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1998年公開、岩井俊二が脚本・監督を務め、松たか子を主演に迎えた67分の中編である。松の回想によれば、企画は彼女のミュージックビデオに短編映画を加える流れで始まり、映画のセッティング待ちにMVのカットも撮る慌ただしい現場だった。岩井も後年、松が出演していたドラマの撮休日を借り、少人数で作ったハンドメイドな企画だったと説明している。桜の紙片をスタッフ総出で拾っては散らし直し、撮影場所の関係者に怒られるほど大量の雨まで降らせたというから、穏やかな春景色ほど現場では人力を食う。篠田の意向を受けてシネマスコープで撮影され、岩井にとって35ミリフィルムで撮った最後の作品にもなった。日本での正確な単独配給収入は今回確認できず、日本映画製作者連盟の1998年配給収入上位表にも掲載されていないため、推測値は記載しない。
企画の始まりは、歌手デビューを控えた松たか子のミュージックビデオを岩井俊二が数本演出する仕事だった。岩井が短編映画も一緒に撮ろうと提案して脚本を書いたが、松はテレビドラマで多忙だったため、撮影に使えたのは週に1度の休日である。松自身が「自主映画のような中編映画」と振り返る、小さな制作条件から67分の作品が完成した。
現場では『四月物語』のセッティングを待つ間に、松たか子のミュージックビデオ用カットを撮影していた。岩井俊二の指示で松が桜の花びらを口にしたり、小さな椅子を運んだり、服に入った花びらを振り落としたりする撮影も続いた。紙で作った花びらはスタッフと出演者が拾い集め、再びまいてテイクを重ねている。
冒頭で卯月を見送る父母、兄、姉は、松たか子の実際の家族である。父は当時の九代目松本幸四郎、母は藤間紀子、兄は当時の七代目市川染五郎、姉は松本紀保が演じた。岩井俊二が冗談半分で出演を持ちかけると、その夜に家族会議が開かれ、翌日には全員が出演したいという返事が届いたという。
ロケハンの時点では桜が満開でも花びらは散らなかったが、本番の日には雨のように舞い始めた。岩井俊二はそのタイミングを幸運だったと振り返っている。ただし桜の表現を自然任せにしたわけではなく、繰り返しが必要な撮影では紙の花びらも使い、スタッフと出演者が地面から拾い集めて再びまいた。
ラストの豪雨は大量に降らせた人工雨だった。岩井俊二は撮影のために作った雨だと明かしている。松たか子の回想では、撮影場所の関係者に叱られるほど大量の水を降らせたというから、静かな会話の背後に見える雨脚は大がかりな現場作業の結果である。
卯月は上京後に自転車を買い、大学や書店へ向かって武蔵野の街を何度も走る。ところが松たか子本人は、自転車に乗るのが実際には苦手だったと後年明かしている。春風の中を進む軽快な移動場面は、俳優の得意技を人物設定へ移したのではなく、苦手な動作を繰り返しこなして撮られた。
松たか子によれば、岩井俊二は『四月物語』の現場で、俳優へ「こうしてほしい」と細かな動きを伝えることが少なかった。基本的には出演者が自由に演じ、その姿をいつの間にか切り取るように撮影したという。引っ越し業者や隣人、同級生を前にした卯月のぎこちない間には、あらかじめ型を固めすぎない演出が反映されている。
サウンドトラック『四月のピアノ』には14曲が収録され、そのうち5曲で松たか子がピアノを弾いている。曲は「April Front」「あたらしいくらし」「四月のピアノ」「春の温度」「hallway」である。主演俳優が画面の中で卯月を演じるだけでなく、新生活の静かな温度を支える器楽演奏にも参加した。
1998年、日本国内で初めてDTS方式による劇場上映が実施された作品である。DTSは『ジュラシック・パーク』(1993)で世界的に使われ始めたデジタル・サラウンド方式で、日本での最初の採用作には派手なアクション大作ではなく、67分の青春映画が選ばれた。桜が散る音、電車や自転車の移動、終盤の豪雨までを5.1チャンネルの音場で包んだ。
数秒の映画館場面のために8分の時代劇を完成させた。岩井俊二が監督し、篠田昇が撮影、江口洋介、石井竜也、伊武雅刀が出演した8分の完成作品である。古典映画らしく見せるため、監督名を「岩井俊二郎」、江口の名を「江口洋介山」とする遊びまで入り、完全版は『四月物語』のDVDに収録された。
助監督には、後に『GO』や『世界の中心で、愛をさけぶ』を監督する行定勲がいた。行定はテレビ時代から岩井俊二の現場へ参加し、『Love Letter』(1995)『スワロウテイル』(1996)でも助監督を務めている。本人は岩井を師匠と呼び、一人の監督が悩みを映像へ変え、映画作家として確立されていく過程を間近で見られたことが貴重だったと語った。
1998年の第3回釜山国際映画祭で、アジア映画を対象とするPSB賞を受賞した。この賞は釜山放送文化財団が贈る観客賞で、批評家や専門審査員ではなく、映画祭の観客によって選ばれる。北海道から東京へ移った一人の大学生の四月を描く67分の作品が、海外の観客にも支持された記録である。
『ラストレター』の裕里は卯月とほぼ同じ人物像になった。ところが岩井俊二は撮影後、二人がほぼ同じ行動様式と精神構造を持ち、秘密を抱えながら満足そうに振る舞う人物になっていたと気づいた。松たか子も、意識して面影を残したわけではないが、二人には少しうっかりしたところがあると振り返っている。
映画が公開された1998年3月14日から11日後、岩井俊二を著者とする写真集『四月物語』がKADOKAWAから発売された。A4変形判で全96ページ、映画と同じ題名を持つ大判の書籍である。67分の本編、14曲のサウンドトラックに加え、桜や新居、武蔵野の風景を静止画で残す出版物まで同じ春に揃った。
上映時間を80分とする記載が一部に残っている。しかし30周年公式作品ページ、国内の主要作品資料、現行の技術情報はいずれも67分で一致する。80分の別編集版、ディレクターズカット、削除場面を追加した映像商品は確認できず、現段階では67分を正式な上映時間として扱うのが妥当である。当時のパンフレットや映像ソフトを持つ捜査員は、上映時間の記載を確かめてほしい。
卯月が通う武蔵野大学は架空の学校で、大学場面には成蹊大学と白鴎大学が使われたという情報が残る。成蹊大学で『四月物語』が撮影された記録は大学関連資料から追えるものの、入学式、教室、サークル活動をどちらの校内で撮ったのかを示す制作記録は揃っていない。複数校を組み合わせた可能性はあるが、場面単位の断定は避ける必要がある。