラピュタ』は、そんな存続を懸けた初長編として作られた。
企画書の中心にいたのは、空の城よりも少年パズーだった。初期題は『少年パズー・飛行石の謎』。パズーという名は宮﨑駿が学生時代に考えた船乗りの名前で、シータは数学で習った記号θから思いついたという。完成版で題名が城へ移ったあとも、少年と少女の名前には監督のずっと以前の記憶が残った。
パズーが魔法を使えないのは、冒険映画として意識的な選択だった。企画当時、アニメが成人向けや未来志向へ傾くなか、宮﨑駿は19世紀風の世界で働く普通の少年を主人公に据えた。飛行石の力を持つのはシータであり、パズーは機械の知識、体力、決断で危機を越えていく。超人ではない子どもが世界の中心へ飛び込む構図から作品が設計された。
スラッグ渓谷の鉱山町には、実際の炭鉱争議を見た宮﨑駿の記憶が入っている。監督は1984年のウェールズで炭鉱ストライキを目撃し、翌年には高畑勲の勧めで再び現地を訪れた。仕事と町を守ろうと最後まで闘った人々の共同体の強さに心を動かされ、親方と海賊の喧嘩に町じゅうが加わる場面にもその感触を反映したという。石造りの景色だけを借りたロケハンではなかった。
ラピュタへ着いてから物語が一気に加速する裏には、絵コンテの大圧縮があった。Cパートまで描いた時点で、すでに約84分。本来なら終幕までさらに一時間ほしい内容だったが、上映時間と制作日程の限界から、宮﨑駿は考え抜いて終盤を約20分へまとめた。絵コンテ完成は公開の約四か月前、1986年3月だったという。
初期脚本のラピュタは、完成版より長く、暗く、パズーとシータも離ればなれだった。暴力や対立を描く場面が増え、ムスカの人物像にも多くの時間を割く構成だったという。高畑勲と鈴木敏夫は、当初目指した冒険映画の調子から外れると助言した。改稿では飛行石とシータの心の結びつき、城を覆う自然が強まり、二人が共に進む終盤へ整理された。
パズーとシータには、自分たちで羽ばたき機を操縦する場面も考えられていた。宮﨑駿が何年も前からイメージ画にしていた二人乗りオーニソプターの案である。しかし第二稿の段階で削られ、完成版ではドーラ一家のフラップターが羽ばたき飛行の見せ場を担った。少年が自作機で空へ上がる構想は、映画の外に残った。
漫画のように色を絞るはずが、完成作では300色を超えた。手描きに使われたセル画は少なくとも69,262枚。『風の谷のナウシカ』(1984)の約250色に対し、本作は朝、夕方、坑道、嵐、城内など光の条件が次々に変わるため、300色以上が必要になったという。素朴な線の冒険活劇を支えたのは、むしろ細かな色の管理だった。
フラップターの透明な羽は、輪郭をきれいに描くほど速く見えなくなる。原画頭の金田伊功は虫のような羽ばたきを何通りも試し、最後に乾いた筆のかすれを使う方法へたどり着いた。羽の形を毎コマ説明するのではなく、視界に残る振動と速度を絵具の跡で作ったのである。機械でありながら生き物のように飛ぶ感触は、この作画処理から生まれた。
飛行石の青い光には、セル画の外側にある撮影台の技術が使われた。フィルムを強く露光し、光が周囲へにじむ透過光を何段階も重ねている。ラピュタ内部に現れる半透明の立体映像には、画面の一部を二度写す二重露光を採用した。手描きの線と光学処理を合わせて、古代技術の光が作られた。
巨大なゴリアテや竜の巣には、精細な絵を保ったまま動かす工夫がある。背景画のように細かく塗ったセルを形に合わせて切り抜き、撮影台の上で少しずつ動かすハーモニー処理が使われた。これなら重量のある絵を毎コマ描き直さず、雲や巨体を動かせる。手描きと切り絵、撮影台の動きを組み合わせた、アナログ時代の合成である。
セルが完成しても、三枚に一枚近くはそのまま撮れなかった。1986年5月までに大半のセルはそろっていたが、撮影工程へ入ると約30パーセントに修正が必要になったという。色、線、合成のずれは、フィルムに写して初めて分かることもある。8月公開を控えた現場で、作画と撮影の間を大量のカットが戻っていった。
竜の巣を描くとき、美術監督の山本二三は「この積乱雲は夜には崩れる」と宮﨑駿へ伝えた。ところが監督は、台風が近づいているうえにアニメーションなのだから構わないと判断したという。気象学的な定石より、ラピュタを隠す巨大な壁としての夜の積乱雲を優先したのである。山本の雲は後に「ラピュタ雲」、さらに「二三雲」と呼ばれるようになった。
パズーは当初、実際の少年に演じてもらう予定だった。1986年5月に宮﨑駿、高畑勲、音響監督の斯波重治がオーディションを行ったものの、求める芝居に届く候補が見つからない。そこで、少年役の経験が豊富だった田中真弓を斯波が推薦した。完成版の張りのある声は、子役起用を断念した後に決まったものだった。
シータには、ナウシカと同じ声を重ねないという方針があった。宮﨑駿は『ルパン三世 カリオストロの城』と『風の谷のナウシカ』(1984)でヒロインを演じた島本須美ではなく、別の声を希望したという。選ばれたのは、『ナウシカ』でも主役候補になっていたよこざわけい子。過去作の成功をなぞらず、シータの素朴さを新しい声で作り直した。
ムスカの声は、別のSF映画にいた人造人間の吹替から見つかった。宮﨑駿と音響監督の斯波重治は、『ブレードランナー』(1982)でロイ・バッティを演じた寺田農の吹替に強い印象を受けたという。寺田にとってムスカは初めてのアニメ役で、未完成の画面に秒数を合わせる収録には苦労した。知的で冷たい声の出発点は、実写SFの日本語版だった。
ドーラ役の初井言榮は、テレビ番組で話す姿を偶然見た音響監督が選んだ。当初、斯波重治は関西の喜劇人も検討したが、宮﨑駿が方言の響きを好まなかったという。そんな折、番組で自分の過去を語る初井の声と人柄に斯波が惹かれ、役を託した。実写舞台や映画で鍛えた迫力が、空中海賊の母親へ持ち込まれた。
一言の「バルス」に、十数回のテストが重ねられた。全編のアフレコは1986年6月末から7月初めにかけて、わずか三日間。宮﨑駿はシータの声を澄んだ響きにしたいと考え、田中真弓とよこざわけい子が声をそろえる短い一語を何度も試したという。後に何万人も同時投稿する言葉は、収録室では細かな声質の調整から生まれた。
久石譲が音楽を担当する前に、別の作曲家への依頼がかなり進んでいた。高畑勲と鈴木敏夫は宇崎竜童の映画音楽を聴き込み、本人の事務所で面会まで済ませたという。ところが外へ出た直後、高畑が本当にこれでよいかと迷い始めた。二人は方針を変え、その足で六本木にあった久石譲の事務所へ向かい、イメージアルバムを含めて依頼した。
久石譲の音楽で知られる作品なのに、高畑勲は音楽を全く入れない案まで考えていた。手で描いた人物の芝居へ音が乗ると、絵の力を壊すのではないかと恐れたからである。鈴木敏夫はレコード会社などの事情も抱えながら、通常どおり音楽を作ろうと説得した。完成後も高畑は、無音ならどうなったかを気にし続けたという。
「君をのせて」は、歌なしの器楽曲になる寸前だった。8月公開に対し、井上あずみにオーディションの話が来たのは6月。歌手がなかなか決まらず、最後の候補だった井上の声が作品に合わなければ、インストゥルメンタルにする予定だったという。井上は映画の内容も使用場面も知らないまま録音し、試写でエンドクレジットまで自分の歌が出ないため、カットされたと思ったそうだ。
パズーのトランペットは、当初もっと多くの場面に出る小道具だった。宮﨑駿は『未来少年コナン』の銛のように、主人公を成立させる道具としていつも持たせる案を考えたという。ところが、場面ごとにトランペットを描き続けるのは手間がかかる。監督自身が面倒だと判断し、夜明けを告げる印象的な出番だけを残して設定から退いた。
英語版では声だけでなく、映画の「沈黙」まで別の設計になった。ディズニーから音楽を増やす依頼を受けた久石譲は、失われていた楽譜やシンセサイザーの資料を復元し、全曲を管弦楽用に再構成した。演奏は久石が音の均衡を評価したシアトル交響楽団。2003年版では日本版で音楽のない場面にも曲が増え、後の再発売では元の音楽へ戻した英語音声も作られた。
本編の映像をCMへ自由に使わせなかった結果、宣伝側はフラップターを実物で作った。高畑勲は『ナウシカ』の宣伝で作品の扱いを制御できなかった経験から、スポンサーへ許した素材をロゴとイメージ画に限ったという。そこで味の素はパズーとシータ役の俳優を起用し、実物大フラップターを製作してテレビCMを撮影した。費用は約1000万円と報じられている。
1986年の劇場公開は、『ラピュタ』に短編二本を加えた長い番組だった。宮﨑駿が関わった『名探偵ホームズ』から「ミセス・ハドソン人質事件」と「ドーバー海峡の大空中戦」が併映作品として付いた。124分の本編に二話が加わるため、映画館で組める一日の上映回数は少なくなる。この長さも、初公開時の興行が伸びきらなかった一因と分析されている。
パズーがシータを故郷へ送り届ける別エンディングをテレビで見たという記憶が広く流通した。しかしスタジオジブリは別映像の存在を否定しており、幻のエンディングを示す放送記録も確認されていない。版の異なるソフトや録画を持つ捜査員は、場面や尺の差が実在するか照合してほしい。
トルコ語や別言語の単語を語源とする説があるが、宮﨑駿や公式資料による裏づけは確認できないという話がある。本当なら面白いが、今のところは噂として聞くのがよさそうだ。
設定資料の説明が精密だったため、スタッフが架空動物のミノノハシを実在すると誤解し、資料を探したという逸話がある。しかし、その出来事を語るスタッフの証言や同時代の制作記録は見つかっていない。あの細かな世界設定なら本当に探してしまった人がいても面白いが、今のところはよくできた制作逸話として聞くのがよさそうだ。
テレビ放送の記憶をめぐって、『天空の城ラピュタ』には幻の別エンディングを見たという話が長く流通している。公式に確認できる別映像として扱う根拠は乏しく、記憶違いや放送後の余韻が混ざった都市伝説として見るのが自然だ。