『ALWAYS 三丁目の夕日』を実現させた、失敗から始まる昭和の町のVFX
『ALWAYS 三丁目の夕日』といえば、建設途中の東京タワーが見える昭和33年の町です。
あの町は、最初から現在の完成画面のように作れたわけではありません。
山崎貴監督によると、企画段階で作ったCGテストは出来が思わしくなく、スタッフからも厳しい意見が出ました。[1]
しかし、その失敗から生まれた新しいデモ映像が、映画の映像設計だけでなく、出資と出演者の参加まで動かしたのです。
・最初のCGテストはうまくいかなかった
白組のスタッフにとって、『ALWAYS 三丁目の夕日』は、それまでの近未来的な作品とは毛色の違う企画でした。
山崎監督は後年の座談会で、昭和の再現を最初は甘く見ていたと振り返っています。街並みの背景をミニチュアで補い、都電はCGで作る予定でしたが、デモリールのCGは期待した質に届きませんでした。[1]
昭和の町は、ただ古い建物を並べればできるわけではありません。
CGだけがきれいすぎても、模型だけが別の光で撮られていても、建物、道路、乗り物へ同じ光が当たり、同じ空気の中に存在しているように見えなければ、一枚の画面には見えません。
・突破口は、模型を屋外の光で撮ること
スタッフはレンダリング方法を試しながら議論を重ねました。
そこで突破口になったのが、ミニチュア素材を外の光で撮影し、CGと組み合わせる方法でした。[1]
太陽の下で撮れば、模型にも自然な光と影が入ります。その素材をCGや実写と合わせることで、すべてをコンピューターの中だけで作るより、現実の町に近い手触りを出せます。
山崎監督はミニチュア制作の出身で、実物の質感とデジタル合成を組み合わせてきました。本作でも、CGか模型かを一つに決めるのではなく、それぞれの得意な部分を重ねました。[1][2]
・一本のデモが、映画の信用になった
完成したデモリールの画像は、台本の表紙や最初のティザーポスターにも使われました。
さらに山崎監督は、このデモのおかげで出資が集まり、出演を依頼した俳優たちにも映像の狙いを理解してもらえたと説明しています。[1]
スタッフだけが見る技術テストではなく、まだ撮影が始まっていない映画を、関係者に信じてもらうための見本になったのです。
・完成した冒頭には3か月かかった
デモが成功しても、映画本編の制作が簡単になったわけではありませんでした。
山崎監督は2006年のインタビューで、オープニングだけで3か月かかったと語っています。難しかったのは、大通りを動くカメラと人物に合わせ、周囲の景色が自然に変化して見えるようにすることでした。[2]
そのため、CGだけに頼らず、ミニチュアなどアナログの力も使い、何度も確認を重ねたそうです。
『ALWAYS 三丁目の夕日』の町は、最初から成功したCGの産物ではありません。
失敗したテストを見て方法を変え、模型を太陽の下へ持ち出し、CGと組み合わせた。そのデモが人と資金を集め、さらに3か月をかけたオープニングへつながりました。
スクリーンに映る懐かしい昭和の町は、最新技術だけでなく、模型と自然光を見直したところから生まれたのでした。