主な参考資料
- AFI
- University of the Arts London Archives
- BFI
- The Academy
- American Cinematographer
- The Guardian
- The Criterion Collection
- Den of Geek
1975年公開、ナポレオン伝記映画の企画を断念したキューブリックが、サッカレーの小説へ十八世紀研究の成果を注ぎ直した大作である。室内を蝋燭の光だけで撮るため、NASA向けに開発されたF0.7のツァイス製レンズを入手し、エド・ディジュリオが約3か月をかけてミッチェル製カメラへ装着できるよう改造した。極端に浅い被写界深度は俳優の動きを縛り、絵画のような画面を得る代わりに、演技まで光学機器へ服従させた。アイルランド、英国、ドイツの城館をつないで欧州全体を作り、衣装と構図には大量の同時代絵画が参照された。製作費は約1,100万ドル、The Numbersの世界興収集計は再上映分を含め約2,030万ドルで、巨費の割に即座の大ヒットとはならなかった。自然光らしさを得るために宇宙開発級のレンズ改造を施すあたり、簡素に見せる仕事ほど会計は簡素にならない。
キューブリックは自宅にそろえていたサッカレー作品を読み進め、当初は『虚栄の市』にも関心を持った。しかし多数の人物と出来事を一本の長編映画へ圧縮すると、物語を損なうと判断した。そこで、映像化しても骨格を保てると考えた『バリー・リンドン』へ企画を移した。
原作のバリーは、自分に都合よく事実をゆがめる語り手である。ところが映画では、観客の前に人物の行動がそのまま映るため、本人の自己弁護と現実の食い違いが単純な喜劇になりかねない。キューブリックは一人称を第三者のナレーションへ変え、主人公から少し離れた視点で生涯をたどらせた。
ナレーターは、人物の死や関係の破綻を出来事が起きる前に告げる。キューブリックは物語の価値を「何が起こるか」ではなく、「それがどのように起こるか」に置いた。先を知らせることで偶然の衝撃を弱める一方、登場人物だけが知らない結末へ近づく時間を長く味わわせている。
バリーとブリンドン卿が対峙する最後の決闘は、サッカレーの原作にはない。原作では死んだと思われたブリンドンが帰国してバリーを殴り、バリーは母に世話をされながら獄中で死ぬ。映画はその長い没落を一度の対決へ集約し、復讐、慈悲、敗北を同じ場面で決着させた。
湖で親密に過ごす二人の将校は、映画のために加えられた人物である。原作にある英国軍からの脱走は長く複雑で、そのまま描けば多くの説明が必要になる。映画はバリーが軍服と書類を盗める状況を一場面で作り、喜劇的な意外性の中へ脱走に必要な情報をまとめた。
サッカレーの原作はすでに著作権が切れており、映画化権を買って企画を独占することができなかった。キューブリックは、内容が漏れれば別会社に先に作られると警戒した。ワーナーへ提出する初期説明でも題名や人物名を変え、原作を特定されにくくする情報管理を行った。
本作の前に、キューブリックはナポレオンを描く大作を長期間準備していた。企画は実現しなかったが、軍隊の運用、戦闘隊形、衣装、18世紀ヨーロッパの生活について集めた資料は残った。時代と規模が重なる『バリー・リンドン』は、その調査を別の物語へ生かせる企画になった。
キューブリックは美術書から18世紀の絵画と素描を大量に複写し、検索できる資料集を作った。衣装、家具、手持ち小道具、建築、乗り物まで、それぞれの部門が同じ図像を参照した。単に名画と似た構図を撮るのではなく、画面に入る物の形や素材を同じ時代資料からそろえている。
衣装の輪郭は現代のデザインから作らず、18世紀の絵画や素描から直接写した。さらに現存する当時の衣服を調べ、生地の重なりや縫製方法を補っている。図像の形と実物の作り方を組み合わせ、画面用に誇張した時代衣装ではなく、人物が日常的に着ていた服として再現した。
現存する18世紀の衣装は現代の俳優には小さいものが多く、撮影用としても脆かった。実物は生地の重なりや縫い方を調べる資料に使い、絵画の形を保ちながら俳優の寸法に合わせた衣装を新しく作った。
昼の室内撮影は自然光だけに頼らず、冬の短い日照時間でも続けられるよう、窓の外へ照明をまとめて置いた。ガラスに貼ったトレーシングペーパーで光を拡散し、機材を室内へ置かず、窓から差し込む明かりとして人工照明をなじませている。
夜の賭博場や晩餐の場面では、画面に映るろうそく自体が主要な光源である。電気照明を隠して明るさを足す方法を避け、炎から離れるほど暗くなる光の落ち方をそのまま写した。超大口径レンズ、増感現像、反射の多い室内装飾を組み合わせ、ろうそくの明るさだけで人物の顔を捉えた。
ろうそくは一芯、二芯、三芯のものを試し、一本から得られる光量を増やした。しかし多数の太い炎は大量の熱を発し、蝋も想定どおりには垂れなかった。実在の歴史的邸宅で撮影するため、美術監督ケン・アダムは壁の絵画や天井を熱から守る遮熱板まで設計した。
ろうそくの炎だけで35ミリフィルムを露光するには、市販の映画用レンズでは明るさが足りなかった。キューブリックは、ツァイスがNASA向けに10本だけ作った50ミリF0.7レンズのうち3本を入手した。従来の最も明るい映画用レンズより約一段速く、人の目でも文字を読みづらい暗さで撮影できた。
NASA用F0.7レンズは、通常の映画用カメラへそのまま装着できなかった。後玉をフィルム面から約2.5ミリまで近づけなければならず、回転シャッターと内部機構が干渉する。撮影チームはミッチェルBNCを改造し、レンズの大きな後部がフィルム直前まで入り込める専用機に作り替えた。
F0.7レンズは明るい反面、焦点距離が50ミリに固定され、狭い室内で使える画角が限られた。そこで36.5ミリ相当へ広げるアダプターを開発し、実際の撮影に投入した。24ミリ相当まで広げる試作も行ったが、像の歪みが大きすぎるため採用を断念した。
F0.7まで絞りを開くと、ピントの合う奥行きは極端に浅くなる。フォーカス係ダグラス・ミルサムは本番カメラに対して90度の位置から俳優を映す監視カメラを置き、目盛りを付けたモニターで前後の移動量を読んだ。暗い画面を目測するのではなく、横方向の距離変化を数値に置き換えてピントを合わせた。
ろうそく場面の露出を得るため、撮影済みフィルムは一段増感して現像された。処理を暗い場面だけへ限定すると、昼と夜で粒子やコントラストが不自然に変わる。そこで全編を同じ条件で処理し、低照度に必要な感度を確保しながら作品全体の質感を統一した。
風景の中に小さく置かれた人物へゆっくり近づくため、24〜480ミリを一本で覆うシネ・プロT9ズームが開発された。当時として大きな20倍の焦点距離幅を持ち、途中でレンズを替えずに遠景から人物の表情まで移れる。絵画のように静止した構図へ、ほとんど気づかない速度で視線を導く機材だった。
屋外の夜景は、暗闇へ大量の照明を置く方法を避けた。兵士たちが焚き火を囲む場面などは、日が沈んだ直後に空の明るさがわずかに残る薄明の数分間を狙って撮影した。空、地形、炎を同じ露出へ収めるため、毎日使える時間がごく短い場面だった。
キューブリックは大規模なセットを建てる代わりに、実在の邸宅を移動して撮る方針を選んだ。アイルランド、英国、ドイツに残る邸宅や宮殿から外観、広間、音楽室、庭園を選び、建築年代、窓の向き、室内の奥行きをそろえた。離れた場所を編集で接続し、一つの生活空間に見せている。
アイルランドのパワーズコート邸では、大広間を含む複数の室内場面が撮影された。その後、1974年11月の火災で建物内部が焼失し、長い修復を要した。完成映画には、火災前の天井、壁面装飾、部屋の奥行きが人物の動きとともに記録されている。
アイルランドで約十か月撮影した後、制作は急に英国へ移った。ライアン・オニールと監督の家族は、キューブリックが標的になったとの情報を受け、一行が短時間で国外へ出たと回想している。一方、当時の監督側はIRAに追われたという報道を否定しており、脅迫の主体と具体的な内容には食い違いが残る。
18世紀の髪形をそろえるため、主要人物と群衆に使う多数のかつらが準備された。ところがハートフォードシャーのハンドレページ工場で制作作業中に火災が起き、50個が焼失した。撮影開始へ向けて積み上げた手作業の造形物を、大量に作り直す事故になった。
準備から完成までには約3年が費やされ、主要撮影だけで300日を超えた。制作費は当時約1100万ドルと報じられている。冬の短い日照、複数国の歴史的建築への移動、特殊レンズの制約、場面ごとに繰り返すリハーサルが重なり、通常の時代劇より長い制作になった。
公開は当初想定された1974年末から1975年末へ一年延期された。キューブリックはトニー・ローソンらと長期の編集を行い、ナレーション、音楽、場面の長さを組み直した。ライアン・オニールは後年、その一年の編集によって完成作が撮影中に考えていた姿から大きく変わったと振り返った。
大規模な制作費を支えるため、出資側は近年の興行作に出演したスターを主演に求めた。しかしキューブリックは、条件表から機械的にライアン・オニールを選んだわけではない。バリーに必要な外見を持ち、過去作では十分に使われていない演技力があると考え、本人の起用を決めた。
マリサ・ベレンソンはレディ・リンドンの青白い肌を保つため、撮影前から日光を避けた。人物は登場後しばらく言葉を発せず、完成版全体でも台詞は13行ほどしかない。夫の不貞、息子の死、財産の喪失に反応する感情を、説明台詞ではなく視線、呼吸、座り方の変化へ任せている。
レオン・ヴィターリによれば、キューブリックは絵コンテで全ショットを固定していなかった。俳優にはリハーサルでも動きを省略せず、本番のつもりで演じるよう求めた。その周囲をアリフレックスのファインダーを持って歩き、演技の重心が見える場所を探して最初の画角を決め、そこから場面を組み立てた。
レオン・ヴィターリは本作でブリンドン卿を演じた後、俳優としてスターを目指す道から離れた。キューブリックのもとで制作実務を学び、後の作品では配役、編集、音声処理、プリント管理を担った。監督の死後も修復と家庭用ソフトの監修に関わり、本作の一出演者から作品群を守る実務者へ転じた。
キューブリックは音楽を撮影前から選び、リハーサルや撮影現場でも再生した。俳優の歩く速さや身振りを曲の時間へ合わせたため、カメラの移動と人物の動きも同じ拍を持つ。完成版では音楽が背景ではなく、場面の呼吸として働いている。
バリーとレディ・リンドンが接近する場面には、シューベルトの「ピアノ三重奏曲第2番」(1828)が流れる。物語の時代にはまだ存在しない曲だが、キューブリックは18世紀音楽を大量に試しても、抑制された恋愛と悲劇を同時に表す曲が見つからなかった。そこで時代の正確さより感情の働きを優先した。
本作の劇伴「サラバンド」(1975)は、キューブリックがヘンデルの旋律をギター演奏で知ったことから始まった。その響きからエンニオ・モリコーネを連想し、レナード・ローゼンマンへ簡潔で重い管弦楽への編曲を依頼した。完成した曲は、冒頭、決闘、終幕を結ぶ反復主題になっている。
最後の決闘は、霧の森や夜明けの野外といった定番の場所を避けたかった。ロケーション担当が持ち帰った写真の中から、十分の一税を納めるために使われた古い納屋が選ばれた。梁に鳩が集まっていたため、その羽音と鳴き声も静かな対決へ混ぜ、儀式的な場面に予測できない生物の動きを残した。
劇場公開時、キューブリックは映写技師を「製作者と観客を結ぶ存在」として手紙を送った。暗い場面で焦点とスクリーン照度を崩さないこと、音量、誤ったリール交換印、休憩中に流すサウンドトラック盤の面と曲順まで説明した。映画の完成をネガの納品ではなく、各劇場で正しく上映されるところまで含めていた。
時代考証は衣装と建築だけに限られていない。歴史考証にはジョン・モロ、賭博場面には奇術師でカード技術に通じたデヴィッド・バーグラス、剣術にはボブ・アンダーソンが参加した。人物が何を身につけるかに加え、カードを配る手順や武器を構える身体まで専門分野ごとに調整した。
撮影監督ジョン・オルコットは、賭博場にいる眼帯の男として短く画面へ入った。ブライアンの誕生日場面では、監督の娘ヴィヴィアン・キューブリックも客の一人として登場する。物語を動かす役ではないが、制作側の二人を衣装と群衆の中から探せる。
映画はバリーが富と地位を得るまでと、それを失うまでを二つの章題で分け、途中に劇場休憩を置く。最後には1789年という年を示し、登場人物たちは美醜、貧富、善悪にかかわらず今では等しく死者だと一文で閉じる。個人の冒険を、革命直前の時代に飲み込まれる年代記へ変える構成である。
第48回アカデミー賞では、作品、監督、脚色を含む7部門に候補となった。受賞はジョン・オルコットの撮影、ケン・アダムらの美術、ミレーナ・カノネロとウラ=ブリット・セーデルルンドの衣装、レナード・ローゼンマンの編曲という技術4部門だった。主要賞より、光、空間、服、音楽を作る部門で結果を残した。
制作費約1100万ドルを投じた大作だったが、初公開時の興行は期待を下回り、長さや感情の距離をめぐって批評も分かれた。ところが再上映、家庭用ソフト、修復版を通じて撮影と脚色が繰り返し検討され、評価は徐々に変化した。現在の代表作という位置づけは、1975年の反応と同じではない。
製作50周年にあたる2025年12月24日、日本では初の4K UHD版が発売された。4Kディスクに加えて従来のBlu-rayを同梱し、映像特典は劇場予告編を収録する。DVDや通常Blu-rayの新装版ではなく、国内で本編を4K解像度の物理メディアとして提供する最初の商品である。
一つの場面を100回以上撮り直し、ライアン・オニールとキューブリックが激しく衝突したという話がある。反復撮影が多かったという当事者の回想は残るが、どの場面だったのか、回数を誰が記録したのかは確認できていない。長期撮影の印象から数字が膨らんだ可能性もありそうだ。
キューブリックが英国のロケ地を探す際、ケン・ラッセル監督へ候補地の情報を求めたという逸話がある。歴史的建築を多く撮っていたラッセルに尋ねる流れは自然だが、二人の書簡や本人の回想は見つかっていない。実現していたなら、英国映画人同士の粋な助け合いではある。
最後の決闘だけで編集に42日を費やしたという数字が広く流通している。場面が長い間と細かな反応で組み立てられていることは画面から分かるが、日数を示す編集記録や編集担当者の発言は確認できていない。時間をかけた可能性は高くても、42日とまでは言い切れない。
賭博場面では手元の代役と外見を合わせるため、マイケル・ホーダーンの腕毛を剃ったという話がある。手の接写を別人へ任せる撮影ならありえる工夫だが、小道具部、撮影部、俳優のいずれからも原典となる説明は見つかっていない。本当なら、画面に映る一瞬へ妙に細かな準備をしたことになる。