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踊る大捜査線 THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!を配信で見られるサービスを、確認できた範囲で掲載しています。未確認のサービスは公式サイトで探せます。
2010年公開。本広克行、脚本の君塚良一、プロデュースの亀山千広、制作プロダクションROBOTという中核スタッフが、劇場版第2作から7年を経て再集結した劇場版第3作である。 日本実写映画の記録を更新した前作の後だけに、本広は本作を「期末テスト」と呼び、クランクイン前には織田裕二と専用の打ち合わせ時間を設け、役がなぜその場にいるのか、さらに「なぜ生きるのか」まで話し合ったという。 亀山は、青島より年下の本庁官僚を初めて置くため小栗旬を起用し、既存の出世や組織論とは別の人間を入れようとした。 演出面では、本広がシリーズの軽さだけに寄せず「重い絵」を目指し、青島がコートを着る場面では単なるアップを避け、横移動の撮影を『スーパーマン』の変身場面になぞらえて組み立てた。 35mm撮影、VFXスーパーバイザーを含む技術体制で作られ、東宝スタジオには本作のセット製作過程を記録した映像も残る。2010年の国内興行収入は73億円で、前作の巨大な数字を前に「前と違え、でも転ぶな」という続編の難題を、きっちり興行成績で回収したのである。
プロデューサーの亀山千広と脚本家の君塚良一は、『踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』(2003)の後、和久平八郎を演じたいかりや長介が亡くなったことで、シリーズを続ける気持ちを失っていた。亀山は主要人物が全員そろわなければ続編は成立しないと考え、君塚も家族のような出演者を失った喪失感から脚本を書く気になれなかったという。本作まで7年を要したのは、企画を引き延ばしたためではなく、残された登場人物が和久の遺志をどう継ぐか考えられるまでに時間が必要だったからである。
2008年3月31日、架空の湾岸署と同じ地域を管轄する実在の東京湾岸警察署が業務を始めた。織田裕二は「湾岸署刑事課強行犯係・青島俊作」の名義で開署式へ祝電を送り、亀山千広はその日のうちに劇場版第3作の制作へ動き始めたと発表した。この出来事は企画再始動のきっかけになっただけでなく、本作の物語も、湾岸署の一同が新しい庁舎へ引っ越すところから始まる形になった。
脚本家の君塚良一は、いかりや長介を失った後に自分の母も亡くし、家族を失っても残された者は前を向かなければならないと考えるようになった。そこから本作の中心に「生きる」という主題を置き、和久平八郎を失った青島俊作が、その教えを受け継ぎながら以前より強く生きる方向へ脚本を組み立てた。和久の不在を新しい人物で埋めるのではなく、不在のまま物語を動かす構成である。
亀山千広は、和久平八郎の甥・和久伸次郎には、誰からも嫌われない人柄を持つ伊藤淳史しかいないと考えていた。本作へ入る前に織田裕二と芝居を経験させようと、伊藤を織田主演の『アマルフィ 女神の報酬』(2009)へ本人に意図を知らせず配役した。しかし、完成した『アマルフィ 女神の報酬』(2009)には二人が同じ場面で演じる部分がなく、亀山が用意した事前準備は計画通りにはならなかった。
亀山千広は、テレビシリーズ開始から12年が経った本作で、初めて青島俊作より年下の本庁官僚を登場させようと考えた。従来のキャリア官僚と同じ出世や組織内の地位だけで動く人物ではなく、別の思惑を抱える若い管理官補佐・鳥飼誠一を作り、その役を小栗旬に任せた。小栗の起用には、長く続いた出演者の安心感へ、2010年当時の新しい世代の感覚を持ち込む狙いもあった。
副題にある「ヤツら」は、新湾岸署に閉じ込められる警察官ではなく、青島俊作が過去のテレビドラマ、スペシャル、劇場版で逮捕してきた犯罪者を指している。稲垣吾郎、小泉今日子、岡村隆史、伊集院光、宮藤官九郎、古田新太、布川敏和、近藤芳正、北山雅康が、それぞれ以前と同じ犯人役で再登場した。長く続いたシリーズの人物記録を、犯人グループが釈放を要求する本作の事件へまとめて戻した配役である。
和久ノートは筆跡から内容まで作り込んだ。制作側は、和久平八郎が持ち歩くならどの程度の大きさと質感になるかを考え、いかりや長介の筆跡にも似せた。中身にはシリーズ中の和久の台詞に加え、いかりや長介の自伝『だめだこりゃ』(2001)から選んだ言葉や、和久が書きそうな歌と雑記を助監督たちが考えて書き込んだ。
須川圭一を演じた森廉は、子役時代に織田裕二主演のテレビドラマ『お金がない!』(1994)へ出演し、その後『踊る大捜査線』(1997)の第1話にも登場していた。本作で成長した圭一が口にする「甘い食べ物は嫌い」という短い台詞は、『踊る大捜査線』(1997)第1話にあった人物設定を意図的に戻したものである。同じ俳優と役を13年後に再登場させるだけでなく、幼い頃の好みまで引き継いでいる。
本広克行は、青島俊作がトレードマークのコートを着る場面を、単純な顔や衣装のアップでは撮らなかった。カメラを人物と並行して横へ動かし、平凡な姿からヒーローへ切り替わる『スーパーマン』(1978)の変身場面を意識して組み立てた。長い空白を経て青島がコートを取り戻す瞬間を、刑事が本来の役割へ戻る変身として撮影した。
本広克行は、7年ぶりの続編を以前と同じ軽快な映像だけで作り直すのではなく、画面に厚みを持たせるため、意図的に「重い絵」を狙った。音楽も従来より規模を広げ、登場人物が年齢と経験を重ねた時間を、物語だけでなく映像と音の密度にも反映させた。本広にとって本作は、それまでに別作品で学んだ演出を持ち帰る集大成でもあった。
本作の主要撮影にはデジタルシネマカメラのSony F35が使われ、2.5倍までのスローモーションも同じカメラで収録した。それを超える高速度撮影では、フルHD映像を毎秒最大2,000コマまで記録できるWeisscam HS-2へ切り替えた。編集もAvid Media Composer上で行い、撮影から編集までフィルムへ戻さないフルデジタルの制作工程を組んでいる。資料にある「35mm」は公開・上映形式の表記であり、35mmフィルムカメラで撮影したという意味ではない。
撮影現場には、ノートパソコンとAvid Media Composerを組み合わせた小型の編集ユニットが常に置かれた。Sony F35で本番用のHDCAM-SR映像を収録すると同時に、編集しやすい軽量な映像データも作り、撮った直後に場面を仮につないだ。演技の細部や前後の動作が合っているか、その場で確認して撮り直しを判断できたため、後日の編集で必要なカットが足りないと判明する危険を減らせた。
本広克行の撮影チームには、俳優の動作、衣装、小道具、台詞などを記録して、別々に撮るカットの連続性を管理する専任のスクリプターがいなかった。その分、編集担当者の責任は重くなったが、本作では撮影直後の映像を現場で仮編集し、前後のつながりを実際の画面で確かめた。記録係のメモだけに頼らず、つないだ映像そのものを連続性の確認に使う制作体制だった。
撮影と編集のチームは、劇場映画専門のスタッフを新たに集めるのではなく、テレビ制作を基盤とする技術会社バスクのスタッフで編成された。撮影監督の川越一成をはじめ、参加者は本広克行の過去の劇場映画やテレビドラマで映画的な撮影を経験しており、撮影から仕上げまで同じ会社の中で映像データを受け渡せた。スタッフの平均年齢も下がり、中には小学生の時に『踊る大捜査線 THE MOVIE 湾岸署史上最悪の3日間!』(1998)を見た世代も加わった。
本編集を担当した田口拓也は、撮影現場へほとんど足を運ばなかった。監督の本広克行は、田口が撮影の物理的な苦労や現場の熱気を見ていないからこそ、時間をかけたカットでも完成作に不要なら切り、撮影側が気づかなかった映像を選べると考えていた。現場では仮編集を使って撮り逃しを防ぎ、本編集では現場から距離を置いた編集者が冷静に素材を選ぶ、二段階の判断を使い分けている。
遠山俊也が演じる森下刑事が新湾岸署の電源室へ一人で閉じ込められる場面は、本来、家族の写真を見て、すみれのスピーチを聞き、寒さをしのぐまでの18分間の芝居として撮影された。遠山は途中で止めずに一度で演じ切り、本広克行にとって当時最長のワンカットになった。しかし完成版で使われたのは約3秒だけで、残りの芝居は2011年のプレミアム・エディションに収録された未公開場面で確認できる。
日本精神保健福祉士協会は2010年7月23日、23歳の須川圭一に「精神保健福祉士として5年の職務経験がある」とした設定は、資格制度上成立しないとフジテレビへ指摘した。フジテレビは8月11日、フィクションとして意図的に現実ではあり得ない経歴を設定したと回答する一方、専門職を正しく理解してほしいという協会の要望を受け入れた。その後、関連する公式ページへ「本作中に登場するソーシャルワーカーの設定は実際のソーシャルワーカーと異なるところがあります」という注意書きと協会への案内を追加した。
日本映画製作者連盟の集計では、本作の国内興行収入は73.1億円だった。2010年に公開された邦画では、『借りぐらしのアリエッティ』(2010)の92.5億円、『THE LAST MESSAGE 海猿』(2010)の80.4億円に続く第3位である。2003年の前作が作った記録には届かなかったが、7年ぶりの劇場版を年間上位へ戻した。