主な参考資料
- The Guardian
- Animation World Network
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1988年公開。連載中だった自作漫画を大友克洋自身が監督・共同脚本で映画化し、単独企業では賄いきれない規模を支えるため、講談社、東宝、東京ムービー新社などが「アキラ製作委員会」を組んだ作品である。大友は漫画を週20ページ描き、締切明けにはそのままアニメ制作現場へ向かう生活を続けながら、映画の全工程に目を通したという。制作費は長らく11億円と紹介されてきたが、製作委員会側の証言では当初5億円、最終的に約7億円で、宣伝費などを含む総事業費が約10億円だったとされる。その資金は、台詞を先に録音して口の動きを合わせるプレスコ方式、膨大な手描き作画、当時としては珍しいCGの導入に注がれ、従来のリミテッド・アニメーションから大きく踏み出す画面を生んだ。国内興行だけで制作費を悠々回収したとは言いにくかったが、海外公開を通じて日本アニメの市場そのものを押し広げたのだから、委員会が分け合ったのは危険だけではなく、後世の取り分まで含む巨大な賭けだったのである。
『AKIRA』は一社だけで作られた映画ではなく、講談社、毎日放送、博報堂、角川書店などが参加する製作委員会方式で資金と権利を分けていた。当時は契約や会計の仕組みがまだ整い切っておらず、講談社の財務部門が宣伝費や材料費まで細かく確認したという。作品の規模だけでなく、その資金調達の仕組み自体も日本アニメの転換期にあった。
公式資料では総製作費10億円と紹介される一方、製作委員会に関わった元講談社の水尾芳正は、公開後のリテイクまで含めても制作費はおそらく約7億円だったと振り返っている。宣伝で使われる総額と、現場側が把握する制作費の集計範囲が異なる可能性があり、「10億円か7億円か」という二者択一では整理できない数字である。
大友克洋の原作表現を尊重して制作を進めたため、当初の完成予定には間に合わなかった。製作側は、まず公開できる版を上映し、その後に撮り直しや描き直しを行うことを条件に公開へ踏み切ったという。劇場公開日が制作の終点ではなく、後続版に向けて画面を整え続けた映画だった。
映画制作中も原作漫画の仕事は続いていた。大友克洋は毎週約20ページを基本二人、必要時に三人目を加えた助手と仕上げ、徹夜明けにそのままアニメのスタジオへ向かったと振り返っている。原作の連載が長期中断した背景には、一本の映画を監督しながら漫画も描く、物理的に持続しにくい制作生活があった。
劇場版の制作が進んでいた時点で、原作漫画はまだ完結していなかった。そのため映画は完成済みの長編を二時間へ圧縮したのではなく、登場人物と世界を共有しながら独自の終着点を作っている。漫画で長く展開するアキラの扱いやネオ東京崩壊後の物語が、映画では大幅に異なるのはこの制作順序による。
大友克洋は、ほぼ全カットのレイアウトを作り、清子の芝居や精密な医療機械では自ら原画も描いた。さらに背景の確認、オプチカルプリンター(複数の映像をフィルム上で光学合成する装置)を使う合成やCGの指定、完成間際の作画修正まで担当している。原作者が監督席から指示しただけではなく、都市、人物、機械、光を一つの設計へ揃える役割を自分で引き受けていた。
制作には作品専用のアキラ・スタジオが設けられ、なかむらたかし、森本晃司らが早い段階から中心スタッフとして加わった。大友克洋の緻密なレイアウトを実際に動かすため、異なる得意分野を持つアニメーターが多数集められている。群衆、バイク、機械、崩壊が同じカットで動く画面は、その分業を一つの設計へ統合した成果である。
未来都市を、構造から壊せるように描いた。大友克洋のレイアウトは、壁の厚み、配管、内部の機械、複数階のつながりまで想定し、破壊されたときにも構造が読み取れるよう組み立てられていた。終盤の崩壊が単なる光と煙の連続にならず、巨大な都市そのものが壊れていく感触を持つのは、この事前設計による。
劇場版の制作には約1300人が関わり、約15万枚のセル画、327色の色指定が使われたとセル画展の資料は伝えている。人物だけでなく、夜の街を走る無数の光、群衆、煙、破片まで別々の層で動かすには、膨大な素材が必要だった。数字の多さは、そのまま完成画面で同時に動く情報の多さへつながっている。
物語の大部分は夜のネオ東京で進む。そこで人物の肌や服を昼間と同じ色で塗るのではなく、街灯、看板、バイクのライトがどの方向から当たり、何色に染めるかをカットごとに調整した。暗い画面の中でも人物と都市の奥行きが消えないよう、人工光そのものが色彩設計の基準になっている。
冒頭のバイクチェイスでは、テールランプの光が車体の後ろへ長く残る。これは一枚の背景へ赤線を描いたものではなく、車体の移動と光の減衰を別々に設計し、複数のセルと光学処理を重ねた表現である。速度を輪郭のブレではなく、都市の暗闇へ残る光の時間として描いている。
当時まだ珍しかったCGは、映画全体を描くためではなく、ドクターが見る波形や落下軌道の表示など、計算機が生成したように見える図像へ限定して使われた。主要な人物、バイク、都市は手描きのまま残し、CGには機械の内部でしか見えない情報を担当させている。新技術を目立たせるより、画面内の装置の性格へ合わせた使い方である。
収録は完成映像に台詞を合わせるアフレコではなく、絵コンテを見ながら声を先に録るプレスコで進められた。役者は絵の尺に縛られず、自分の呼吸や間合いで芝居を作り、作画側がその音声を受け取って口や身体の動きを設計した。金田たちの会話が、台詞のない瞬間まで細かく動くのは、この制作順序による。
絵コンテが一度に完成しなかったため、プレスコは間隔を空けながら何度も行われた。金田役の岩田光央は、台本と膨大な絵コンテを使う収録が一年以上に及んだと証言している。映像完成後に声を合わせ直し、さらに録り直した箇所もあり、声の演技も作画と並行して更新され続けた。
金田役の岩田光央と鉄雄役の佐々木望は、広く行われたオーディションから選ばれた。岩田によれば三次審査で初めて佐々木と組み、二人の声の組み合わせを確かめられたという。対等な仲間から支配する側と反発する側へ変わる関係を、一人ずつの声質だけでなく二人の応酬から選んだ配役である。
作品専用の口形を作った。大友克洋は『AKIRA』専用の口形パターンを用意し、日本語の音へ合わせて唇と顎の形を細かく描き分けた。三種類程度の口を繰り返す一般的な方式より、役者が実際に発した音の変化を画面へ戻す設計になっている。
音楽の打ち合わせで大友克洋が明田川進へ示した中心語は「レクイエム」だった。明田川は、ホーミーやブルガリアン・ボイス、ケチャなどを扱う芸能山城組なら、その言葉を既成の映画音楽とは違う形へできると考えた。完成した音楽は、未来都市を電子音だけで表すのではなく、人の声と共同体のリズムで弔う方向から始まっている。
明田川進が芸能山城組へ音楽を依頼したとき、代表の山城祥二は当初断るつもりだったという。しかし団員には若い大友克洋ファンが多く、「この映画を断るのはおかしい」と参加を望む声が上がった。未来都市を象徴するあの合唱と打楽器は、音響監督の長年の希望だけでなく、団員側からの後押しによって実現した。
劇伴にはバリ島の巨大な竹製打楽器ジェゴグ、集団で声を重ねるケチャ、各地の合唱技法、電子音が同居している。どれか一つを異国情緒として飾るのではなく、異なる音の仕組みを組み合わせて、過去の記憶と未来の都市が同時に聞こえる音楽へした。ネオ東京の騒音と祭りのリズムが自然につながるのは、この混成が前提にある。
芸能山城組の団員には、教師、市役所職員、広告会社員など別の本業を持つ人が多かった。大人数が全国各地から集まれるのは仕事を終えた後になるため、『AKIRA』の録音は夜に始まり、朝方まで続いたという。画面の中で巨大な群衆のように響く声は、職業音楽家だけで編成した常設楽団ではなく、生活の異なる参加者が深夜に集まって作った。
立体的に聞こえる掛け声の収録では、ビクターが開発したダミーヘッドマイクを中央へ置き、歌い手が「ラッセーラー」と唱えながら周囲をぐるぐる回った。左右の音量を後から動かすだけでなく、声と身体の距離が実際に変わる状態を録音している。ヘッドホンや多チャンネル環境で聞くと、集団が頭の周囲を通過するような動きになる。
陸王のエンジン音を墓地裏で録音。千駄ヶ谷のビクタースタジオ裏にある駐車場で深夜に走らせ、ビルの屋上からマイクを向けて収録したという。駐車場の反対側が墓地で、夜中でも周囲へ迷惑をかけにくいと判断した場所選びまで含めて、架空の車両音が作られた。
音響はソフト化のたびに計7回作り直された。山城祥二が求めた音域や空間を当時の媒体で十分に再生できなかったため、LDでは音楽を差し替え、その後も再生機器の進歩に合わせて音楽と効果音を計7回作り直した。音響監督の明田川進は、自宅で複数の再生機を同時に動かし、各版を切り替えて比較できる環境まで組んでいる。
2020年の4Kリマスター版は、35ミリのマスターポジを4Kで読み取り、色と傷を整えた。音響も既存トラックの単純な変換ではなく、山城祥二の指揮で5.1チャンネルへ再構築し、作業には約半年をかけている。媒体の性能不足で再現できなかった音を更新し続けた結果、山城がようやく納得した版が4K版だった。
1988年公開の映画は2019年のネオ東京を舞台にし、工事現場には「2020年東京オリンピック開催まで147日」と読める掲示を置いた。現実に東京大会の開催が決まったのは2013年であり、作品の設定が先に存在する。ただし映画が描くのは大会を控えた反対運動と不穏な都市であって、現実の延期や感染症まで予言したわけではない。
原作漫画ではアキラ本人が目覚め、物語の長い区間に関わる。映画は未完の原作を二時間へ組み直す際、アキラを解体されて冷凍保管された標本として扱い、姿を見せない力に変えた。題名の人物を登場させない選択によって、鉄雄が追い求める対象は少年ではなく、国家が隠した過去そのものになっている。
日本での興行収入は約7億5000万円と報じられている。公式に語られる総製作費10億円、当事者が回想する制作費約7億円と比べても、劇場収入だけで全費用を回収したと断定できる数字ではない。一方で当時の報道や関係者は作品をヒットとして扱っており、後のソフト販売と海外配給が評価と収益を長期化させた。
米国では1989年、ストリームライン・ピクチャーズが配給を担った。大手スタジオが多数の劇場へ一斉に出す方式ではなく、限られた館での上映や深夜興行、家庭用ソフトを通して評判が広がった。日本製アニメを子ども向けテレビ番組としてではなく、成人観客が映画館で見る長編作品として紹介する入口になった。
1991年、ロンドンの現代芸術研究所ICAで『AKIRA』を見たアイランド・ワールドのローレンス・ギネスは、より広い観客へ映像ソフトを売れると判断した。会社は権利を取得し、その展開から日本アニメを専門に扱うマンガ・エンタテインメントが成立する。同社は後に『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』(1995)の共同出資にも進み、一度の上映が次の国際共同制作へ連なった。
英米で『AKIRA』が広がった当時、日本のアニメは子ども向けテレビ番組として知られる例が多かった。政治暴力、軍の実験、身体変容を扱う長編が劇場とVHSで流通したことで、成人観客が日本アニメを一本の映画として選ぶ市場が見えるようになった。英国ではその需要が専門レーベルの設立へ進み、作品単体の人気が継続的な輸入事業へ変わった。
ジョーダン・ピールは『NOPE/ノープ』の終盤で、金田が車体を横滑りさせて止まる構図を引用した。撮影ではケケ・パーマーをカメラ方向へ約20フィート滑らせるアーム式の専用リグを組み、単なる編集やCGのポーズではなく、実際の移動として再現している。三十年以上後の実写現場が、アニメの一瞬を物理装置へ翻訳した例である。
『デューン 砂の惑星 PART2』でポールが物静かな青年から暗い救世主へ変わる場面を設計した際、ドゥニ・ヴィルヌーヴは『AKIRA』の影響が無意識に入り込んだと説明している。髪の乱れ、身体のシルエット、人物を捉える角度に、力を得るほど孤立していく鉄雄の像が重なった。引用した一場面ではなく、変貌する人物の輪郭が後世の大作へ受け継がれた。
制作中の1987~88年に作られた『AKIRA PRODUCTION REPORT』は、約49分のメイキング映像である。監督やスタッフへの取材、作画・撮影などの技法、人物設定を同時代の映像で残している。オーストラリア映像博物館ACMIが所蔵情報を公開しているが、オンライン視聴はできず、現在流通する版との内容照合には現物確認が必要である。
ワーナー・ブラザースは2002年に実写映画化権を取得し、複数の監督、脚本家、出演候補を替えながら企画を続けた。製作開始が報じられた時期もあったが完成には至らず、2025年に権利は講談社へ戻った。二十年以上にわたる開発は、ネオ東京の文化的背景、巨大な制作費、原作の長さを実写長編へ移す難しさを解消できなかった。
制作は「声を録る、絵を合わせる」という一方向だけでは進まなかった。プレスコ音声を基に作画した後、完成映像と声を実際に合わせ、大友克洋がさらに変えたいと判断した箇所では再収録も行った。役者の間合いから絵を作り、その絵を見て声を調整し直す往復によって、会話と身体のタイミングを詰めている。
公開当時、観客からは物語や結末が分かりにくいという反応も寄せられた。制作に参加したアニメーターの久富美智子も、終幕を当時は理解できなかったと振り返っている。原作が未完の段階で、長い設定と登場人物を二時間へ組み直した映画は、圧倒的な映像と引き換えに説明を大きく削った作品でもあった。
『AKIRA』が東京五輪の中止まで予言した、という話が広まったことがある。作中には五輪をめぐる不穏な看板や落書きがあり、現実の大会延期と重なったからだ。ただし、作品が現実を言い当てたという予言説ではない。
『AKIRA』の製作費は10億円と語られる一方で、制作に関わった人物が最終予算は約7億円だったと述べた、という異説もある。公称額と証言が食い違うため、数字だけが一人歩きしてきた可能性がある。ネオ東京の規模ほど、金額の話もややこしい。