主な参考資料
- Los Angeles Times
- The Guardian
- AFI
- Den of Geek
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2002年公開。ダグ・リーマンは『スウィンガーズ』の後から約5年この映画化を望み、ロバート・ラドラム本人に会って権利を得たという。 2000年春に脚本へ入ったトニー・ギルロイは、原作や既存稿を大きく離れ、記憶を失った暗殺者という核から現代的な映画に組み直した。 その改稿と撮り直しは穏やかではなく、リーマンは別の脚本家も起用し、ギルロイとの対立のなかでデイモンがギルロイ稿を使わなければ降板すると通告したと後年の取材に残る。 リーマン自身の回想によれば、パリ北駅の場面はユニバーサルの許可を得ず、彼とデイモンだけで撮影し、後の追加撮影ではバンクーバーのホームセンターで顔の寄りを撮った。 製作費は6,000万ドル、北米興収は約1億2,166万ドル、海外興収は約9,237万ドル、世界興収は約2億1,403万ドルで、全米2,638館での初週末も約2,712万ドルを記録した。 権利獲得から改稿、無許可撮影までを通した無秩序が、結果としてシリーズの出発点を作ったのである。
ダグ・リーマンは、ロバート・ラドラムの小説『暗殺者』(1980)を映画化するため、自ら小型機を操縦して原作者のもとへ会いに行った。途中で悪天候に遭い、予定より大幅に遅れたため、ラドラムが安否を心配して州兵へ連絡したという。大手スタジオから持ち込まれた企画ではなく、原作に惚れ込んだ監督が本人へ直接働きかけて得た映画化権が出発点だった。
ダグ・リーマンが製作側へ説明した企画の中心は、「自分がジェイソン・ボーンだったら」という空想ではなく、「ジェイソン・ボーンのような男と付き合ったら、どんな体験になるか」だった。記憶も身元も分からない男を観客がいきなり信じるのではなく、マリーが疑いながら同行し、少しずつ彼を理解する過程を物語の軸にした。そのため二人の関係は、アクションの合間に置かれた恋愛ではなく、主人公の人間性を確かめる仕組みになっている。
脚本を担当したトニー・ギルロイは、ロバート・ラドラムの小説『暗殺者』(1980)をあえて読まず、ダグ・リーマンがまとめた構想を基に映画版を書いた。原作で大きな役割を持つ実在のテロリスト、カルロス・ザ・ジャッカルを外し、記憶を失った暗殺者が自分の行動を選び直す物語へ集中させた。原作の筋を短くした脚色ではなく、主人公の設定を残して別の時代に通用するスパイ映画へ組み直したのである。
トニー・ギルロイは脚本を書く際、アクションを大きく見せる前に、登場人物を「分子レベルで現実的」に描くという方針を置いた。異国の都市も観光地のように飾らず、ボーンとマリーの関係も危機の中で少しずつ近づくように組み立てた。殺しの技術を持つ男が、目の前の一人を傷つけない選択をする。その変化を成立させるため、格闘や追跡と同じ重さで二人の会話が設計された。
ジェイソン・ボーン役は当初ブラッド・ピットと交渉されていたが、『スパイ・ゲーム』(2001)との日程が重なり、出演には至らなかった。その後に選ばれたマット・デイモンは、当時まだ本格的なアクション主演の印象が薄く、観客が彼を冷酷な暗殺者だと最初から決めつけにくかった。鍛え上げた能力と、何者か分からない不安を同時に見せられる配役が、従来の万能型スパイとは違う主人公を作った。
ダグ・リーマンは『ラン・ローラ・ラン』(1998)でフランカ・ポテンテを知り、マリー役に起用した。アメリカの俳優が演じる「ヨーロッパらしい女性」ではなく、現地で暮らしていることが自然に見える人物を求めたためである。ボーンを助けるために用意されたヒロインではなく、金に困り、家族との関係を抱え、危険を感じれば彼を疑う一人の生活者としてマリーを置いた。
ダグ・リーマンの父アーサー・L・リーマンは、1980年代のイラン・コントラ事件を調査した米上院公聴会で首席顧問を務め、オリバー・ノース中佐を尋問した法律家だった。監督は父の回想や家庭で聞いた政府組織の話を、CIAの極秘計画トレッドストーンへ取り込んだ。クリス・クーパーが演じるコンクリンにもノースの人物像を重ね、命令を実行する官僚が自分を国家の防衛者だと信じる構図を作った。
マット・デイモンは撮影前の約3か月間、ボクシング、空手、フィリピン武術のカリ、射撃を集中的に訓練し、多くのスタントも自分で行った。ボーンは自分の名前を思い出せなくても、襲われると相手の重心や武器の位置を瞬時に判断できる。台詞で「訓練された暗殺者」と説明する前に、俳優の姿勢、歩き方、手の速さだけで過去の職業が伝わるように身体を作った。
格闘振付とスタント調整を担当したニック・パウエルは、本作の全ての格闘場面を振り付け、自ら撮影したと公式経歴に記している。動きを決めた人物がカメラの距離や角度まで管理することで、技を見せる長い演武ではなく、狭い室内で相手を最短距離で制圧する戦いになった。この仕事により、パウエルは同年の格闘振付賞を受けている。
パリのアパートでボーンを襲うカステルを演じたニッキー・ノーデは、撮影前にマット・デイモンへフィリピン武術のカリを教えた人物でもある。二人は同じ格闘の型を共有し、約2か月かけて室内戦を練習したとされる。ボーンとカステルが似た訓練を受けた暗殺者だという設定を、構え方や相手の力を利用する動きで表した配役である。
原作ではボーンが自分の髪を金色に染めるが、撮影時のマット・デイモンは短髪で、変化を画面に出しにくかった。そこで変装する人物をマリーへ替え、フランカ・ポテンテに長い付け毛を装着して、デイモンが実際にはさみで切る場面を作った。暗殺者が短時間で相手を金髪へ染めるのは不自然だとして色も濃い茶色に決め、テイクごとにヘア担当が付け毛を元の長さへ戻した。
散髪の後、ボーンがマリーの首元へ触れる場面は、格闘や追跡とは違う緊張を俳優に求めた。撮影前、フランカ・ポテンテは自分とマット・デイモン、ダグ・リーマンのために、ドイツの薬草酒イエーガーマイスターを一杯ずつ用意した。三人で飲んでからカメラを回し、互いを警戒していた二人が初めて距離を縮める静かな場面を撮った。
モーテルの浴室は実在の部屋ではなく、倉庫内に建てたセットだった。撮影監督オリヴァー・ウッドは狭い空間へキノフロと呼ばれる薄型の蛍光灯照明を入れ、ダグ・リーマンと二台のカメラを操作した。撮影は二つの角度から二テイクだけ。編集のサール・クラインも細かく切り刻まず、手元の不器用さや二人の沈黙が残る長さを選んだ。
ダグ・リーマンは、俳優のそばで起きる変化を直接感じたいとして、自らカメラを担ぐことが多かった。撮影監督オリヴァー・ウッドとも交代でカメラを操作し、自然光やその場の揺れを残した。大規模なスタジオ作品でも、監督がモニター越しに指示するだけの体制にはせず、『スウィンガーズ』(1996)や『GO』(1999)で培った小規模映画の近さを画面へ持ち込んだ。
ダグ・リーマンは、パリをエッフェル塔や凱旋門の連続として見せる撮り方を避けた。パリ北駅、ポン・デザール、セーヌ河岸、ポン・ヌフ、ラ・デファンスなど、人物が実際に移動し、待ち、追われる場所を選んでいる。ノートルダム大聖堂がはっきり見えるセーヌ河岸の場面を例外として、観光客が眺める都市ではなく、ボーンとマリーが逃走に使う生活空間としてパリを撮った。
パリ北駅でボーンが人混みを抜ける短い場面は、大規模な撮影隊を入れず、ダグ・リーマンとマット・デイモンの二人だけで撮った。周囲に気づかれないよう監督自身が手持ちカメラを回したが、デイモンを見つけた人々が集まり、何度か駅の周囲を回って振り切る必要があったという。整然と封鎖した駅のセットではなく、普段の利用者が行き交う場所へ俳優を入れた撮影だった。
赤いミニがパリを走り抜ける追跡場面は、第二班のアレクサンダー・ウィットが中心となり、撮影隊の現地滞在中に道路ごとの短い断片を重ねて作ったとされる。ダグ・リーマンはマット・デイモンとフランカ・ポテンテが乗る車内を担当した。通行人や一般車を全て消した空の道路にはせず、混雑した街を小型車で抜ける危うさを残したカーチェイスである。
チューリヒを走る場面の一部は、真冬のプラハで撮影された。マット・デイモンの衣装はパリで決めた薄手のセーターだったため、屋外では寒さで声が不明瞭になり、フランカ・ポテンテとの会話の一部を後から録り直したとされる。このように撮影後に俳優が台詞を再録音し、映像へ合わせる作業をADRという。
嵐の漁船は岸壁、雨装置、CG、揺動台を組み合わせた。イタリア北西部のインペリアで船を岸壁につなぎ、雨を降らせる装置を使って撮影し、嵐と水中を漂うボーンはCGで補ったとされる。船室は倉庫内に作り、床全体を傾けられる揺動台へ載せた。実物の船、機械仕掛けの室内、デジタル映像をつないで海上の遭難を作っている。
漁船を降りたボーンが港近くの通りを歩き、手前をタクシーが横切った一瞬に姿を消す。編集のサール・クラインが考えたこの動きは、CGで人物を消したのでも、タクシーの通過位置で映像を切ったのでもない。車体がカメラを遮る短い時間に、マット・デイモンが進路を変えて画面外へ抜けた。記憶はなくても追跡を避ける動作が身についていることを、最初の街中の場面で示している。
当初の編集版では、農場でボーンと狙撃手が対決する場面が最後の大きなアクションで、その後はボーンがトレッドストーンへ現れてコンクリンと向き合う構成だった。試写後、終盤にも追跡と脱出が必要だと判断され、最後の約30分を改稿。10日間で2か国を移動しながら、事務所への潜入、階段での脱出、コンクリンとの対決を追加撮影した。完成版の終盤は、最初に撮った素材と新しい場面を組み合わせている。
ボーンが倒した相手の身体をクッションにして階段中央を落下する場面は、試写後の追加撮影で作られた。現場にあった実物の階段は半階分ほどで、その先の落下空間はVFX監修のピーター・ドーネンらが補ったとされる。撮影監督オリヴァー・ウッドは、ボーンを超人的に見せるとしてこの案に反対し、完成場面は別の撮影監督によって撮られた。
2001年9月11日の同時多発テロ後、CIAを扱う本作がどのように受け取られるか判断できなかった製作側は、交換用の冒頭と結末も撮影した。別の冒頭では、ミコノス島にいるボーンの現在から物語全体を回想する。別の結末では、ブライアン・コックス演じるアボットが現れ、ボーンへCIAの外部協力者として働く道を提示する。どちらも完成版には使われず、後にDVD特典として公開された。
「エクステンデッド版」だが本編は長くない。本編は劇場公開版とほぼ同じ119分で、約2分の別オープニングと約5分の別エンディングを特典として個別収録した商品だった。さらに初期DVDにあったダグ・リーマンの音声解説や農場場面の拡張映像などは外されており、「追加版」という商品名だけでは版の違いを判断できない。
本作では当初、カーター・バーウェルが伝統的な管弦楽中心の音楽を書き、すでに録音も進めていた。しかし再撮影と公開延期の後、その音楽は完成版から外され、ジョン・パウエルが後任になった。音楽予算の多くはすでに使われていたため、パウエルは大編成のオーケストラへ頼らず、打楽器、ギター、電子音、弦楽器を組み合わせた。追跡場面を刻む乾いたリズムは、制作末期の交代と限られた残予算から生まれた。
エンドクレジットに流れるモービーの『Extreme Ways』(2002)は、一作だけの挿入曲で終わらなかった。続編でも終幕に使われ、作品ごとに編集や録音を変えながら、ジェイソン・ボーンの物語が一区切りついたことを告げる共通曲になった。後の作品ではモービー自身が新しい版を録音しており、一作目で選ばれた既成曲がシリーズ全体の音の署名へ変わっていった。
英国では2002年8月30日、12歳未満でも大人が同伴すれば映画館へ入場できる「12A」という年齢区分が正式に導入された。本作は、その制度で最初に指定された映画である。従来の「12」区分では12歳未満は入場できなかったため、家族側が判断できる余地を残しながら、暴力表現を含む作品の対象年齢を示す新しい仕組みの実例になった。
The Numbersの集計では、製作費は6,000万ドル。北米では公開初週末に約2,712万ドル、最終的に約1億2,147万ドルを記録し、世界興収は約2億1,436万ドルに達した。再撮影と公開延期を重ねた作品だったが、製作費の3倍を超える世界興収を上げ、マット・デイモンを主演に据えたシリーズが継続する興行上の土台を作った。
主人公の姓「ボーン」は、19世紀アメリカで解離性遁走の症例として記録されたアンセル・ボーンに由来するという説がある。彼は1887年に自分の過去を忘れ、別の土地で「ブラウン」と名乗って店を開き、数か月後に元の記憶を取り戻した一方、その間の生活を覚えていなかった。ただし、原作者ロバート・ラドラムがこの症例から姓を選んだと語った記録は見つかっておらず、二人の記憶喪失を結び付けた後世の推測である可能性が残る。
チューリヒの米領事館でボーンを追う海兵隊員には、ヨーロッパの米大使館で警備任務に就いていた現役隊員が参加し、自分たちの制服と建物内を捜索する動きを使ったという逸話がある。製作者フランク・マーシャルが協力を求めたともされるが、参加者名、所属先、米海兵隊側の協力記録は確認できていない。制服や動作が実務に近いことだけでは、出演者が現役隊員だった証明にはならない。
チューリヒの米領事館から外壁を伝って脱出する場面では、地上までの最後の30フィート、約9メートルをマット・デイモン本人が降り、「撮影で最も過酷だった」と語ったという情報がある。デイモンが本作で多くのスタントを行ったことは公開時の本人取材で確認できるが、この高さと発言を載せた元のインタビューは特定できなかった。どのカットが本人で、どこからスタント担当へ替わったのかも制作記録が必要である。
会話の相手へカメラがわずかに遅れて向く動きを作るため、ダグ・リーマンはカメラ担当者にリハーサルを見せず、次に誰が話すか分からない状態で撮らせたという説がある。監督自身がカメラを担ぎ、整いすぎない反応を好んだことはスタッフ取材で確認できる。しかし、リハーサルを意図的に隠した場面、担当者名、撮影記録は見つかっておらず、全編の方法として断定はできない。