主な参考資料
- Los Angeles Times
- YouTube
- The Academy
エアフォース・ワンを配信で見られるサービスを、確認できた範囲で掲載しています。未確認のサービスは公式サイトで探せます。
1997年公開。アンドリュー・W・マーロウのオリジナル脚本を、ウォルフガング・ペーターゼンが共同製作者も兼ねて演出し、コロンビアとビーコンが製作・資金面を担った。 実在の大統領専用機を借りる代わりに、製作側はチャーター会社から通常型ボーイング747を借り、30万ドルをかけて塗装を再現したうえで、空軍機の協力も得た。 その協力には空軍による脚本確認と、空軍・関係者を好意的に描くという条件が付いた。 飛行場面は実機、模型、コンピューター効果を組み合わせ、滑走路の突進は毎秒12コマで撮って通常速度では倍速に見せ、計10テイク・飛行時間60時間を費やした。 強い制動と地上走行でタイヤの熱逃がし用プラグが溶ける事態が起き、海上場面も雲に阻まれて約2週間待機した。空を飛ぶ大統領専用機の代役は、どうやら休憩時間にも国家規模の手間を要求したのである。 製作費は8,500万ドル、北米興収は約1億7,296万ドル、海外興収は約1億4,220万ドル、世界興収は約3億1,516万ドルで、全米2,919館での初週末は約3,713万ドルを記録した。
脚本家アンドリュー・W・マーロウは、大統領が選挙や政策を進める過程で支援者や政党との多くの取引を抱えることに注目した。そこで主人公をそうした関係から切り離し、家族を守ることと大統領として正しい判断のどちらを選ぶか、自分の良心だけで決めなければならない状況を考えた。飛行中の大統領専用機を舞台にしたのは、外部からすぐに救援が来ない密室を作り、政治家ではなく一人の父親としての選択まで試すためだった。
脚本を書いた当時はインターネット検索がなく、大統領専用機の詳しい平面図も公開されていなかった。アンドリュー・W・マーロウはナショナル・ジオグラフィックのドキュメンタリーを探し、約3秒だけ映った機内配置をVHSで何度も停止して、自分で見取り図を描いた。大統領が通路、会議室、貨物区画を移動しながら反撃する構成は、その限られた資料をもとに組み立てられている。一方、脱出ポッドなど確認できない設備には、物語を成立させるための創作も加えた。
アンドリュー・W・マーロウは、ソ連崩壊後にロシアを改革しようとする勢力と、失われた帝国の復活を望む強硬派の対立を悪役の背景にした。ゲイリー・オールドマンが演じるコルシュノフは、単に人質を殺すテロリストではなく、本人の中では祖国を守ろうとする愛国者である。自分の物語では自分こそ正しいと信じる人物にすることで、大統領マーシャルとは異なる形の国家への忠誠を持たせた。
製作総指揮のアーミアン・バーンスタインはケヴィン・コスナーと近い関係にあり、大統領マーシャル役の脚本を最初に彼へ見せた。コスナーは大作を終えた直後で、すぐ次の撮影へ入るつもりがなかったため、ハリソン・フォードへ提示してよいと答えた。ただしフォードが断った場合は企画を一年待てば、自分にも出演の意思があると伝えたという。脚本家マーロウは執筆時から、肉体的な行動と大統領らしさを両立できる俳優としてフォードを思い浮かべていた。
脚本には、機体下部から執務室へ戻ったマーシャルが、一度座って状況を整理する動作が書かれていた。ハリソン・フォードは、家族が危機にある間は座れないと考え、その動きを外した。また、自分の観客は彼が人を一方的に殴る姿ではなく、殴られても立ち上がる姿を見に来ると脚本家へ伝えた。マーシャルが傷つきながら反撃するアクションは、フォードが長年築いた主人公像に合わせて調整されている。
ウォルフガング・ペーターゼンは監督として参加すると、既存の場面をそのまま撮る前に、よりよい方法がないか複数の案を試した。いくつかは採用されなかったが、全面的な書き直しにはならず、アンドリュー・W・マーロウによれば完成版の約90〜95%は原脚本の内容である。潜水艦内の閉塞感を描いた『U・ボート』(1981)と、大統領を狙う危機を扱った『ザ・シークレット・サービス』(1993)の両方を撮った経験から、ペーターゼンは企画段階から監督候補の最上位だった。
終盤の「Get off my plane!」はハリソン・フォードの即興ではなく、アンドリュー・W・マーロウが脚本に書いた台詞である。マーロウは、大統領専用機を家へ侵入された主人公の怒りを一言で表そうとしたが、少し陳腐ではないかとも感じ、別の言葉を考え続けた。しかし代案が見つからないまま撮影され、フォードの発声によって本作を代表する台詞になった。
大統領専用機の詳しい内部構造は安全上公開されていないが、ビル・クリントン大統領がハリソン・フォードから企画を聞き、実機を見学する機会を用意した。フォード、ウォルフガング・ペーターゼン、美術監督ウィリアム・サンデルらは、クリントンがワイオミングで休暇を取っていた時期に機内へ入り、内装や人の動線を確認した。テロリストが記者として搭乗し、座席へ向かいながら機内を観察する序盤には、制作陣自身の見学経験が取り入れられている。
機内場面の大部分は、本物の大統領専用機ではなく、ソニー・ピクチャーズのステージ15に建てた実物大セットで撮影された。ステージ15は『オズの魔法使』(1939)の黄色いレンガ道も作られた大規模な撮影施設で、執務室、会議室、客室、通路を一続きの空間として組んだ。ウォルフガング・ペーターゼンと撮影監督ミヒャエル・バルハウスは、同じ狭い場所の繰り返しに見えないよう、人物の動線、カメラ位置、照明を場面ごとに変えている。
外観撮影で大統領専用機を演じたのは、チャーター貨物会社アメリカン・インターナショナル・エアウェイズから借りたボーイング747-146、登録番号N703CKである。この機体は1970年6月に完成した54機目の747で、日本航空へ納入された3機目だった。制作側は30万ドルをかけて白と水色の大統領専用機仕様へ塗り替え、銃弾痕のデカールも貼った。ロサンゼルス国際空港では、本物の大統領が到着したと誤解する人が出るほど外観が似ていた。
護衛戦闘機や輸送機を含む軍用機は、可能な場面では実物が撮影に参加し、費用はコロンビア・トライスターが負担した。制作側はシークレットサービスと軍の経験者を顧問に迎え、飛行場面の手順を組み立てている。その一方で、米空軍は協力の条件として脚本を確認し、空軍と関係者が好意的に描かれるという保証を得た。画面の軍事的な具体性は、制作側だけでなく協力機関の内容確認を経て成立している。
ラムシュタイン基地で747が滑走路を外れ、駐機中の輸送機をかすめて再離陸する場面には実機を使った。危険を抑えながら速度を出すため、カメラを通常の半分にあたる毎秒12コマで回し、機体はカメラ前を約60ノットで通過した。完成映像を毎秒24コマで上映すると動きが倍速になり、約120ノットで暴走しているように見える。撮影前には機体重量と空気密度を航空性能表へ当てはめ、加速と制動に必要な距離も計算した。
滑走路場面では、急制動した747を撮影位置へ戻し、再び走らせる作業を繰り返した。その結果、車輪に熱がたまり、タイヤとリムの爆発を防ぐための金属製溶融栓が溶けて、タイヤ内の空気を安全に放出した。事故による単純なパンクではなく、機体に組み込まれた安全装置が正常に働いた結果である。朝6時に停止した機体は整備され、再び飛べる状態へ戻ったのは夕方6時だった。
終盤の空中救出では、大統領専用機役の747、ケーブルを出すMC-130輸送機、撮影用のB-25をカリフォルニア沖で同時に飛ばした。三機は通常の巡航速度が大きく異なるため、B-25が追従できる時速約200マイルに合わせ、747はフラップを10度出して低速を保った。747の操縦席はMC-130の翼端から数フィート、747の左エンジンも相手機の尾部から同程度の距離まで接近した。二週間近く雲に阻まれた後、海面が見える短い天候の窓で撮影している。
MC-130から実際にケーブルを出すことには成功したが、人が空中を移動する映像まで実写にするため、スーツ姿の人形「フェリックス」を取り付けた。ところが747の機首が作る強い気流で人形が激しく揺れ、最初にネクタイ、続いて上着が吹き飛んだ。衣服が747のエンジンへ吸い込まれる危険があったため、人形を使う方法は中止された。完成版ではケーブル自体を実写で撮り、747への接続と移動する人物を視覚効果で加えている。
撮影用747には大統領専用機と同じ塗装だけでなく、物語上の銃撃を表す弾痕デカールも貼られていた。ある飛行中、レーダー上の未確認機を調べるためF/A-18戦闘機二機が接近し、銃弾痕のある大統領専用機のような機体を発見した。識別後、ロサンゼルスの航空管制が映画撮影中の機体だと説明し、戦闘機は離脱した。撮影機の外観が本物に近かったために起きた確認飛行である。
Boss Film Studiosは『乱気流/タービュランス』(1997)のために作られた747模型を改修し、翼幅約22〜23フィートの大統領専用機へ仕上げた。模型の9か所から伸びるワイヤーをプーリーへつなぎ、コンピューター制御で同じ動きを何度でも再現できる装置をヴァン・ナイズ空港の格納庫に組んだ。機体は左右へ約45度、前後へ約90度まで傾けられ、背景や別の機体を撮る複数のパスを同じ軌道で重ねられた。
747模型を空の背景へ合成するため、通常の映像とは別に輪郭を抜き出すマット素材が必要だった。Boss Film Studiosは赤いスクリーンをブラックライトで照らす方法を選び、背景色が機体へ反射するのを抑えるため、通常映像を撮った後の模型へタルカムパウダーを吹き付けた。マット撮影後には粉をすべて落とし、次のカットで再び同じ作業を行った。床に積もった粉でステージが滑りやすくなり、VFX責任者リチャード・エドランドは転倒して足にひびを入れている。
終盤で無人の大統領専用機が海面へ墜落するショットは、制作側の決定が遅れたうえ、当初の夜景から昼の場面へ組み直された。Boss Film Studiosは模型とデジタル機体を使い、1996年当時まだ難しかった大規模な水しぶきのシミュレーションを行った。スタッフは夜通し作業を続けたが、VFX責任者リチャード・エドランドは、目指した完成度の約80%に達したところで時間が尽きたと振り返っている。
編集のリチャード・フランシス=ブルースは撮影開始と同時に素材を組み始め、完成まで約10か月を費やした。通常より長引いた理由の一つは350以上の視覚効果ショットで、最後の素材が届くまで編集を確定できなかったためである。作業が終わったのは、公開用プリントを作る予定日の前日だった。初期編集は完成版より約30分長かったが、家族への感情移入に必要な場面は残し、大きな場面を丸ごと削らず約2時間へ整えた。
最初に音楽を担当したのはランディ・ニューマンで、1997年6月初めまでに全体の約半分を録音していた。ウォルフガング・ペーターゼンは、ニューマンの才能や曲の質を否定したのではなく、初めて大規模アクションを任せる試みが本作の映像とは合わなかったと判断し、録音済みの音楽を外した。公開版はジェリー・ゴールドスミスが急きょ引き継ぎ、時間を補うためジョエル・マクニーリーも一部の場面を作曲して完成させた。
当初の脚本には、危機対策室でキャスリン・ベネット副大統領が泣き崩れる場面があった。グレン・クローズは、国家的危機の最中に副大統領がそのような反応をするとは考えられず、自分が演じる人物は困難へ立ち向かうべきだとして撮影を拒んだ。完成版のベネットは感情を見せながらも指揮を止めず、女性指導者が重圧に耐えられないという定型的な場面は削られている。
冒頭のラデク将軍の宮殿外観にはクリーブランドのセヴェランス・ホール、内部にはカヤホガ郡裁判所が使われた。将軍が収監されるロシアの刑務所は、『ショーシャンクの空に』(1994)でも使われたオハイオ州立少年院で撮影している。大統領専用機が着陸を試みるドイツのラムシュタイン空軍基地は、コロンバス近郊のリッケンバッカー国際空港が代役になった。物語上の三つの国際的な場所を、オハイオ州内の建築と空港へ分けている。
製作費は8,500万ドルで、北米公開初週末に約3,713万ドル、北米累計で約1億7,296万ドル、世界累計で約3億1,516万ドルを記録した。第70回アカデミー賞では、リチャード・フランシス=ブルースが編集賞、ポール・マッセイ、リック・クライン、D・M・ヘンフィル、キース・A・ウェスターが録音賞の候補になった。受賞は逃したが、制作上の負担が大きかった編集と音響の二部門が評価された。
制作陣が本物の大統領専用機を見学したことと、ビル・クリントン大統領が協力したことは、1997年の報道と制作ノートで確認できる。一方、ウォルフガング・ペーターゼンが最初に見学を拒否され、ハリソン・フォードがホワイトハウスへ一本電話したことで許可が下りたという詳しい経緯は、当時の関係者証言まで確定できなかった。
完成版では、大統領を裏切ったシークレットサービス要員ギブスの動機が詳しく説明されない。一部では、冷戦終結で地位を失った元CIA要員という設定が削られたと紹介されてきたが、脚本家アンドリュー・W・マーロウは元CIA設定を否定している。脚本段階のギブスは、望んだ地位や生活を得られず、金銭で買収される人物として考えられていた。終盤で長い説明を始めると対決の勢いが止まるため、詳しい背景を削り、「金だ。神よアメリカを祝福したまえ」という一言へ置き換えた。
当初のエンディングが機能せず、ウォルフガング・ペーターゼンとハリソン・フォードが週末を使って完成版の結末を考えたという話がある。編集が公開用プリント作成の前日まで続いたことは編集者の証言で確認できるが、どの結末から何を変更したのか、週末の会議で誰がどこまで決めたのかを示す監督・主演・脚本家の原典は確認できなかった。
ウォルフガング・ペーターゼンはDVDの音声コメンタリーで、2001年9月11日の同時多発テロ後なら、航空機ハイジャックを娯楽として扱う本作を作ることには抵抗があったと語ったとされる。発言媒体と場面は特定できるが、今回はコメンタリー音声そのものを再生して文言と範囲を確認できなかった。