主な参考資料
- AFI
- The Criterion Collection
- Library of Congress
- Directors Guild of America
- The Academy
チャンスを配信で見られるサービスを、確認できた範囲で掲載しています。未確認のサービスは公式サイトで探せます。
本作は、ピーター・セラーズが原作小説『Being There』(1971)の刊行頃から庭師チャンス役を望み、『さらば冬のかもめ』(1973)の完成後に原作をハル・アシュビーへ持ち込み、資金調達に約7年を要して実現した作品である。 脚本はコシンスキの複数稿から、ロバート・C・ジョーンズがアシュビーとの協議を経てまとめた撮影台本へ発展したが、WGAの裁定後、劇場公開版の脚本クレジットはコシンスキ単独となった。 撮影監督キャレブ・デシャネルとアシュビーは本作を政治と権力についての真剣な映画と考え、明るい喜劇照明を避け、目線の高さと望遠レンズを使って俳優が動ける空間と荘重な画面を両立させた。 俳優の動線は4~6回ほどのリハーサルで良い動きを拾いながら整え、ランド邸にはノースカロライナ州のビルトモア・エステートを使い、終幕の水上歩行は原作にない映画独自の映像として水面下の足場で撮影した。 AFIが閲覧したプリントでは、静かな終幕の直後にセラーズが台詞を言えず笑い出すアウトテイクをエンドクレジットへ置いており、セラーズが余韻を壊すと不満を持ったという回顧はあるが、それがアカデミー主演男優賞を逃した原因だとする証拠はない。 The NumbersとBox Office Mojoは北米興収3,017万7,511ドルで一致し、本作は第52回アカデミー賞でセラーズが主演男優賞候補、メルヴィン・ダグラスが助演男優賞受賞となり、2015年には米国の国立フィルム登録簿へ選ばれた。
ピーター・セラーズは原作小説『Being There』(1971)が刊行された頃から庭師チャンス役を望み、『さらば冬のかもめ』(1973)の完成後に原作をハル・アシュビーへ持ち込んだ。AFIが紹介するロバート・オズボーンの説明では、映画化資金を得るまで約7年を要した。人気俳優へ届いた企画に後から参加したのではなく、主演俳優自身が長期間動かした企画である。
本作の脚本は、イェジー・コシンスキによる1971年、1978年1月、1978年7月の稿、ロバート・C・ジョーンズによる1978年12月稿、1979年1月の撮影台本、完成版の採録という六つの主要段階をたどれる。脚本研究によれば、ジョーンズはアシュビーとの数週間の協議を経て撮影台本をまとめた。単独の完成稿を現場でそのまま撮った作品ではない。
劇場公開版の脚本クレジットはコシンスキ単独だが、米国議会図書館はジョーンズが脚色を助けたと明記している。脚本研究では、両名の併記案がいったん受け入れられた後、WGAの裁定でジョーンズ名が外れた経緯まで確認できる。完成版の文章を誰がどこまで書いたかには当事者間の対立があるため、ジョーンズを単純に「真の作者」と断定はできない。
撮影監督キャレブ・デシャネルによれば、アシュビーとデシャネルは本作を政治と権力についての真剣な映画と考え、笑いはセラーズの演技から生まれるようにした。二人は明るく均一に照らす一般的な喜劇の画面を避け、『大統領の陰謀』(1976)のような荘重さを選んだ。物語の奇抜さを撮影まで誇張しないことで、周囲がチャンスを本気で持ち上げる世界を成立させた。
デシャネルと編集者ドン・ジマーマンは、チャンスの無垢な見方を映像へ移すため、カメラを人物の目線に近い高さへ置き、遠くから狭い範囲を切り取る望遠レンズを一貫して使った。望遠レンズは画面の飾りではなく、カメラを俳優から離して演技できる空間を広げる役割も果たした。簡素に見える画面は、人物と撮影班の距離まで設計した結果である。
本作のリハーサルでは、アシュビーが最初から俳優の立ち位置を固定しなかった。デシャネルによれば、アシュビーは4~6回ほど演技を試す間に「窓へ行った動きがよい」といった部分を拾い、俳優の動線を徐々に整えた。その結果を見て、アシュビーとデシャネルが同じカメラ位置へたどり着く方法だった。
編集者ジマーマンによれば、編集畑出身のアシュビーは編集室へ入ると、先に「君の考えを見たい」と求めた。二人は素材を一緒に見て別案を試し、アシュビーは編集者を「間違い」と切り捨てず、別の方向へ導いた。本作の抑制された間は、監督が一方的に切り方を指定して作ったものではない。
財界人ベンジャミン・ランドの邸宅には、ノースカロライナ州アッシュビルのビルトモア・エステートが使われた。施設公式の撮影史は、建物だけでなく、長年育てられた森林と造園も撮影環境として利用できたと説明している。終盤の庭や水辺を含む広い私有地の説得力を、一つの実在施設で確保した。
チャンスが屋敷から初めて街へ出る場面には、リヒャルト・シュトラウスの原曲そのものではなく、デオダートのジャズ・ファンク編曲「Also Sprach Zarathustra (2001)」(1973)が使われた。約9分の録音を長く流し、テレビだけで世界を知っていた人物の初外出を大げさな宇宙的旅立ちへ変えている。『2001年宇宙の旅』(1968)で有名な音楽を、そのまま再使用したわけではない。
本作の最後にチャンスが水面を歩く映像は、原作小説『Being There』(1971)にはない映画独自の追加である。撮影では水面のすぐ下に足場を沈めてセラーズを歩かせたが、完成版は足場を説明せず、チャンスが傘で水深を確かめる動作まで残した。仕掛けを知れば意味が一つに決まる場面ではなく、映画は物理的な説明を観客へ与えていない。
AFIが確認した本作のプリントは、診療場面でセラーズが台詞を言おうとして何度も笑い出すアウトテイクをエンドクレジットへ置いている。その台詞は完成した本編には使われなかった。静かな終幕の直後に俳優が役を外れる姿を見せるため、余韻を広げる演出ではなく、映画の作り物としての面を観客へ戻す構成になった。
第52回アカデミー賞で、セラーズは主演男優賞候補となり、ベンジャミン・ランド役のメルヴィン・ダグラスは助演男優賞を受賞した。セラーズにとっては『博士の異常な愛情』(1964)以来、2度目の主演男優賞候補だった。作品の受賞歴を「セラーズがオスカーを取った」と要約すると誤りになる。
米国議会図書館は2015年、本作を文化的・歴史的・美学的に重要な作品として国立フィルム登録簿へ選んだ。Criterionはその後、撮影監督デシャネルが監修した4Kデジタル修復版を制作し、非圧縮のモノラル音声とともに収録した。撮影時の画調を知るデシャネルが、後年の復元にも関与している。
The NumbersとBox Office Mojoは、本作の北米興収を3,017万7,511ドルと掲載している。一方、製作費は公開資料の値が揃わず、今回の調査では単一の確定額として採用しなかった。興行成績を製作費の何倍という形で断定するには、宣伝・配給費を含む会計資料も不足している。
「エンドクレジットのNG集がセラーズのアカデミー賞受賞を奪った」とする話には、投票結果との因果を示す証拠がない。セラーズ本人がNG集は作品の余韻を壊すと不満を持ったという回顧と、主演男優賞を逃した事実は別々に確認できる。しかし第52回アカデミー賞で投票した会員がNG集を理由に票を変えたという記録はなく、投票記録がない以上、NG集が落選を決めたとまでは言わない方がよいかもしれない。
本作をセラーズの「遺作」と紹介する説明は正確ではない。セラーズは本作公開の翌年に亡くなったが、主演映画『天才悪魔フー・マンチュー』(1980)が本作より後に公開された。本作は最晩年の代表作であり、最後の公開映画ではない。